第3話 ジェリスヒル

 その都市『ジェリスヒル』は白い分厚い城壁に囲まれていた。幾重にもそそり立つ石造りの美しい建築物群はまるで超巨大な石の薔薇のように城壁の中に敷き詰められている。


 植物は悪い空気を吸い込み私たちが呼吸出来るように綺麗な空気を吐き出すというが、この巨大な白い薔薇はきっと逆だ。工業都市でもある此処は数か所からもうもうと黒煙を吐いている。あんなものが肺を行き来しては直ぐに病に伏すだろう。


 そして街道という茎から飛び出る棘。名高い強力な軍は此処へと続く要所や門に配備され外敵を近づけない。


 勢力圏の近郊の街々を含めて数十万の人間が住む都市同盟の中でも五指に入る列強の一つ。荘厳で秀麗ながらもその経済・武力における国力の高さまでも見せつけるその佇まいは、此処に踏み込むのならば相応の力を持っているのだろうなと軟弱な田舎者を振るい落そうとする威厳を備えていた。


**


「ここが囚人街……」


 騎士として叙任されたばかりの女性、アイナ・コーエン。彼女が命じられ派遣されたのはこのジェリスヒルだった。


 この都市の東部には『囚人街』と呼ばれている高い壁に囲まれた区画がある。


 世にも珍しい牢獄の街。


 罪を犯した者たちがここを拠点にして働き、課された『懲役金』を返済することでその罪を償う。


 牢でタダ飯食わせる義理はない――。何代か前の領主がそう臣下達にまくし立てつくられた街。当時の領主曰く「懲役何年とか座して反省とか、そんなくだらない時間潰しはない。さっさと働いて迷惑を返せ」とのことらしい。


 故にこの都市では懲役とは金額で表示されるものだった。一つ盗めば懲役10万ゴールド。一人殺せば懲役1000万ゴールド。そんな調子でこの囚人街に移送され便利な労働力として働くことになる。稼げなければ時間は関係ない。生涯をここで奴隷のように処遇され終えるか、『刑軍』に回され遠征先で死ぬか。


 もしくは、錠の代わりに掛けられた呪いの誓いを破り『刻爪の呪い』に心臓を抉られるか――。


 そう聞いていた。


 アイナは一時間ほど前に4人の護衛と共にこのジェリスヒルの囚人街にたどり着き、「囚人ギルド」と銘打たれた施設で腰を落ち着かせた。いずれも彼女に何年も仕えている信用できる私兵だ。


 そして、この都市で幾らかの囚人の主となる。故郷の父がジェリスヒルの求めに応じこの都市に配属された彼女は、駆け出しの騎士として『刑軍』と称される囚人の兵士を手勢に加え、統率し任務にあたる。


 なかなかいい茶葉、昼前なのでどこからかパンの焼ける芳ばしい香りも漂ってくる。ここに来るまでの通りもそうだし、この囚人ギルドのロビーから見える外の景色も鉄格子の窓や鎖でつながれた者は見当たらない。なんていうか普通の街、一見。


 ここは地区全体が牢屋。囚人に贅沢させる理由はない、外側と比べれば勿論安っぽい質素な街の風景が演出されている。しかしそれは決して寂れて暗澹たるどんより雲を想起させるような場所ではなかった。


 前評判で抱いた印象とは少し異なり、活気がある。足に乾いた土が纏わりついている木造椅子と、先客がこぼしたのか染みがついたテーブル。罪人よろしく汚れまで幽閉するつもりかと衛生面では改善の余地ある空間だったが、次々と人が入れ替わり内外問わず足繁くこの施設が利用されている光景は囚人街の賑わいを示している。


 迅速に適応しなければ。私は騎士としての実績をあげるために此処にいる。街ではない、私自身が力をつけるために。


 アイナは待ち合わせの者が来るまでの間、新天地の雰囲気を掴もうと周囲を観察していた。治安はどうか、着ている服や食事などの生活の質はどうか、一般の市民との関係性はどうか。今日からこのジェリスヒルで暮らすのだ。そして護衛たちもそれは同じだったようだ。


「意外なものですな。よその職人ギルドなどと比べてもさして変わるところなどありません。茶菓子もうまい。案外と明るいムードもあるようで、行きがけには吟遊詩人もおりましたな」と年長の護衛ヴェルネリはクッキーを齧る。


「例の『刑軍』以外は罪人と市井の者の見分けもあまりつきません。好きな衣服を着ているようです」と背の高い護衛フラク。


「だが住居は木造の素朴なものでしたな、このギルドもそのようですし。逃げられぬよう堅牢にというよりは金を安く抑えた街の作りです」と長い髪の護衛ディンゴ。


「皆楽しそうですね。俺はまだ不満たっぷりですけど、アイナ様を遠方に飛ばして囚人の部隊を率いさせようなんて。叙任されたのは騎士であって看守じゃない」と一人だけ不満を露にする若い護衛エリオ。


「周りに聞こえる声では絶対に言わないでくださいねそれ。家にも立場を維持するために家族それぞれ責務があるんですから文句言っても仕方ありません。でも、確かに大通りを歩く分には危険な雰囲気はありませんでしたね」


「アイナ嬢。この建物に罪人は入りませんし、やさぐれた者は時間や通り道を皆とはずらすものです。後でもう少し歩いてみましょう。ですが、その時は視線の配り方には注意を。あまり色々見ようとするのは悪目立ちします。こういった雑多な場所は全体を俯瞰して観るのです」


「……気を付けます」


 ヴェルネリの言った通り、囚人ギルドは名に反してその場に囚人は一人もいない。考えてみれば当然のことで、罪人は権利を制限される。職能に応じて希望はあれど、使う側が何をさせるか勝手に決めるのだ。


 あそこの掲示板で新参の囚人リストを眺めている商人は計算の得意な者を探しているだろうし、あの窓口にいる腰にハンマーを備えた鍛冶屋は力自慢を探していることだろう。ちょうど受付嬢と話し合う声も聞こえてくる。


 耳は簡単。目玉のようにきょろきょろしたりしない。


「ではこちらの者はどうでしょう。武具屋に勤めていた若者で懲役金は600万ゴールドです。規則だと……完済までに二年は勤めることができるかと。ええ、給金としてはこれ以上は負かりません」


 あのようにギルドにリストから勧められ、窓口での交渉で雇い主が了承すれば当の本人に否応はない。言われたことを言われたように働き懲役金を返済する。


 だが、それ自体が悲劇という風にはアイナは捉えなかった。


 自身がこの都市にやってきたのも、地方都市を治める父とそこの騎士団長と政治にかかわる数人が勝手に派遣地を決めたのだ。勝手に。


 自分の道を誰かに決められるのは世の常。それは罪人に限った話ではない。


 そして、かつて武具屋で勤めていた若者の行く末がまとまり、紙切れに判が押されたあたりで待ち人が現れた。


「コーエン殿!アイナ・コーエン殿はおられるか!」


「は、はい!私です!」

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