鮮血魔嬢

逃亡 神奈川陣営

 上鶴かみつる牛若丸うしわかまるの脱落は、通告ですぐにわかった。

 見失った彼女達がやられたことは、自業自得だと捨て置くしかない。

 例え彼女達がチームのために戦ってくれていたのだとしても、自分勝手に振る舞った罰だと罵るほか、今の鎌倉かまくらに余裕はない。

 何せ絶えず、無限に伸びてくる鎖に追われているのだから。

 どれだけ狭い道に入っても追って来る。

 それも一本だけではなく、数十本の単位で一斉に襲い掛かって来る。

 舌を何度も出し入れしながら、獲物へと迫る蛇の如く。ジワリジワリと敵に詰め入ってくるそれは、鎌倉の体力を削ぎ、精神をも削いでいく。

 鎌倉のコンクリートを柔らかくし、操る能力を以てしても、鎖はどのような狭い隙間をも掻い潜って鎌倉へ刃を向けてくる。

 しかも同じ方向から、同じ数だけ来るのではない。

 違う方向から違う数だけ、恐ろしい総量で襲い掛かって来る。

 すべての角度、方向から同時に襲い掛かる鎖の総量は、百か二百かわからないが、とにかく厖大だ。

 エリザベート・バートリー。

 かの鮮血魔嬢。永遠の美しさを求めて、女の血を浴び続けた狂気の令嬢。

 てっきり血を基にした能力でも身に着けているのかと思えば、ただ無限に鎖を繰り出してくるだけ。

 まだその鎖を喰らっていないから、鎖に秘められている能力にまだ気付けていないだけかもしれないが、それでも喰らうわけにはいかない。

 もしかしたらだが、鎖が刺さった瞬間に血を吸われるかもしれない。

 そうでなくても、鎖に何か仕込まれていると考えるのが普通だ。

 無論、彼女が自身の持つ吸血鬼伝説になぞらえた魔法を会得しているとも限らない。

 海賊ティーチや牛若丸のように、自身の逸話にどこまでも忠実とは限らない。現にもう一人の転生者は、神話に名高い泥人形でありながら、近代兵器をまとった少女だった。

 ティーチの話では、異世界転生とは言っても転生する世界はたくさんあり、皆が皆同じ世界に転生しているわけではないらしい。

 ティーチの転生した異世界はそれこそ広大な海が世界の九割を占める世界だったが、牛若丸のそれは群雄割拠、まさに日本の戦国時代が永遠に続いているような世界だったようだ。

 もしかしたら生前の人生で、行くべき異世界が決まっているのかもしれない。

 だとすれば、エリザベート・バートリーが吸血鬼になぞらえた魔法を会得していておかしくはないのだが、そうとも言い切れない。

 少なくとも同じ陣営に例外が存在する以上、エリザベート・バートリーがその例外でない可能性はゼロではないのだから。

 結局、長々と論を語ったところで変わらないのは、鎖を受けてはならないという事だ。

 血を吸われるにしろ呪いを受けるにしろ、敵の攻撃を受けずにいていいに越したことはない。

 コンクリートを操る力を駆使して幾重にも防壁を作り上げ、鎖の襲撃を掻い潜る。

 いつの間にか、大和やまととも逸れてしまったが、彼がやられたという通告はない。

 無事に逃れていることを祈るしかない。そもそも自分は自分で、すでにいっぱいいっぱいなのだから。

 鎖は本当に、際限なく追って来る。

 どこまでもしつこいくらいに、追いかけてくる。

 しかも背後からだけではなく、前方からも左右からも、頭上からも飛び掛かって来る。

 町田駅周辺という戦闘領域の狭さを、鎌倉は改めて実感させられていた。

 広いようで、実はとても狭い。

 そう感じるのは、すでにこの町田駅周辺という領域内の大半が、鎖で埋め尽くされているからなのだが、しかし元々そこまで広い領域ですらない。

 端から端まで渡り歩くのに、三〇分と掛からないのだから。

 そしてその大半を、この鎖は蹂躙している。

 すでに町田は鎖の波で呑まれている。

 ティーチの海水の次は、吸血魔嬢の操る死の鎖だ。

 異境というだけのことはある。

 この町田という町が、すでに二度も異界の地と化した。

 本来は異なる県と県の境目を競う戦いだというのに、まるで異世界が侵略しているかのようだ。

 逃げ惑いながらも、鎌倉にはまだ考えるだけの余裕があった。

 そもそも何故、この戦いは異世界転生者をも召喚して戦うのだろう。

 まるで異世界転生者との戦いが、この先の未来に予見されているかのようだ。

 過去に行われた異境を何度か見たことがあるが、そのときも異世界の魔法が現代の県境を侵食するかのような戦闘が繰り広げられていた。

 異世界で会得できる魔法とはそれだけ強大で、規模の大きい者であることが見てわかる。

 実際にティーチの魔法を聞いたとき、真っ先に場を制圧する術として考えた。

 確かに彼ら異世界の存在が、現代に攻め込んできたとき、自分達に防衛の術はないのかもしれない。

 もしかしたら異境とは、そんな彼らとの戦いを想定した訓練の一種なのかもしれない。

 しかしそうだとしたら、異境に出た皆が口を揃えて、二度と出たくないという意味合いがわかる。実際に今、鎌倉も二度目があれば出たいかと聞かれれば、迷いなく首を横に振る。

 異世界から来た彼らの実力は圧倒的で、対抗出来るとすれば同じ転生者か、この異境に何度も参加出来るような心の強い者だけだろう。

 戦いとは本来、そんなにも凄惨で残酷で、恐怖に満ち溢れたものであることを、鎌倉は今、追われ続けている状況であるが故に改めて理解する。

 戦いは伊達や酔狂でするものではない。

 ティーチの言葉が、今になって深く刺さる。

 だから彼はあそこまで真剣に、尚且つ自身の流儀を守って戦っていたのだろう。

 決別するのはわかる。

 戦いをエンターテインメントにすらしてしまう現代人の感覚と、実際に命を懸けて戦って、死んだ彼ら転生者との戦いに関する感覚はまったくもって異なるものだ。

 その価値観の違いを埋める術はなく、双方理解しろと言っても難しい。

 沖縄の修学旅行に行って戦争の話を聞いたことがあるが、実感なんてこれっぽっちもわかずに眠気に襲われていた自分を思い出す。

 逆に彼らに、この世界がどれだけ不安定で平和なのかを説いたところで、理解はしてもらえないのだろう。

 だから逃げているのかもしれない。だから逃げるしかないのかもしれない。

 娯楽の上で戦っている現代人と、真に命を懸けて戦っていた転生者の間には、異能と魔法では計れない大きな経験の差が存在する。

 二つ目の人生を歩んでいるのだ。人生経験値に差があるのは当然のことだが、しかし実力にまでここまでの差があるのか。

 おそらく今までに異境に参加した現代人が、二度とやるものかと言うのはおそらく、彼ら異世界転生者に蹂躙されたからだろう。

 彼らとの圧倒的実力差に、敗北したのだ。

 だとすれば、自分にエリザベートにかつ術はない。

 かといってこの戦いに時間制限はなく、逃げていれば終わるものでもない。

 確かにこんな一方的な蹂躙、二度とごめんだ。

 ただただ逃げるしかできない。

 戦うために来たというのに、与えられた異能も逃げることに使うばかり。

 悔しい。悔しい。

 バスケじゃこんなことはない。

 バスケは敵のゴールにシュートを決める。敵陣深く切り込んで、速攻で相手の防御を崩して行くのに、今、逃げることしかできないだなんて――

「何?!」

 更なる脅威などごめん被る。

 突然遠方で起こった爆発に過敏に反応し、その隙に迫りくる鎖の存在に気付いてまた逃げる。

 コンクリートを操って締め切られた自動ドアを破壊し、店内に逃げ込む。

 今はなんでも逃げ切って、反撃の機会を窺うしかないと、逃げ込んだラーメン屋の厨房の奥で震えていた鎌倉だったが、一分後にふと、静寂に気付く。

 鎖が追ってこないこと、鎖の脅威が忽然と消え去ったことに気付いて、恐る恐る表に出た鎌倉は、今の今まで自分を追いかけ、追い詰めていた鎖の束が跡形もなく消え去っていたことに、驚きを禁じ得なかった。

 直後、フェアによる通告が入る。

「東京陣営、エリザベート・バートリー様。戦闘不能により脱落。東京陣営、残り六名でございます」

「え……?」

 唐突過ぎる出来事に、鎌倉は理解が追いつかない。

 同時に沸き起こる一筋の希望に、鎌倉は一歩踏み出した。

 反撃開始――自身にそう言い聞かせ、泣きそうにすらなっていた目をこすって彼女は走る。

 味方と合流、もしくは敵と戦闘。

 とにかく前へ。前へ。

 そのための一歩を、鎌倉は自らを鼓舞して踏み出した。

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