対抗 東京陣営
ドン・キホーテの走行速度が、それこそ水上スキーと同等以上の速度のために、必死にしがみついていなければ、凄まじい強風に攫われてしまいそうだった。
全身が甲冑で覆われているため上半身にしがみつくしかなく、腕を回して必死に耐える。
ただの囮であるはずが、ドン・キホーテにはそもそも囮という概念が理解出来ているのかすら怪しい。今は言うことを聞いているが、いつでも暴走してしまいそうな危うさを感じて、不安しかない。
「どぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉあああああああああああっっ!!!」
巨槍と盾を手にひたすら突き進むドン・キホーテは、今にも海賊船に突撃してしまいそう。
常盤はなんとかしがみつきながら、ドン・キホーテが暴走しないタイミングで突撃させられないかと海賊船を観察する。
すると堺の放つ矢が激しい炎をまとったことで光源となり、眩さに視界を奪われる。
だが堺の攻撃は、前もって決めておいたもの。
そのため最初から目を瞑っており、神奈川陣営に比べて眩さに慣れるのは早かった。
だから自分達を狙っている狙撃手のスナイパーライフルに、いち早く気付くことができた。
咄嗟に頭を屈めて、祈るように呟く。
「守って、ドン・キホーテ……!」
ドン・キホーテは盾を構え、銃撃を受ける。
鋼鉄の盾で受け流し、滑走し続ける。
狙撃手の腕前はといえば水上を高速移動するドン・キホーテ相手に掠めたり、盾で防がせたりしてくるほどで、正確だ。
常盤はドン・キホーテを信じるしかなく、ひたすら頭を低くしてしがみつくことだけを考えて、戦いの顛末は一切見ていなかった。
嵐の中、傘も差さずに走っているかのよう。
肩で風を切り、水を攫いながら、重くなっていく体を引きずってただ前へ、前へと走り続ける。進み続ける。
進むごとに辛くなっていく。しんどくなっていく。
しかし進むしか楽になる道はなく、終わりもない。
だが次第に走りは歩みになって、一歩踏み出すことすら辛くなっていって、疲れ切って、歩けなくなって、もうダメだと立ち止まって、膝をつく。
なんで私はこんなところにいるんだろう。
なんで私はこんなことやってるんだろう。
自分で選んだはずなのに、どこまでも辛くどこまでも果てが見えない。
進んでも、もはや道が見えない。
寒くて、痛くて、辛くて――
ふと、顔を上げた。
音がすべて掻き消えて、完全に無音の静謐の中に落とされたと思ったからだ。
だが自分は絶えずドン・キホーテにしがみついており、腕から一瞬たりとも力は抜けず、狙撃手の銃口は絶えず自分達を狙っている。
状況は、一切変わっていない。
だというのに、とてつもない安心感。
体はとても楽で、軽く、痛みも、濡れていることでの寒さもない。
体は軽く、速く、疾く、進んでいく。
走る、走る。
疾く、
どこまでもどこまでも、速く速く、進んでいける。進んでしまえる。
そう思えてしまえるほどに、速い。
「どぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉあああああああああああっっ!!!」
激しい咆哮が、耳を
それのみが、常盤の鼓膜を揺らしている。
遅れて水飛沫の弾ける音が、銃声が、堺を狙う海賊船の砲撃音が、世界が、常盤の耳を揺さぶって、飾って、彩って、染める。
その中心に今いるのは、自分を背に乗せて疾走する英雄、ドン・キホーテだった。
今なら何でも出来る気がしてしまう。
どこまでも行けてしまう気がしてしまう。
錯覚であることはわかってる。
自分の足でないことはわかってる。
だけど走れる。彼の足なら。
彼の俊足ならば、行ける。
確信があった。
今の自分の身の軽さが、痛みの少なさが、何よりの確信へと繋がっていた。
故に、作戦からは外れてしまうとわかっていたが、止まる理由もなかった。
何より戻れないのなら。進むしかないのなら。一直線に、進みたい。
「やっちゃえ、ドン・キホーテ」
「どぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉあああああああああああっっ!!!」
襲い掛かる弾幕を潜り抜け、一直線に海賊船へと駆け抜ける。
盾で防ぐ必要も、槍で薙ぐ必要もない。
もはやこの時のドン・キホーテの速度は、銃を触ってから一ヶ月も経っていない才能だけの狙撃手の弾丸が、捉えられるものではなかった。
疾風すらも置き去りにして、狙撃手のスコープに映る像が歪むほどの速度で突っ込んでいく。
激しい水飛沫の白波が、狙撃手のスコープから完全にドン・キホーテと常盤の二人を見失わせて、スコープから目を放させる。
どこだ、どこだと視界は右往左往するものの、どこにも二人の姿は見えない。
狙撃手はそこで、自身の能力を使うことでようやく気付いた。
「下?!」
まさか船の下――海中に潜り込んでいるとは誰も思うまい。
狙撃手もまた同じ感想である。
船の下に潜られる事など、船長に海を作らせた時点で想定などしていないのだから。
そしてまさか、その下に潜った人馬が、船を持ち上げるなどと誰が想像できただろうか。
水中のドン・キホーテが、ふん、と力を入れる。
その程度で、船が持ち上がるわけがない――のは、思えば現代人の話。
異世界に転生し、さらに言えば人馬となった狂気の騎士はもはや普通の人間ですらなく、水上を走っていたのと同じ方法で再び浮上することも、船を持ち上げることも、敵は考慮しなければならなかったのだ。
しかし考慮しようと思った頃にはもう遅い。
「どぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉあああああああああああっっ!!!」
神奈川陣営の耳を劈く咆哮。
一人、いや、一匹。一頭――どう数えていいかもわからない存在が、その身一つで巨大な海賊船を持ち上げてみせる。
日本在住の大半の学生は、千葉県にある大型テーマパークにて乗ったことがあるかもしれないし、日本最高峰たる山の麓にも、同じ物が多くならぶ遊園地が存在するので、一度くらいは経験したこともあるだろう。
いわば絶叫系と類されるアトラクションの、臓器だけを掴み上げられたかのようなあの浮遊感が、神奈川陣営の全員の体を襲う。
ドン・キホーテは腕二本で、数トンもの重さの船を抛り上げたのである。
右手に握り締める、鋼の巨槍。
水で濡れたせいか全身から蒸気を発しており、甲冑の下から真白の息を吐き尽くす。
そして、一突き。
自ら抛った海賊船が落ちてきたところを一突きにして、真っ二つに叩き割った。
「どぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉあああああああああっっっ!!!」
ドン・キホーテの背で、水の中で息を止めていたため荒い呼吸を繰り返す常盤は、一時退散した堺を見つけて、親指を立てた。
堺はどうしていいか困っていたが、迷った挙句に親指を立てて返す。
海賊船が沈没するので、その際の渦に巻き込まれないようにとドン・キホーテを走らせた常盤は、一旦呼吸を整えるためにJR町田駅に併設されているデパートの屋上へと飛ばして降りる。
船一つを持ち上げて叩き割ったというのに、ドン・キホーテには一切の息の乱れがなく、深く熱のある真白の息を吐き尽くすと、すぐさま落ち着いた。
「ありがとう、ドン・キホーテ」
ドン・キホーテは反応しない。
ただ低く唸るばかりである。
だが彼となら速く、まだまだいける気がして、常盤は心強さに包まれた。
「さ、次の作戦を考えなきゃね!」
降りてきた堺と共に、作戦会議を始める。
その頃、ジャンヌ・ダルクは真っ二つに裂かれた海賊船の上で、神奈川陣営の全員を捜索していたが、どこにも見つけられない。
強襲も不意打ちも警戒していたが、海賊船は渦に呑まれて沈んでいった。
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