第38話 閑話 旅籠の密談

「一応この隠れ旅籠は私がオーナーだ。喉に穴を開けられる謂れはないのだが」


 扉を開けるや真横からナイフを喉元に突き付けられた男はすぐさま観念したように両手を浮かせた。


「すみませんね、例外を設けては命に関わる」


 来客が予定通りの者であること、一人であることを確認すると黒マントのフードをすっぽり被った男はナイフを収めた。顔を晒すことはしないが来客を豪勢な部屋の奥へ促し、自身は2つのグラスにワインを注ぐ。


 部屋は豪華絢爛ではあるが窓をすっかり締め切ってカーテンにも遮られた密室となっていた。大きなベッドの脇には一人分の甲冑が乱暴に投げられており、成金が旅先で贅沢を楽しむという風ではない。


「それで首尾は」


 受け取ったワインを少し揺らし、広がる芳醇な香りを楽しむように鼻を近づける。その質に合格点を与えたようで少し口を付けると客人はどっかりソファに腰掛けた。


「万全と言っていいでしょう、いつでも実行可能です。あとは若者が引き金を引きますよ」


 黒マントの方は酒瓶の棚から離れず壁に寄り掛かる。別に友人でもあるまいにと距離を取っているようにも見えた。


「発見されないということは?」


「そこまでボンクラではないと思いますがね。クラウスもアップルトンも鼻が利きます、そこらの中年太りした兵士よりよほど使えますよ。私もこれから発ちますから不具合が起これば修正しますし」


「だがこの前はずいぶん大胆だったじゃないか王都からの使節を殺すなど。露見して南のユニコーンと衝突することになれば全てご破算だぞ」


「それに関しちゃ下手人はバレませんよ。オギカワと違ってしっかり処理しましたからね。直ぐに奴らへの貢物が必要だと言ったのもアナタでしょう。生贄なんてこれから幾らでも手に入ったのに」


「感謝はしている、納期を守るのは信用の第一歩なのでな。しかし自ら危険を冒さずともあれを使えばよかっただろう。強大な力を手に入れた君は今や裏の大物なのだぞ」


「だからこそ異能は必要以上に見せたくはない。自分が鈍るのも御免ですし」


「……兵士の勇ましさと慎重さは私には使い分けが利かんな」


「こっちだって経営者の気持ちはわかりません。復旧に阿保みたいな大金投げうって本当に砦の新しい城主なんてなれるんですかね」


 指摘に思うところあり客人はぐいと酒を飲み干し、空っぽのグラスを持ち上げた。小さなガラスに囲まれた空間の中に財宝が封じ込まれているかのように見つめている。


「城主というのは感覚が古いな、土地に縛られ血縁が支配する化石のような統治機構など私は興味は無いよ、生まれがいい訳でもないのだから。欲しいのは権利さ。オギカワが蘇れば豊富な資源・交通の要地・高い防衛能力、どれも1級品だ。それらの実権を握るには割れたグラスを誰が直し、再び酒を注いだのかということがとても重要なのだ」


 ようやく本音を少し見せたかという様に黒マントの男は酒瓶を持ち、客人と相対したソファに座り互いのグラスを再び埋める。


「そこの駆け引きは全く不得意なもんでね、俺は注がれた酒を後ろから引っ掴んで飲むだけだ」


「これからはそうはいかんぞ、我々は『カンパニー』の一員なのだ。今回の仕事で君もそのガントレットの代金を払い終えるだろう。今後は自分の持ち株を増やすのに少しは執心したまえ。……いや、私はもう結構」


 ベッドの脇に鎧を脱ぎ捨てているはずが何故か左腕のガントレットだけは装着したままの黒マントの男は、3杯目を断られると「善処しますよ」と酒瓶に直接口を付けぐいと傾けた。

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