4章 クソガキ
第27話 舞い戻る鬼
「やっぱりやめようよゼンキ。危ないって。逃げようよ」
そう声を掛けられたまだ10代であろうと思わせる若い男。背丈はそれほど大きくなく細身だが、袖のない上着から見える腕は豹を思わせるようなしなやかで力強い筋肉を備えていた。
背後に怯えたように隠れている女は、同じような格好をしているものの粗末な仮面で顔全体を隠している。眼穴と笑顔に見えるような形で口が彫り込まれているだけの白い仮面。女はゼンキと呼んだ男の上着を両手で掴みながら逃走を繰り返し訴えている。
そして何よりの特徴として、茂みに隠れたこの男女の頭部には角が生えていた。
男には額に1本の白い角。女はそれよりも短いが角が2本。
2人の衣服はかなりくたびれており履物も自作したような藁でできた草履。互いに肩下げの鞄を持っているものの膨らみはなく貧寒さを伝えるに十分な身なりだった。
「諦められるかよ。また別の方法なんてどこにそんな当てがあるってんだ」
「だってあれ刑軍の馬車だよ。おっかない囚人がウロウロしてるってことじゃん」
2人はつい最近まで拠点としていた館を裏手にある森林から隠れて伺っていた。
館で同居していた盗賊仲間があらかた捕まったと聞き駆け戻ったのだ。だが此処に到着したとき丁度表に馬車が一輌停まり、その馬車の幌には手錠が描かれた紋章と十字架を背景にしたユニコーンの紋章が入っていたので裏に回り身を潜めた。
あの馬車の乗り手が都市ジェリスヒルから遣わされた刑軍とどこぞの騎士の組み合わせであることは明白であり、歯向かえば捕縛され館で盗品を発見されればサルベージと称してまるっと押収されてしまう。最も警戒しなければならない相手としてここらで活動する無法者にとっては常識となっている事だった。
「別に戦いに行くわけじゃない、自分の家に戻って杖1本取ってくるだけだ。それに俺達だって盗賊だろ。捕まってない分こっちの方が優秀な悪党さ」
「見習いでしょ4ヵ月しか経ってない。私はいいから。このままだって生きてくのに何にも問題ないよ」
「問題ならあるだろ。その仮面は全然似合ってねえ」
「に、似合ってるもん。大体これ買ってくれたのゼンキでしょ!」
女の上着を掴む力がさらに強くなる。
「去年の夏祭りにな。年中そんなガキのお面つけてるのがツレなんて勘弁しろよ」
「だったら今年また別の買ってよ。それまでに普通のお仕事探そうよ」
「今日の仕事が済んだらそうするさ。いいか、俺はこのパネルを持ってる。お前はそのトーテムしっかり持っとけよ。そうすりゃお前のトコに直行で戻ってこれる」
痩せた鞄をめくり、入っていた複雑な紋様があしらわれた木版をちらりと女に見せた。すると女は上着を掴んでいた手がはっと慌てるように自分の胸元に戻り、首から下げている小さな木像を握りその存在を確認する。
「だって――」とそれでも反論を続けようとする女だったが、その瞬間大きな物音が届き言葉を遮った。
がたん。
どこん。
置物をどかしているのか荒っぽく扉でも破っているのか館から間断なく音が響く。
「もうサルベージ始めやがった」吐き捨てると今度は1本角の男が2本角の女の両肩を掴む。
「ミョウキ。くそったれなお仲間が皆捕まって、今あの館に入っていったジェリスヒルの連中は2人だけ。間違いなく俺たちの人生で最高のチャンスだ。そうだろ?」
「……じゃああたしも行く。2対2なら勝てるかも」
「戦いに行くんじゃないって言ったろ隠れて動くのは俺だけの方がいい。もし見つかっても人間2人なら俺だけで問題ない。この角を賭けてもいい、絶対に負けない」
話はもう終わりだと言わんばかりに強い目で男は見つめ、両の肩を掴んでいる手にも力が入る。
そして女は癖なのだろうか。小さく丸くなってしゃがみ込みしばらく黙り込んだかと思うと、白い仮面の内側で大きく息を吸い深呼吸をする。
自宅の裏手の森、何かおかしな香りが立ち込めている訳でもないいつもの木と土の臭い。肺や鼻を通る空気で男の事の成否を嗅ぎ分けることなど出来るはずもないが、なんとか落ち着く事と納得する事を同期させようとしているようだった。
「失敗してもいいから。見つかったら絶対にすぐ戻って」
そうしてようやく同意の言葉を得るとミョウキと呼んだ女の頭を軽く撫で、ゼンキは身を低くして館に近づいていった。
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