第48話 未帰還

 毛布をぐいぐい揺さぶられる。「アイナ様、アイナ様」と少し急いだ声色。すこしうざったいように寝返りを打ってしまったが数秒かけて場所と状況を思い出す。うっすらと目を開けると窓から朝日が差していて、それを遮る様に白い仮面が視界の大部分を占めていた。


 まだ起床予定よりもかなり早い気がするが。


「ミョウキ……?遠征先で魔力を消耗するのは得策ではないので治療なら都市に戻ってから――」


「違うんです。外に他の部隊の人達が集まってきてて」


「他の部隊?」のそりと起きて窓を覗くと確かに騎馬が集まっている。それでは致し方ないとミスリル製の鎧を引っ張った。こいうときは着るのが面倒な甲冑というのは一発拳骨をくれてやりたくなる。水を一杯飲み、手鏡で身だしなみを整える。髪をとかすのはミョウキが手伝ってくれた。


 寝相が付きがちな右後ろの髪を強めに押し付けながらレイピアを携え小屋を出ると、30騎ほどの騎兵がうろついていた。赤と黒を基調にした獣皮の鎧と刑軍衣装の者が半々くらいだ。


「これは、アップルトン隊?」


「コーエンか。副長のダックだ」ようやく出てきたかと一騎近づいてきて馬を降りる。短髪でジャックと似た荒れ地をうろくつ狼のような深いグレー髪の男。同じ土地から来た者なのだろう。


「何事ですかこれは」


「ジャックの指示だ。時間内に戻らなければここで待てと」


「そして戻らなかった、ですか。私に一時的に仕切れと?」


「いやそういう指示はなかった、単純に戦力が集中できるからだろう。お前の所には実力者がいる。あれとか、あれとかな」


 ダックと名乗った男は静かに小屋の外壁に背をもたれこちらのやり取りを警戒しているヨカゼや、馬に餌やりをしている御者の二人を顎で指し示す。


「そちらは偵察任務でしたよね、ここで落ち合うということは未確認とされた鉱山裏手の渓谷へ行ったのですか」


「話が早くて助かる。そこはウチの隊長より優秀だな」


「騎士三人で話し合ったのだから知ってて当然でしょう」


「あの馬鹿はそれでも忘れるか聞いてないかだ」


「はあ……。まあそれは置くとして、渓谷に何らかの敵が現れたという事でしょうか」


「かもしれんな、もう一時間ほども動きが無ければ俺が入ってみる。その後はいよいよお前の号令が要るかもしれん。仕切りがいなきゃウチは乱暴者の烏合の衆だ」


 冷静というか、合理的な男のようだ。なるほどジャックのような頭を据えればこういった者の補佐は当然必要になる。本能的に動く隊長の裏で彼が帳尻を合わせてアップルトン隊をまとめているのか。


「……わかりました。ではアップルトンが戻るまでは私たちもここで待機とします」


 彼の表情からするとかなり胡散臭い状況なのかと解釈したアイナはまだぐうすか寝ているゼンキとジノをミョウキに起こしに行かせ、どこかから採取してきた草を煎じているミゼラには再び櫓の上での警戒を頼んだ。全員に帯剣させて、いつでも動けるよう男衆に荷物を馬車へ運んでもらわねば。



**



 馬車の前部に載せておいた得物をそれぞれ備えている。皮鎧のカッサーノはロングソード、鎖帷子のモイーズは槍だ。


「一波乱ある雰囲気になったなトウドウ」槍先の鋭さを確かめるモイーズ。


「ジャック・アップルトンは滅茶苦茶なガキだがあそこにいる副官のダックとの連携が崩れることは滅多にない。暴走する分、副官の後方指揮が肝なのは理解していた」


「ではやはり不測の事態があったか」


「少なくとも奴らはそう感じてる。賊の勘は侮れん」幾度かロングソードを振りカッサーノは馬車の御者から戦士の顔に戻す。


「ウチのもな。あっちの方が確信を持てる」


 ヨカゼが櫓を親指で示す。先程からミゼラが弓を構え尖った耳をピクピクさせている。そのまま目を閉じてエルフの魔力の揺らぎを高感度に受信する能力とぶつぶつ語り合っている。


「確かにあれは頼りになるな。刑軍というのも面白いのが集まるものだ」



 次第に無駄話は止み、鉱山の麓はいつともしれない次の段階をただ待っていた。アップルトン隊もダックだけがカチャカチャと山歩きの準備をしていたが他の者は静寂に任せている。それは肉食獣の群れが現れるのが脆弱な餌か殺し合う強敵か見極めるために潜伏するようでもあった。


 そしてダックたちが到着してから40分ほど経ったか、ミゼラが矢をつがえ弓を引いた。


「もうすぐ来るわ、全員備えなさい」静かに伝えたが、音の波を伝える魔法でも使ったのか小屋周辺に居る全ての人間にその言葉は伝わった。


 アップルトン隊は剣を抜き、騎乗し、杖を構える。


 勇んで前に出ようとする隊員に対してはダックが強権的に仕切る。悪たれの集まりで武闘派と聞いていたが、肉食獣たちは副長にも服従しているらしい。剣を一番前に出た者の首元に突きつけると以降は全員が静かに指示を受けた。


 小屋に隣接していたかつては鉱石置き場だっただろう広場、そこでミゼラが伝えた方向に対して30騎で逆三角形の陣形を作った。あれは突撃して戦うというより逃げる隊形だろう。迎え撃つ状況であるので騎兵の機動力は活かせない。前面に逆三角形の底を作って一旦守り、帰還者を拾ったらすぐさま錐形に逆方向へ走り出す形だ。


 彼は正体不明と堂々喧嘩するよりも煙に巻いて逃げるのをこの場の第一選択肢としたようだ。ジャックが定刻に戻らないというのはそれほどの事態なのだろう。餌と見極めればこぞって襲い掛かるが、首無しの四肢で戦争はしない。そんな態度だ。


 コーエン隊はといえば、判事がヨカゼに促され馬車の前部に乗り込み、雷鳴の直下兵の代わりに一輌の手綱を握る。もう一輌はゼンキかミョウキに託そうとしたが彼らは馬の扱いが分からないらしく、手近な者が素早く乗り込むこととした。


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