第50話 黙ってろ


「急げ、奴ら後ろにまだ続いてるぞ。マジで何体いやがる」ヨカゼは濃紺のコートで汗をぬぐう。


 走り出した馬車とわらわら同じように駆ける騎兵たち。鉱山のサルベージどころの話ではない。いきなりあんな邪悪な群れを引き連れて戻ってくるとは。振り返りすぐさまアイナは問い詰めた。


「あの山もりの魔物はどういうことですか!」


「……渓谷の向こう側、城があった。小さいがな」


「城?」


「山林で覆い隠すようにな、オギカワの隠し拠点だ。税逃れの倉庫代わりか密輸拠点か鉱山裏でよく黙くらかしたもんだ。血まみれの金の臭いがたまらねえ話さ」


「そこに奴らがいたんですか!?」


「少なくとも2000、下手すりゃその倍」


「2000!?」


「もともと隠されてた上にオギカワの放棄。ああいう小賢しいのが住処にするにゃこれ以上ねーんだろな。流石の俺も谷を渡す橋だけ落として逃げ帰ったわけだ。戻ったとしてクロクワのとこも含めて即時ジェリスヒルまで撤退だろうな」


「事実なら当然です!というか正規軍の出番でしょう、刑軍では手に負えません」


「討伐軍にはこっちも加わるだろうがな……おうアルネ!」


「へいへーい」馬に乗ったアルネはこちらに並走し、一体だけ鞍に乗せていたグレムリンの死体を扉が開きっぱなしの馬車にぶん投げる。そしてそのまま鞘で馬の尻を叩き追い越していった。


「上出来、死体も一匹連れてく。これで疑う余地はねえ。砦での強盗騒動もこいつらかもしれねえな」


「この魔物は……」



「要らん」



 アイナは正体を近くで確かめようとしたが、寸前その赤黒い肌で鉄の胸当てを付けたグレムリンの死体をヨカゼが馬車から蹴り落した。死体は轍の上でいくらか転がって天を見上げるように止まり、それがカーブで視界から消えるとヨカゼは「スピード上げてくれ!」と御者に唸る。車輪がより焦って動き出した。



 ――え?



「……何してやがるてめえ」撤退の中で得た戦利品を蹴落とされ、赤みの強い琥珀色の眼球がヨカゼを睨みつける。絶対にジャックがこういう反応になるだろうと分かる上でのヨカゼの行動に、アイナは一切の動きが停止してしまった。


「グレムリンは危険な魔物だ。仲間意識も強いから死体を奪い返しに集中して追ってくる。奴らは学習意欲もとりわけ高く魔物では珍しく生産を行う。学んじまえば木を削って連弩も組み立てるし、部隊戦術すら運用する知能だ。特に金属加工品は大好物で人の地に押し寄せては漁り、持ち帰って研究する。だから巣穴には『サルベージ』した金物が山積みになってる」無視してアイナに聞かせる。


「サルベージ……?」


「ああ、魔界の刑軍なんて言い方する奴もいる。奴らは営みがきっちりある場所も襲うってのが違うがな」


「生の情報として必要だった。騎士の判断にケチ付けんのか?人間の刑軍」聞き流してサーベルを喉元に突き付け凄むジャック。


「アップルトン!彼は私の――」


 しかしアイナの制止は必要なかった。切っ先が喉に触れようとした瞬間、ヨカゼは掌底でサーベルの腹を打ち、ジャックの顔を鷲掴みにしてそのまま馬車の壁に叩きつけた。


「ぐっ」反応が間に合わずジャックが腕を掴み返したのは頭に衝撃を貰った後だった。



「黙ってろ糞餓鬼」



 囁くような声だったが、反論は許さんとばかりに冷たく言い放つ。



「ヨカゼさん……」



 怖い。



 初めて見る怒りの形相だった。瞬きもせず真っすぐにジャックを見つめ、底の覗けない深海の暗闇を宿したような目の色をしていた。


 危険な魔物――それは理解した。だけど何故今、このように過去最大の怒りを見せるのかはまだ胸にストンと落ちはしない、危機で焦り激昂する人ではないから。


 なんとなく察するのは、きっとヨカゼさんの中での基準をジャック・アップルトンは大きく下回ったのだ。


 どうしてその能力をもってしてこれ程の失態をやらかすのだと。この数か月でそういう傾向はひしひしと感じている。この人は強い相手にこそ厳しい。至らぬ者には手を差し伸べる。


 だがしかし相手は名の知れた若き戦闘狂。そんな教育者のような説明は通用しない。大軍の襲撃を受けた状況で仲間内でも一触即発の場が出来上がりアイナは立ち回りが未だわからずにいた。


 助け舟を出したのは手綱を握るカッサーノだ。

 

「トウドウが正しい。グレムリンは各地に置かれた魔を払う女神像にも強い抵抗力を持つ中級以上の魔物。だから悠然と居住区に侵入してくる、こちらの準備が整うまでは下手に怒らせるのは下策。数千もの侵攻を誘発すればジェリスヒル自体はともかく周辺の村々がいくつも滅ぶぞ。お前は遊ばず見つからず、偵察だけを完遂すべきだった。ジャック・アップルトン」


 さっさと態勢を整えろと言いたげに背後に向かって説明した。アイナはそこでやっと合点がいく。熟練の兵士は目の前の任務や危機への対処だけではなく、その後の周辺環境への影響も計算して行動を決定しなければならない。ジャックはそれを怠って多くの命を危険に晒した――。


「……舐められてんなあ。渡り鳥はあんなキモ生物の方が俺よりも怖えか。つーかお前俺と三つ四つしか変わらねえだろが。雷鳴直属の野郎様までビビり腰だしよお」


「事実お前は格下だ。この場で教えてやろうか?」


 指摘されて謝る男ではないが、ヨカゼもまた以前のゼンキへの対応のように売り言葉に買い言葉だった。


「へえ。有難いねえ、あのツバメとタイマンできるとは」腰に差した鞘を強く握る。


「二人とも止めろ!此処でイキがってどうする!」


「そ、そうです!今はあの大軍から逃げおおせないと!」


「さっさと後ろに注意を向けるか、さもなきゃ俺とここを代われ!これは『我が殿』に出陣を頼むレベルの事態だ!魔物との『戦争』が始まったんだぞ!」


「……二人に感謝するんだな」しばらく睨み合ってヨカゼが引き下がり馬車の後ろを監視する。


「ああそうだなあ?とっておきのデザートだ。てめえがやる気になってくれただけで今日のとこは万々歳さ。いいか、俺は闇討ちはしねえが逃がしゃしねえ。正面からてめえの顔ぶち抜いてやる」そう捨て台詞を吐いてまだ目の覚めないルシアナの隣に座った。


「全く二年かけて若返ったか?あの時の方が余程大人びていた」カッサーノは苛つきたっぷりだったが、せめてヨカゼに聞こえないよう愚痴りもう一度手綱を叩いた。


 数千の魔物との戦争が始まる――。アイナはグレムリンの群れとは違い一丸にはならないであろう人間の心に一抹の不安を抱え、がんがんと揺れている馬車の扉を閉めた。

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囚人街の懲役剣士、釈放目指して令嬢騎士と旅をする  ダンジョン・オブ・ザ・デッド前編 宵闇 長門 @fullmetal555

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