幕間 座間俊介

幕間ーⅠ

 カースト制度を肌で体感できる最初の場所は、間違いなく学校だろう。スクールカーストという奴だ。

 そこでは限りある才能や能力の中でも、コミュニケーション能力がものを言う世界である。

 座間駿介ざましゅんすけはその中でも上位に存在し、噂の絶えない男だった。

 主に色恋沙汰の噂では高校時代、学校内に知らぬ者はなく、誰もが一度は小耳に挟む。

 クラスの女子だけでなく、同学年の女子にはすべて手を出しただとか、最高で八股かけただとか、恋多き人物としての噂が絶えず、誰が彼の本命なのかもわからない。

 終いには、教育実習生にまで手を出したなんて噂まであって、彼に関する噂は留まることを知らない。

 そして彼本人はと言うと、否定して隠れるような事もせず、肯定して堂々とすることもなく、ただその時で別の女性に愛を囁き、たらし込む同性からしてみても厭な男であり続けた。

 彼曰く、本気の恋などしたことがないという。

 女性は皆平等に、優しさと愛情を向ける存在であって、誰であろうと差など生じない。

 生まれたばかりの赤子から腰の曲がった老人まで、相手が女性ならばすべて愛すべき存在であって、そこに特別は存在しない。

 彼の中に存在するのは男女の差くらいで、女であれば例えLGBTの中に数えられる人間だろうとも、つまりは体が男であろうとも、優しさを振りまく対象となる。

 広く浅い愛情は、彼をスクールカーストの中でも上位にのし上げた。

 彼の愛を受けて、彼を慕い、彼を庇護する女子が学年クラス問わずに存在し、彼をそこまでの地位に仕立て上げてしまったのだ。

 故に同性からは、彼は嫌われた。

 女性にだけ優しく、愛を振りまく男は不倫男としか映らない。

 どれだけ彼の愛情を美化しようとも、ここは一夫一妻制の日本であり、男は一人の女性しか愛せず、二人目、三人目は許されない世の中。

 他国に渡れば――それこそ、おしどり夫婦という言葉の語源たるおしどりでさえ年を越すごとに番を変えるというのに、日本の常識の中で生きている彼らには、座間の聖人じみた愛情を理解することは出来なかった。

 そしてそれは、彼を支持しない少数の女性からしてみても同じことで、彼の愛情を受け入れられない人だってもちろん、存在はした。

 奇しくもその、座間の愛を理解出来ない存在の一人が、彼の初恋の人となったのは、座間が大学に入学した後のことである。

 相手は大学の同じ学科の先輩で、よく同じ授業で一緒になる人だった。

 無論彼女にさえ、座間は同様に、今まで通りの愛を贈った。

 彼の騎士道精神に基づいた愛のすべて、優しさのすべてで彼女に応えて――

 座間くん。私のこと好きじゃないよね。と、返されてしまった。

 いいんだよ、無理しないで。と笑う彼女の目は泣いていた。

 座間はまるで理解できなかった。

 何がいけなかったのかを考え抜いたが、しかしわからない。

 高校時代、女性全員に優しかった自分が持ち上げられ続けたことで、特別を欲する相手に対する愛情というものがわからなくなってしまっていた。

 異性ならばという条件付きであるものの、LGBTでさえ許容出来てしまえる緩い条件下で、平等に振り分けられる聖母の如き愛情程度、特別を欲する相手には、彼を心から愛する人には、かえって通じなかったのである。

 つまり裏を返せば、先輩は座間に好意を持っていたということになるのだが、座間自身それに気付けないほどに、高校時代のスクールカーストは、彼の感覚を麻痺させていた。

 何がいけなかったのか。

 何が先輩を傷付けてしまったのか。

 麻痺している感覚を抱いた脳で、座間は必死に考え続けたが、結局、女性にならば誰にだって優しいその性格が問題であるという結論には、辿り着かなかった。

 高校時代の女子の反応が、周囲の環境が、彼という怪物を作り上げた。

 全ての女性に優しい彼を、誰も否定などしなかったし、誰にも出来なかった。

 優し過ぎる彼を、誰にでも嫌われるくらいに優しい彼の事を、拒絶できる人間がいなかった。

 それが聖人と呼ぶに近しい、彼という善人という怪物の創造を助長させた。

 人は善悪の双方を兼ね備えていて、初めて常人である。

 助ける代わりに見返りを求める。タダといいつつ裏がある。

 人間がそういう、他人の利益よりも自分の利益を優先して動く生物であることを知っているからこそ、安心できるということもある。

 誰もが救済を求めながら、善だけで構築された救済者に助けられると不安を感じて仕方ないのは、自分の悪性を見せつけられているような劣等感と、自分と同じ人間だと思えない疎外感から来るものだろう。

 女性全員に優しい座間という青年は女性にとっての救済者であったが、同時に、女性の敵とも言えた。

 優し過ぎるから嫌い――

 彼の愛想をつかす女性は、口を揃えて言う。

『美女と野獣』という美談たる童話が存在するが、仮に野獣が完全なる悪だったとして、誰も野獣など愛そうなどとは思うまい。

 座間という人間もまた、野獣のような醜い姿でなくて、さらにいえば悪性の欠片もない善人という逆位置に存在するが、彼は美し過ぎるが故に誰も愛さない。

 何故なら彼が自分だけを愛してくれるはずもなく、仮に愛してくれたとしてもなんの見返りも求めないからだ。

 人間には裏がある。

 そう知っているからこそ、彼の善性に晒されると見えない裏を予想して、予感して、予期してしまって怖くなる。

 怖すぎるほど優しい。

「みんな、俺が嫌いなのか……」

 彼がそんな結論に帰結してしまったのも、無理はない。

 誰も彼の優しさを否定しないのだから。

 だってそうだろう。

 この戦いに、世界中の貧しい思いをしている少女達のために寄付をするための賞金欲しさに参戦している彼のことを、誰が間違っていると言い切れる。

 寄付は善行だし、貧しい思いをしている少女を救う事だって正しい。

 誰も彼の優しさを、否定などできない。

 彼の善性に耐え切れずに発する偽善者の雑言とて、苦し紛れの言い訳に聞こえる。

 女性にだけ優しい彼の心を騎士道精神と言う者もいるのに、誰が彼を間違っているなどと言えるのか。

 ましてや共に歩いてくれる番など、現れるはずもない。

 彼の優しさに触れ続けることは、自身の弱さや醜さに触れ続けるということ。

 一日二四時間三六五日、人間の平均寿命からして八〇年。

 そこから彼との交際、結婚、同棲生活期間だけを絞り出して仮に五〇年と計算して、およそ四三万八千時間もの間、自分の醜い部分に触れ続けられる人間こそ、聖女しかあるまい。

 そして聖女とは聖人と同じくらいに希少で、神に近しいほどの怪異ですらあるくらいに、貴重な存在であるのだから、出会える可能性などありはしない。

 故に誰も、彼についていけない。

 彼は結局、自身の途方もなく底の見えない優しさから、一人になってしまった。

 無論、座間は生まれたときから聖人であったわけではないし、高校生のスクールカーストだけが彼を聖人に仕立て上げたわけではなく、当然きっかけが存在する。

 そのきっかけはまず、彼の父親から由来する。

 彼の父親、座間翔人ざましょうとは、とあるクラブのホストとして働いていた――

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