あの戦いを経て 東京陣営
神奈川県内、某所。
未だ豊かな自然が残り、川のせせらぎと緑のざわめきとが鼓膜を揺らす喉かな風景の中、ポツンと存在する小さな児童養護施設。
神奈川県内でも特に心に深い傷を負った子供達が集められ、現在五〇人近い数の子供達の面倒を、毎日十人前後の職員で看ている。
その中の一人に七年前の異境にて東京陣営を勝利に導いた
職員の中でも比較的若く、整った顔立ちで物静かな雰囲気の彼は女性職員からも人気があったが、残念。
名字が示す通り既に既婚者。首からネックレスにした結婚指輪を光らせていた。
指にしないのは落としたらいけないのと、子供を抱いたときに痛がらないようにするための二つの理由からである。
「あいはらせんせぇ、だっこぉ」
「わたしもぉ」
相原――基、堺は二人の女の子を片腕ずつで抱え上げる。
二人共眠いのか、堺に抱き上げられると安心した様子で寝ぼけ眼となっていき、ゆっくりと眠りに落ちていった。
「相原は子供を寝かしつける天才だなぁ」
と茶化すように話しかけるのは、堺と同じ大学を出た先輩だ。
この職場を教えてくれたのも、この先輩である。
だが先輩からしてみれば、異境の勝利報酬として多額の賞金をもらったはずの堺が働く場所を探していると知ったときには、それは驚いたものだが。
今となっては堺が来てくれたお陰で小さい子供――特に女の子が堺にべったりなので、とても助かっている。
先輩では体が大き過ぎて、小さい子供達に怖がられることが多かったからだ。
「相原も随分、ここに慣れてきたな」
「そう、で、しょうか」
「まぁ最初よりは慣れてきたように見えるよ。子供達も随分とおまえに懐いたものだ」
確かに最初こそ酷かった事は、堺も憶えている
先輩の推薦もあって無事に職員になれたものの、子供達は表情がほとんど変わらない堺を怖がって、なかなか心を開かなかったものだ。
結局堺だけでは、いつまで経っても子供達が心を開くことはなかっただろう。
きっかけは彼女――奥さんである相原
彼女は傍から見ても素敵な女性で、その時は夜勤になる堺に弁当を渡しに来たのだが、二人のやり取りを子供達が見ていて、素敵な女性が惹かれた男性として彼に興味を持ち、話してみれば不愛想なだけで優しい人だとわかり、女子を中心に人気になっていった。
不愛想だが、基本は整った顔立ち。
男子ならば誰もが羨む俗に言われるイケメンで、クールな性格と物静かなところとが大人っぽく映ったのだろう。
さらに七年前の異境の勝者だとわかると男子からも尊敬の眼差しで見られ、今となっては一番人気の職員になってしまった。
子供達が次から次へと来るので困った時期もあったが、そもそも自分と同じ孤児が成長出来るよう手助けしたいという気持ちから就職を希望していた堺にとって、子供達の精神的支えになれることは嬉しいばかり。
悪い気などするはずもない。
自分の腕からスルリと抜けて、布団の中に落ちる子供達の寝顔を見て、堺は微笑みを浮かべた。
「相原くん」
部屋の外で、老齢な男性が手招きしていた。この施設の院長だ。
呼ばれて行くと、年季の入った腕時計を見てよしと頷き、自分より高い位置にある堺の肩を叩き、満面の笑みを浮かべて、
「もう今日はいい。帰ってあげなさい。奥さんが、君を待ってるんだろう?」
「で、すが……」
「大丈夫、勤務時間は今終わりました。あとは私達に任せなさい」
「……で、は。お願いしま、す。お疲れ様、でした」
「はい、お疲れ様。ご家族によろしくね」
施設には四台の車が止まっている。
一番端の軽自動車が、堺のキーから発信される電波を受けて置き、目を開くようにライトを光らせる。
バスが通っているとはいえ、山道に近いそこは夜になると街灯が並んでいても薄暗い。
元々交通量の少ない道で、夜になるとさらに数が減るために対向車などほとんど来ない。
とはいえ、堺は真面目に、制限速度を護って走行していた。
車に乗ると性格が変わる人間は多いと聞くが、堺にその傾向はない。
むしろ相原と結婚したことで、安全運転を心がけるようになった。
それを象徴するかのように、堺の運転する車の後部座席には設置したばかりの真新しいチャイルドシートが二つ、並んでいる。
バックミラー越しにそれが視界に入る度、堺は相原の両親に挨拶に行った日を思い出す。異境が終わってすぐのことだ。
孤児という理由で遠ざけていた彼女の両親は、堺のことを手厚く歓迎した。
掌を返したような対応に堺も驚いたが、日向が怒った。
両親は堺が受け取った賞金と、その時まだ使っていなかった褒賞の使い道を狙っていたのだ。
娘とくっ付いてくれれば、自分達もそのおこぼれを貰えると思っていたらしい。
その事に娘は激怒し、縁を切るとさえ言ったのだからその時の両親の焦り様は仮に
焦った両親はすぐさま謝罪したものの、娘の怒りは治まらない。
そのとき堺は相原を諫め、その場で深々と頭を下げて、
「俺、は。あなた方の言う通り、孤児、です。そんな俺に、とって……娘さん、は、太陽、そのもの、です……どう、か、その光、を、俺にも分けてはくれ、ませんか。俺に、娘、さんとの、家族を、作らせ、て、くだ、さい。お願い、します」
堺の誠実な姿勢と、自分達の浅ましさを目の前にした両親に反論を挟む余地などない。
大学を卒業した後でならという条件付きにして、二人の結婚を前提とした交際を認めざるを得なかった。
その後五年の月日を経て無事に大学を卒業し、結婚。
堺の姓は不吉だと嫌がり、婿入りということで相原姓になった。
そしてそれから二年。相原日向のお腹には、二人の子供が宿っていた。
エコー越しに子供の姿を確認したとき、堺は初めて相原の前で泣いた。
実の両親に見捨てられ、孤児院でも学校でもなかなか友達が出来なかった自分が愛する人と結ばれ、子供まで授かることが出来るだなんて、学生時代には思いもしなかった。
安全運転で病院へ向かうと分娩室前のソファで、
彼女の脚にしがみついているのは、二人の間に生まれた一歳の娘である。
彼女が生まれたときには成瀬の代わりに相原夫婦が常盤に付き添い、遅れて到着した成瀬と共に彼女の誕生を喜んだものだ。
名前は成瀬
母親に似て可愛い顔をして、父親に似て少し無口な女の子である。
「堺、来たか」
「奏多、今はもう相原くんだよ」
「あぁっと、そうだったな。とりあえず間にあってよかった」
「先輩、方。来て下さって、ありがとう、ございます」
「いいっていいって。俺達のときも来てくれたからな。お互い様だよ」
「そうそう。それに異境だって、相原くんのお陰で勝ったんだもの。私達に出来る事なら何でも言ってくれていいんだよ」
七年前の異境以来、二人とは連絡を取り続けていた。
成瀬は異境の勝利報酬として世界中を旅して回った。
常盤は保育士になるために大学に入学して資格を取り、帰って来た成瀬とめでたく結婚。神奈川県の保育園で働き始めた。
そして一年前に小鳥を生み、現在は三人で暮らしている。
ゆくゆくは二人の賞金と常盤の勝利報酬を使って外国に孤児院を開き、生活に苦しんでいる子供達を助けるべく移住する計画を立てているらしい。
曾祖父から戦争について多くを聞かされ、自分の目でも多くの紛争地域を見てきた成瀬だからこそ出せた結論だった。
常盤も彼の妻として、それを献身的に支えるつもりだ。
なんだかんだで良い夫婦である。
「こぅたぁ、だっこぉ」
小鳥は成瀬よりも、堺の方に懐いている。
かなたよりもこうたの方が覚えやすかったからか、父親の自分より先に堺の名前を覚えられてしまったことを、成瀬は未だショックに思っていた。
確かに外国によく行くので家族の時間は短いのだが。
そして堺も仕事柄、子供の扱いに慣れているわけで。
「こぅたぁ、ちゅっちゅ」
「ごめん、小鳥。光汰のちゅっちゅは、日向のもの、だから、できない」
「やぁやぁ、ちゅっちゅぅ」
「コラコラ、小鳥。光汰お兄さん困らせちゃダメでしょ。ごめんね、相原くん」
「問題、ありません」
ショックではあるものの、成瀬は小鳥をあやす堺を見て安堵した。
七年前こそ他人との付き合いも苦手で、子供の面倒など見られそうになかった彼だが、この様子ならば自分の子供も大丈夫そうだ。
「そう、いえば……遠藤、先輩。また異境、出てました、ね」
「そういえば出てたね。また名前変わってた」
「まったく、結局あの人何歳なんだろうな」
そんな遠藤とも、一応連絡は取っている。
彼が優勝賞金と褒賞をどのようにしたのかは聞いてないが、未だ名前を変え、年齢不詳の参加者として異境に出続けている。
結局未だに正体不明の人であるが、成瀬夫婦や相原夫婦の間に子供ができたと連絡すると決まって「そっかそっか、おめでとう。ネズミのようにたくさん産み給え」とメールが送られてきて、後日ご祝儀が送られてくるのがお決まりだ。
そんな彼と七年前の異境の後、送られた最後の言葉を憶えている。
「君はなんのために戦ったんだい? これから歩む彼女との未来のためか。それとも褒賞のためか。勝利の栄光は人を惹きつける。今回の戦いで、君を見る世間の目は大きく変わる。その時君は、何のために戦ったのか胸を張って言えるようにならないといけないよ。君の勝利の裏側で、神奈川陣営は負けたんだからね」
遠藤の言葉は正しかった。
相原の両親を始めとして、学校の友人らから向けられる視線も変わったし、道を歩いてるだけで話しかけられるようにもなった。
皆の自分に対する対応が、明らかに変化した。
もしも両親が生きていたら、それこそ掌を返してきたかもしれない。
しかし人々の反応が変わったことは、決して苦しいことばかりではなかった。
今の職場を紹介してくれた先輩然り、多くの人が孤児であった堺のことを知って手を差し伸べてくれるようになった事は、素直に嬉しいことだった。
相原と結婚したときも、多くの人が祝ってくれた。
だがもちろん、近寄って来るのはいい人ばかりではない。
特に多かったのは、相原の両親と同じく堺が貰った莫大な勝利報酬を狙った人達だった。
女性を使って、色目を使って来る人もたくさんいたが、自分が何のために戦ったのかを思えば、色目など使われたところで靡くわけがなかった。
人と比べて欲が少なく、そもそも勝ったところで報酬の使い道などないと思っていたが、今ならその使い道に迷うこともない。
今なら何のために戦ったのかがわかる。
共に戦ってくれた聖女は、国のために戦った。
だがそもそも戦いそのものがなければ聖女が戦うことはなかったし、聖女の死から青髭という怪物が生まれることもなかった。
しかし戦いさえなければなどと言う言葉は、彼女達への冒涜に過ぎない。
多くの戦いがあり、多くの命が散って作られたのが今の世界で、これからの戦いが作り上げていくのが未来だ。
いつか訪れる争いのない平和な世界を作り上げるために、これからも戦い続けていかなければならない。
そんな矛盾を孕んだ不条理に、立ち向かっていかなければならない。
「相原さん」
分娩室の扉が開く。
同時に聞こえてくる声は、この世界に生まれいでたと高々と宣言して、堺の頭に鳴り響いた。
「おめでとうございます。男の子に女の子、二人共元気ですよ」
「双子か?!」
「凄い! おめでとう、相原くん!」
「ありがとう、ございます」
だが真にお礼を言うべきは看護師でも、二人でもない。
堺は分娩室に入り、二人の子供達を見て泣いている妻の頭を撫でる。
それこそ、大量の涙を流しながら。
「あり、がとう……ありがとう……生んでくれて、ありがとう。生まれて来てくれて、ありがとう。本当に、ありがとう……」
これからも多くの困難、苦痛、辛いことが待っていることだろう。
それはどんなに拒んだところで、強制的に引きずり込まれる災厄だ。
嫌だと言ったところで逃げ切れない最悪だ。
そんな時、自分は戦わなければならない。逃げてはならない。
これからこの世界で生きる子供達のために。
子供達が生きていく未来には、どうか争いがないことを祈って。
そして異世界へと帰った彼らの世界にもどうか、平穏が訪れることを祈る。
生きていた時代も異なって、今や生きる世界すら異なった自分達に、祝福を祈ってくれた聖女にも、そのほかの異世界で懸命に生きる転生者達にも、安らかな日々を。
「光汰……名前、付けてあげて」
「決めて、ある。名前は――」
どうか力強く生きられますように。
そのために、自分も戦うから。君達を守るためなら、何度だって。
異境(いさかい)-神奈川vs東京ー 七四六明 @mumei
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