第49話 共同撤退

「うっひょおおお!」


 まず戻ったのは小柄な金髪少年のアルネ、俊足を活かして木々の太い枝を伝い飛矢のように飛び出してきた。


「逃げろ逃げろーー!」満面の笑みで逃走を促し、用意されていた空いた騎馬に乗り込む。


「こっちは三人だけ!矢と魔法攻撃の出来るものは構えて!ジャックの後ろに適当でいいから撃ちなさい!」


 ルシアナが次いで怒鳴りながら走って出てきた。撃ち切ったのか腰元の矢筒には一本も矢が入っておらず短刀を逆手に持っているだけだ。



 そして最後に出てきたのがジャック。いつも通りのドラゴンの鱗皮で作られた鎧、愛用のサーベルで目の前の邪魔っけな枝を斬って現れた。鞘も打撃として使ったのかもう片方で握って駆ける。



 ルシアナの言う通り人間の登場はそれで終わりだった。



 そして。

 

 噴き出した。


 直後に姿を見せた連中の進撃はそんな印象だ。


 鉱山の山肌を覆う緑から魔物が津波にでも押し出されたように大挙して出てくる。


 赤黒い肌、こちらと変わらない背丈。頭は二本の鱗っぽい気質の触角みたいのが生えている。ぎょろぎょろと人間の三倍ほども大きそうな目が刑軍を見据えて疾走している。


 長く細い手足はその気味の悪さを増長させていて、痩せぎすの人間が昆虫の硬皮を被ったような異形。


 しかもこの悪魔どもはそれぞれがどこで調達したか出鱈目に武装していた。鉄の胸当てをつけてるのや、籠手を一つだけつけてるの、戦斧や槍を持つの、あろうことか弓をしっかり構え矢を放つのまでいる。


 それどころか装備ではない、壁立て時計や配膳盆を盾のように抱えていたり長い鎖を鎧代わりに胴体にぐるぐる巻きにしている個体も。


 40……50……どれほど出てくるのか――。



「グレムリン……」個体数を必死に目算していたアイナの隣でヨカゼが呟いた。



「死にたくねえならさっさと馬を出せえ!」そう隊長が吠えると、遠距離武器を持たない者たちははっと状況のまずさを理解して退却を始めた。この男が逃げろと言うのならただ事ではないと。逆三角形の陣は早々に崩れ最前面に出た槍持ちがまず戦線を離れる。彼らは逃げると決め込めばそれもまた早かった。


 近接兵を通すと後ろの弓と魔法の10人弱は放射状に広がって攻撃を放った。ルシアナの号令で出来るだけ進撃を遅らせようと距離を保ちながらやたらめった弾幕を張る。


 いくらか撃ち落とすもしかし、大勢が怯むことはなかった。


 赤黒い悪意どもは矢を撃ち返し、握った刃物を投擲する。


 命中して落馬した槍兵はすぐに群がられ滅多刺しにされた。


 躱すルートを間違えた弓騎兵は馬の首筋をまず戦斧持ちに豪快に斬られ、つんのめって頭から落ちたところをもろとも鋭い爪で引き裂かれた。


 足を奪い、孤立した人間を効率的に襲っている――。


 シャアアアアアアアアアアア!


 畏怖させようとか魔物たちが二人討ち取ると一斉に鬨の声のようなのをぶち上げる。


 空気が震える。

 

 40程のこちらの勢力に対して見えているだけで倍以上いる魔物たち。その進撃の最後尾はまだ見えない。しかしその鬨の声を聞く限りまだまだ山林の奥に控えていることが伺えた。


 その下手ながら武装を駆使し軍とも呼べそうな一体感は、異形の敵が知性と殺意を併せ持つという深刻な脅威を迸らせている。


「どう小突いたらこうなるジャック・アップルトン!」モイーズが叱りつけながら槍でもって最前列の魔物の胸を抉る。頭上を矢と魔法が降り注ぐ事も魔物の合唱も歴戦の男はどこ吹く風。裂ぱくの気合と共に槍を大きく横薙ぎに振り敵の先頭に頼もしくも急ブレーキをかけさせた。


 カッサーノの方は戦わずに素早く馬車の前部に乗り込み出発の準備をする。彼は即時退却の判断をしたようだ。


「さあな!土足で玄関入ったのが悪かったか土産がないのに機嫌を壊したか、連中そこそこやりやがるぜ!」


「すぐ走り出さないと。オギカワ砦まで決して止まらないで、今見えてるのはほんの一部よ」ルシアナは側近の数騎と殿軍を務めようとするダックに進言する。側近の一人からは持った杖により炎の魔弾が飛び出している。


「いつもの魔法はもう空っぽか?」問いで返す。


「今からよ、騎乗できる此処まで温存してたの。それで一気に突き離すわよ。ジャック!魔力全部使うんだからちゃんと私連れて行きなさいよ!」


「オーキードーキー、糞ビッチ。親愛なる劣等共にエア・ウォーキングさせてやれえ!」モイーズの隣で二体ほど斬り殺し、サーベルの血をズボンに押し付け拭いている。


「誰がビッチよ!連中の次はアンタ殺すわよ!」


「さっき身代わりで隊長突き飛ばして盾にしたからじゃないっスかあ?」


「アタシは弓なの!距離が要るの!」


「わーったからやれ!」


 ルシアナはふんと不満げな息継ぎをして、刑軍衣装の上から着込んだ布地の弓籠手を握り締めて唱えた。左肩から手首まですっぽり包む美しい銀灰色の布地で花のような刺繍があしらわれた一品だ。


「ものゝふの猛きこころにくらぶれば、数にも入らぬ我が身ながらも」


 途端に黄色い閃光が広がり、うっすらと光る半透明の大きな障壁がルシアナの前に出現する。


「通行止めよ!キモ生物ども!」


 アップルトン隊の援護射撃していた兵は巻き添えを食わぬよう彼女より後ろへずれ、大きく発動するのを確認すると彼らも馬に鞭打ち退却した。


 目前に迫っていた魔物は前のめりに走ったせいで障壁に顔を思い切りぶつけ気を失った。


 ルシアナの「あああああああ!」という全霊の叫びとと共に障壁はぐんぐんと左右に前に包むように伸び、魔物の一軍を閉じ込めようと丸まる。前に居たモイーズとジャックは後ろに駆けると、二人の通り道だけ彼女は障壁に穴を開け、またすぐに閉じた。


 あっという間に封じ込められた百に届こうかという魔物たちはその壁に激突するのや、上方へ向かって駆け上がりやがて落ちるの、武器で壁を叩き突破を試みるのなど様々だった。


「防壁にも道にもなる形状自在の魔法障壁。羨ましいもん持ってんな」ヨカゼは包み漏らした魔物を一体袈裟に斬って後退する。


 しかし数秒後その叫び声が尽きると同時に意識も失ったようで崩れ落ち、ジャックが倒れ込む彼女を受け止め肩に抱えて走る。


 術者のコントロールが途切れても魔法は維持されているが、どれほど持つかわかったものではない。既に少しひびの入った個所もある。


 ジャックはカッサーノが操る馬車にアイナに次いで飛び込み「ういしょっと。こいつ置かせてもらうぜ」と彼女を寝かせた。ヨカゼもそれに続く。


 それを見届けると「よし、俺も行くぞジャック!散った連中を集めなきゃならん!」と副長のダックは数騎と山道を下りた。


 ジノの方の馬車は屋根にミゼラが立ち矢を飛ばしている。距離の近かった鬼の二人もそちらに、一瞬で戦力バランスを判断したかモイーズも遅れてこっちに乗り込んだ。


「ジノさん行ってください!オギカワまで直行です!」と先行させる。「り、了解です。アイナ様もご無事で!」そしてカッサーノも隊全員の所在を確認すると指示を待たず手綱で馬を叩いた。

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