第5話 刻爪の呪い

「おい刑軍の処刑だ!ジャック・アップルトンが刻爪を使う気だぞ!アップルトン隊の兵舎だ!」


 アイナ一行が囚人ギルドを出た瞬間に聞こえてきた喧騒がそれだった。


「処刑!?」


「穏やかじゃないですね」


「しかも『刻爪』を使うと言っていた」


 仰天するアイナ。フラクは辺りを見回し騒ぎの方向を見定め、ディンゴは野次馬に向かう連中の話声に聞き耳を立てる。


 刻爪の呪い。刑軍のみならず囚人街に運ばれた罪人すべてに掛けられた呪いだ。


 この呪いはジェリスヒルの領主に代々伝えられてきた魔法で、罪人の心臓の位置に獣に引き裂かれたような痣を残す。一度その痣を刻まれてしまえば領主や騎士の命令と、課された懲役金に縛られる。背けば痣が暴れだし心臓を引き裂くという。


「我々も行きましょう!」


 深刻な表情で駆けだすアイナ。


「あ、行っちゃいましたよ」


「正義心で暴走すれば厄介なことになりかねませんよヴェルネリさん。処刑する騎士の家柄によっては初日から揉め事を背負います」


「相手の家柄で臆してどうするディンゴ。これからここで一旗揚げるんだぞ」


「全く、案外平和な場所なのかと思えばいきなりこれか。アイナ嬢!行っても止める権限はありませんぞ!」


 慌てて護衛の4人は後を追った。


***


 道行く人へぶつかるのもそのままにして刑軍の兵舎へ走る。大通りを北側に抜けて、食堂のところで左へ曲がり、武具の手入れ場を通り抜ける。


 そして、件の現場らしい兵舎に着いたのはまさにその瞬間だった。


 刻爪の呪いを発動する瞬間だ。


 そこでは聴衆が円を作るように集り、その中心で騎士らしき鎧姿の人物が一人の男をどかどかと踏みつけていた。服などとっくに破り捨てられ丸くなって倒れている方の男が件の刑軍だろう。


 「待ってください!」と人だかりに割って入るが聴衆の壁と喧騒は厚くアイナの声は届かない。


 騎士らしき男はやがて飽きたようにため息をつき、倒れている男の肩を蹴り無理やり仰向けの状態にさせる。するとだらりと半回転程した刑軍の男は胸にある大きな黒い痣が露になった。


「ひっ」


 大きい、巨大な獅子に心臓を狙われ引き裂かれたかのような痣にアイナは思わず小さな声を上げた。


「あれが……刻爪の呪い」


 エリオは生々しい魔力による黒に息をのんだ。


「やめろ!」「もう終わりか!?」「やりすぎだ!」周囲からは様々な声が飛び交うが仁王立ちの騎士は一顧だにしない。


「お前の名はモーリス・エメ。そして……お前の言葉鍵は『明るくも昇らぬ太陽』」


 そして呪文を唱えた。名前と呪いが暴れだす言葉鍵を。


「すみま……せん。もう決して……」


 どれだけ甚振られたのだろうか。顔は血と青い打撲傷でもう表情もわからない。息も絶え絶えで弁解をしたいのだろうが発声もままならない。


 だが地獄はまだ終われず。男の心臓の上に刻まれた痣、それが動き出す。痣は誰かがノックでもしているかのようにぼこん、ぼこん、と皮膚の内側から不規則に叩いているように膨張と収縮を繰り返す。そして徐々にそのペースは上がっていく。


「やめっ…ぎゃっ…あ」


 その苦しさに一層喉を動かすことが困難になった男は激しく悶え苦しんでいたが、痣のノックがどどどど、と思い切り拳を連打するような調子になった時に限界を迎え、ついに弾けた。


 男の胸は、熱し過ぎた餅の膨らみのようにぱんと破け、辺りに血のしぶきが降る。抉れた胸からはみ出ている胸骨は心臓をぶち破った魔獣の白い爪のようだった。


 モーリス・エメという名らしき男はもう二度と立ち上がることはない。彼はこの街に囚われ、刑軍として使われ、そして全うできずに死んだ。


 胸が弾き飛び死んだ。


 これが囚人街の現実。


 これがアイナの拠点となるジェリスヒルだった。


「よく聞けお前たち!遠征地でこいつが魔物に気を取られ炎の罠を踏んだせいで、見つけた指令室は燃えた。価値あるものが燃えた。レッドパンサーの毛皮も、情報が記された書物もな」


 配下を呪い殺した騎士は、兵舎の周りに集まっていた刑軍に聞かせるように大声で語る。その笑顔は正に狂気をはらみ、何もわかっていない子供にでも伝えるような大きな身振りだ。既に処刑が終わった後だというのに屈強な刑軍がゴロゴロ混ざっている聴衆を後ずさりさせていた。


「そして逃げた!サルベージの任務を忘れて、騎士の護衛も忘れて一人で退却した。これは『刻爪の呪い』を発動するに値する敵前逃亡だ!よく覚えておけ。お前たちは自由ではない、囚人なのだとな!」


 呪いによる死者。それも飛び切り残酷な。立ち尽くしていたアイナは騎士の演説が終わってどこぞへ歩き出した頃に我に返った。呪いの恐怖かあの騎士への義憤を抱いているのか握った拳が震えている。


「あの人、何言ってるんですか?あんな演劇みたいに喋って、主人公気取りで手を広げて。人を殺したのに」


「アイナ様、これであの者が矛を収めるなら動いてはなりませんよ。噛みつけばどこぞの家と敵対するかもしれません」


「だから何です!処罰で処刑にしたってその前の殴る蹴るは要らないじゃないですか!あんなのは裁きとはいえません!」


 ディンゴが諫めるもアイナはいきり立ってしまい、文句の一言でも目の前で言わないと気が済まないと騎士がさっと方向に歩き出すが、むんずとヴェルネリに肩を掴まれた。


「アイナ嬢、碌な事情もわからずにいけませんぞ」


「で、でも!」


「アレを行う権利はアイナ嬢も持っているのですぞ。今日よりここで囚人の主となるのです。もしその時に他所の者に反論されてはメンツが立ちませぬ」


 ヴェルネリに釘を刺され、ハッと起きているのに更に叩き起こされたような顔をする。


「……私も、あれをいつかするんですか?」


「機会が無いことを祈りますがな。私でもこれは胸に刺さります。とても善行には見えませぬから……ふむ」


 私は勘違いをしていた。


 駆け出しの女騎士――。そんな存在に囚人たちが従うものか、舐められ指示は左から右に。鬱積した感情で勝手に争いだし回収物を取り合う。そんな苦難を想像してここにきた。


 だがそれはどうやら違う。彼らは刻爪の呪いによって強力に支配されている。どんな小競り合いであれ彼らにとっては死と直結する劇毒となる。絶対的な上下だからこそ、その存在を上に立つものが定義できる。勇者だろうと意志を奪われた肉盾だろうと。

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