第29話 鬼とツバメ
長さはアイナの腕よりも短いくらいだろうか、その細い木製の杖にらせん状に文字が刻まれている。
手に取るだけで魔力を消費している。
杖を持つ手は汗も血も引いていくようなひんやりとした感覚が覆っていて、指先から肘のあたりまでが気だるい。肉体を稼働させる生命力自体がこの杖に奪われているようで呼吸すら手間に感じてくる。
長い時間持てばそれだけで気を失ってしまいそうだ。強い、魔法の力を宿した杖であると確信できた。
「間違いないです、なんの力を持つ杖でしょうか」
「確かめる方法は1つ、詠唱してみることだ。外で試そう」背後で促される。
久々に大物を発見した。
いかな環境にあっても成果が上がるというのは嬉しい。人的損失に関してはどん底もいいところのアイナにとってはささやかな慰めだった。
――今の称号は5等級の騎士。部下の仇に新兵の補充、責務は山ほどあるが最終目標の1等級まで少しずつでも進まなければ。
しかし、期待に満ちた顔で入口へ振り返ろうとした瞬間だ。
ただじゃやらない、楽などさせぬ。そう狡知の神に遊ばれているように感じるほど水を差すタイミングでこの盗賊の館でのエンカウントは起きた。
「避けろっ!」
ばぎんと床を蹴破るような音がしたか途端、1人の男が猛烈な勢いで物置部屋に飛び込んできた。
ぎゅるりうねる様に放たれた強靭な破城槌――。そう脳が錯覚し危険を知らせるような突進。力強い1歩1歩が加速をうみだし到達点への威力を上昇させていく。男の腕はアイナに向けて真っすぐと伸び、その獅子のような鋭い爪を備えた手はまるで巨大な5本の鏃。掴まれればトラバサミのように閉じて何であろうと握りつぶそうという威圧を放っている。
そして襲撃者の額には角が生えていた。
先んじて視界に収めたヨカゼは本日2度目となるとなるナイフ投擲。手首を効かせて最短で放った刃は襲撃者の伸びた上腕に刺さった。それにより僅かに逸れた突撃の軌道とアイナの回避行動が合わさり鋭い爪は空振り、体ごと書棚へ突っ込む。
がしゃんと棚は派手に壊れて角のある男は重なっていた本と棚の破片の下敷きになるが、その崩落による粉塵が頂点に舞い上がるよりも早く起き上がる。効いた様子もなくすぐさま再びアイナを狙った。袖の無い上着で露出している右上腕、そこに刺さったままのナイフも意に介さない。
「止まりなさ――」
速い。一飛びで間合いを詰めアイナの足元で低く低く腕を振りかぶる。呼びかけなどする余地もなくただ目的を果たそうとしている。相貌は若くせいぜい10代後半といったところか。男の目は大きく見開き、食いしばった口元といきり立った髪の毛は反抗期という表現では済まされない激情を表していた。
「おらあああああ!」
アイナは男の右の振り上げを左腕に装着していた円盾で受け止めたが、その凄まじい衝撃は腕を弾くだけでは済まさず、拳の勢いに押し流されるように体ごと1回転して壁にぶち当たった。
「くあっ」
特別体格がいい訳でもなく背丈も私より少し大きい程度。だがこの凄まじい膂力、その額に生えた1本の角。
「お、鬼の種族……」
背中を思い切り壁に打ち付ける、その衝撃をミスリルの鎧は吸収し切れず数舜呼吸が止まる。息を吐ききってから泉に頭までぶち込まれたかのような感覚。左腕は痺れて動かせたものではない。杖を握っている左手は自分のものではないようだ。せめて腰のレイピアを抜かねばと思うものの立ち上がることすらままならない。
角の男はそれを見て肩から下げていた鞄に手を突っ込み何やら取り出そうとする。しかし、今度はカタナを抜いたヨカゼが反撃に転じた。
アイナを狙った彼の後ろを取るように横に1歩流れ、その踏み出した右足を起点に素早く目標へ飛ぶ。喉元を貫かんと片手持ちしたカタナで刺突を繰り出した。刑軍仕様の濃紺のロングコートがたなびく。
「邪魔すんな鎖付きがあ!」
襲撃者は吠えながら地面を蹴った。真上に飛び上がると体を捻り水平の態勢で突きを避ける。同時に捻った勢いのまま打ち下ろしの掌底をヨカゼの顔面に叩き込まんとした。
――ただの掌底じゃない。ご丁寧に目を抉ろうと爪を立てていやがる。
突きの勢いのまま体は前に出るものの首だけを引き、鋭い剛腕は寸前で空を切った。
「野良猫なのが自慢かクソガキ」
「おうよ。なんならその胸の黒い鎖を剥いでやろうか?俺が釈放してやらあ!」
一撃を決め損ねた両者は位置を入れ替えた形になりヨカゼの足元に倒れたアイナが、角の男が出入り口に立ちふさがる格好になる。
角の男はもう1度鞄に手を突っ込み、複雑な文様が描かれた木版を取り出して見せる。それをぽとりと足元に落とすとばきんと踏み抜いた。
割れた木版が輝きだし、物置部屋を白い光が下から包み込む。
「『パネル』!?」
「流石は刑軍様だなあ。『転移のパネル』だ。10秒でこの部屋丸ごと飛ばすぜ」
「随分大胆な盗み方だなおい」
「いいからさっさとこいよ。俺を殺してツレと此処を出なきゃ『狩場』に飛んでっちまうぜ?」
にやりと笑いデスマッチを強制してきた若い鬼。ここを拠点にしていた盗賊の残党なのだろうと推察できたが、彼を見るとヨカゼの脳内には値踏みローブが愉快そうに、うざったく浮遊する姿が想起される。
なんであの布っ切れは現場の危険度を鑑定額に考慮しないんだ。
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