策略 東京陣営
まるでネズミを甚振る猫だ。
エリザベートは容赦などしない。
町田という戦域を鎖で埋め尽くし、ひたすら逃げ続ける獲物を追い詰める。
かつて拷問した末に殺した時のように、獲物の悲鳴を感じ、苦しみを感じ、切れる息を感じ、泣きじゃくる小娘を徹底的に甚振り、虐め、弄ぶ。
これ以上の快感はない。その血を浴びればまた、自分はもっと美しくなれるだろう。
エリザベートの嗜虐心を、逃げ惑う少女は刺激し続けていた。
正直男など、追う価値もない。
男の血など浴びたところで、自分が美しくなれるとは思えない。
故に甚振るのなら女に限る。殺すのなら女に限る。
水の滴るもち肌の娘の体に通う赤々とした鮮血は、きっとこの身を潤してくれる。そんな期待から、興奮が治まらない。
体は熱く火照り、息は熱で真白に焼かれ、震える方を必死に抑えようと自分を抱く。
伸び続ける鎖が、娘を弄ぶ彼女の嗜虐心を鮮明に表す。
相手を甚振れる喜びに、相手を弄べる喜びに、彼女は今満ち溢れていた。
彼女は今、生きることに最大の喜びを見出している。
娘を甚振り、泣かせ、ひぃひぃと喘がせることに喜びを感じている。
頬の火照り、鮮やかに輝く瞳の流線、歪み上がった口角から覗く八重歯。それらすべてをまとめた今の彼女の表情を、恍惚と呼ばずになんとする。
鎖の城の天辺で、娘が無様に逃げ惑い、転げ、泣きそうになるのを必死に堪えている様を見下ろす彼女はまさに、伝説の吸血鬼に他ならない邪悪さを湛えて、そこに君臨していた。
「楽しそうだね、エリザベート」
そこに舞い降りる珍客。
「なんだ貴様。妾の様子でも見に来たのか? 心配は要らぬ。今まさに追い詰めているところだ。娘が一人、妾の鎖から逃げ続けておる。妾の鎖の質量に怯え、未だ見ぬ妾の鎖の魔法に怯え、逃げ続けておるわ」
「そりゃあ結構。ならこっちも、予定通り動けるってものさ」
「なんだ、男の方は貴様がやるか? よい。男なぞ譲ってやるわ。妾の魔法は女にしか効力を発揮せぬが故、襲うメリットも存在せぬ。聞くところによると妾達が一方的に追い詰めているらしいではないか。ここでさらに二人、倒して追い詰めてしまおうとは思わんか?」
「そうだねぇ。僕もそう思うよ。だから予定通り――君はもうお役御免だ、エリザベート・バートリー」
エリザベートは突然苦しみだす。
彼女の苦しみが蠢く鎖の束全体に響いて、大きくうねり、唸る。
首を押さえて必死に呼吸を繰り返す彼女は、舌を大きく出して涎を垂らしながら過呼吸を繰り返している。
突然空気を失ったかのように、必死に呼吸を繰り返す。
先ほどまで恍惚で潤んでいた目が血走って、遠藤に何をしたと訴え、問いかける。
遠藤は彼女をおちょくるように自身もまた舌を出し、目の下を引っ張って笑って見せる。
「配分したのさ。君の周囲の二酸化炭素濃度を、呼吸困難になるレベルまでにね。代償として、君の肺活量をほぼ最高にまで上げたから辛うじて呼吸できるだろうけれど、呼吸困難には引き込める。酸素が足りなくて、困るだろう?」
「な、ぇ……き、さま……わら、ぁ……ぃ、ぁ、た……」
「あぁ、味方さ。そんなことはわかってる。ただねぇ、君がいるとこの先困るんだよ。こっちの異世界転生組はドン・キホーテとジャンヌ・ダルクがいれば充分だし、正直言ってここまで減った段階で、君はもう用済みなんだ。いやぁご苦労様。予定通り、君はなぁんにも出来なかったねぇ」
「貴様ぁ!」
全神経、全霊を持って鎖を遠藤へと伸ばそうとする。
だが遠藤へと鎖が伸びきる直前で、鎖がピタリと停止して動かなくなる。
同時、エリザベートは泡を噴き出し、空を見上げた状態で固まっていた。
「随分苦しそうだったから、酸素濃度を配分して増やしてあげたよ。ただし致死量に至るレベルまで、一瞬だけね。過呼吸だったから思いっきり吸っただろ? 知ってるかな、酸素って実は猛毒なんだぜ? 体の中に酸素を取り込み過ぎると冗談抜きで死ぬんだ。今回はその一歩手前で元の濃度に配分したから、死にはしないけれどね」
鎖が一斉にすべて消え去り、落ちてきたエリザベートを遠藤は抱きとめる。
泡を噴いて白目を剥いて気絶している彼女の口元から泡を拭い、目蓋を閉じさせて寝かせると、駆けつけてきたフェアに向き直った。
「殺しちゃいないよ。それに、仲間に攻撃するな、なんてルールはないはずだ。これも作戦のうちだよ。君ならわかってくれるだろ? フェア」
「東京陣営、エリザベート・バートリー様。戦闘不能により、脱落。東京陣営は残り、六名でございます」
よろしい、と言いたげに遠藤はほくそ笑む。
そして先ほど少女を一人安全圏まで運んだ後輩に見習うことはなく、エリザベートを審判に任せて遠藤は颯爽と戦場、町田に飛び降りて行った。
戦況――東京・六:神奈川・四
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