迎撃 東京陣営

「双方、位置についた様子。ではこれより神奈川対東京、町田争奪戦、異境いさかいを開始致します。位置について……用意――」

 試合開始の花火が上がる。

 小田急線町田駅方面へと伸びる道路の上からスタートした東京陣営七人は、黒髭による水攻めから逃れるためにまず、付近の大きなスーパーが入ったビルと駅を繋ぐ歩道橋の上へと避難していた。 

 町田を埋める大量の水を見て、成瀬なるせは冷や汗を拭う。

「これだけの量の水を操るなんて……向こうには相当の使い手がいるようだな」

「どうしよっか。地下道を通って奇襲する作戦だったけど、これじゃあ」

「問題ないんじゃないかな」

 遠藤えんどうは一人、水の上に立つ。

 一週間で互いの能力を明かしている四人だったが、水の上にまで立てるなどとは思っていなかった三人は、軽く衝撃を受ける。

「作戦では、さかいくんを囮にして僕らが奇襲を仕掛ける作戦だっただろう? ならばその逆でいけばいい。堺くん、君がメインだ。空を飛べる君なら、メインで攻撃ができるだろう?」

「攻撃……できる」

「なら、君がメインだ。僕もアシストしよう。常盤ときわくん、君は彼を使うといい。君の能力を応用すれば、彼を思うがままに操作できるはずさ」

 常盤のすぐ後ろには、全身を銀色の甲冑でまとった人馬が立っていた。

 二日前に召喚されたものの意思疎通ができず、一切何も喋ろうともしない。

 人形なのではないかと思ってみれば、確かに鼓動も脈もあり、いつの間にか移動もしているので、気味が悪く感じてしまう存在だったが、前日にフェアに相談したところ、人馬に関する情報をある程度教えてくれた。

 人馬の名は、ドン・キホーテ。

 かの物語ドン・キホーテの主人公で、騎士の幻想を抱き、自らを物語の騎士だと錯覚した老人であるというのが一般的な知識である。

 物語では従者が引くロシナンテというロバに乗っていたというが、人馬だった情報はない。

 そこはおそらく、異世界に人馬の姿で転生したということなのだろうが、しかしそれにしたって、言語機能をほぼ失うほど心が狂っているなどと聞いたときは、複雑な心境になったものだ。

 異世界の彼に何があったのかは知らないが、狂気に身を落とし、知性を失って闘争本能のみの怪物となってまで立ち向かわなければならない強敵に出会ったのかもしれない。

 なんにせよ、ドン・キホーテは異世界にて理性を失い、ただ戦うだけの狂戦士になってしまったらしいことだけは確かだ。

 そして奇怪的な運だが、東京陣営は彼を御す術を持っていた。

 常盤が今回の戦いで与えられた能力である。

 本来の使い方とは違うのだが、遠藤の言う通り、応用さえすればドン・キホーテを操ることが可能だった。

 常盤はドン・キホーテと向き直り、祈るように手を合わせる。

「お願い」

 一拍を置いて、ドン・キホーテが動く。

 その場にしゃがんで背中に乗るよう促し、常盤を乗せると躊躇なく飛び込む。

 遠藤の能力で水上に立つと、低く唸り始めた。

「そら、常盤くん。ご主人様の命令を待ってるぜ」

「……行って、ドン・キホーテ」

 甲冑の隙間という隙間から、赤い蒸気のようなものが溢れ出す。

 蒸気を浴びて、錆び付くように甲冑が黒く染まっていき、ドン・キホーテは咆哮した。

 鼓膜はもちろん、天地のすべてを震撼させるかの如き凄まじい咆哮を放って、勢いよく駆け出した。

 耳を塞いで耐える成瀬と遠藤の側で、堺は涼しい顔で麻袋の中から武器を取り出した。

 異境いさかいに出場する両チーム四名の現代人には、フェアの所属する委員会の支給するもののみという制約付きで、武装が認められている。

 東京陣営は遠藤以外の全員が武器を持っており、堺の武器は一番大きかった。

 長さ一メートル強、刀身の真ん中にも柄がある異形の大剣。

 麻袋をその場に捨て、堺は二人を追って飛びあがり「行く」とだけ言って飛んでいった。

「せっかちだなぁ」

「戦いはすでに始まっている。俺達も行こう、遠藤先輩」

「それもそうだね。では君達も行ってくれるかい?」

「身の程を弁えよ」

 遠藤の首に鎖が巻き付く。鎖は異世界人の背中から伸びて、遠藤の首を軽くだが絞めていた。

 漫画などで見られる舞踏会用の豪奢な鉄仮面の下に顔を隠し、尊厳に溢れる口調を嗜むものの、格好はどこか現代の若者らしくて似合っていない。

 口調が合っていないのか、格好が似合っていないのか。

 正体を聞くまで誰にも判別できなかったが、答えは後者だとすぐに知った。

 彼女の名は、エリザベート・バートリー。

 吸血鬼伝説の元となった、血塗れの貴婦人。

 血を浴びれば浴びるほどに美しさを保てると信じ、永遠の美を求めて拷問と殺人を繰り返した、いわば狂人である。

 しかし今は赤髪のサイドテールを揺らし、片腕と太ももを晒した姿と現代の若者じみた姿で、吸血鬼らしさも貴婦人らしさも感じられない。

 だがこの二日間で、彼女の残虐性に満ちた性格はわかっていた。

 気に入らないものは基本、殺すか壊すかの嗜虐的思考。

 特に人の態度や口調には敏感で、自分を軽く扱おう者なら今の遠藤のように絞められる。

 なので遠藤という人を喰ったような人間がいる時点で、彼女が東京陣営として戦うことに嫌悪感を覚えていることを、他のメンバーは感じていた。

「妾がわざわざ来てやったというのに、不愉快な奴だ。いっそここで、その首へし折ってやろうか」

「まぁまぁ、そう怒らないで。僕らは同じチームの仲間でしょう? それに君達異世界人だって、勝てばなんでも願いが叶うというじゃないか。なら協力しよう。うん、それしか手はないよね」

「不愉快だと言っている」

 鎖が遠藤の首をさらにキツく締め上げようと、勢いよく引かれる。

 だが直後、絞まるどころか鎖は緩んだ。

 いや、伸びたというのが正しいか。

 遠藤の首を絞めるよりも先に、首にかかっていた鎖が倍以上の長さに伸びて、遠藤の首から落ちたのである。

 よって首を絞めることはできず、足元に落ちていたのも飛んで避けられたため、落ちた鎖が何も絞められずにただ巻き戻されただけだった。

「貴様……どんな手を使った」

「教えてもいいけど……ただ教えると対抗策を打たれそうだからなぁ。教えられないなぁ」

「やはり貴様、ここで殺して――」

「待って」

 二人の間に、もう一人の異世界人が入る。

 狂人に狂人、と続いて、彼女もまた狂人と呼ぶべきかまともと言うべきか、迷うところ。

 狂っていなければそんな芸当は出来なかったと思うし、神の声を聞いたなどとも言えない。

 百年戦争の英雄、聖人と呼ばれても、彼女が狂っていないと断言できる保証はなかった。

 でなければ、異世界に行ってもそんな能力を得られるはずはないと、遠藤は思っていた。

「エリザベート。貴女はあくまでも、この戦いに参加すると自ら呼びかけに応じた身。さらに言えばこの時代、この世界に貴族という概念は薄く、彼らの国はさらにその視線は遠い。それらを考慮し、貴女もある程度引くべきです。そして貴方も、人を喰った態度をやめなさい。そうして誰だろうと揶揄おうとする姿勢だからこそ、彼女も腹を立てるのです。貴方にも大きな非があります。それを認めなさい」

 両者が言い返そうとしたその時、両者の首と背、腹に突き付けられる剣。すべてが浮遊しており、違う色で輝いていた。

「諍いの原因は、両者の話し合い不足の証拠。故に話し合いなさい。話し合って、妥協案を見つけなさい。諍いに至る原因をすべて払拭し、すべて排除し、時に自分の非を認めて他人の要求を寛大に飲む。それが出来ないと言うのなら、第三者として、貴方達にも聞かせるだけです。そう、主のお言葉を」

 右眼は閉じているため、色はわからない。

 だが左目は、絶えず別角度の光を受けて、放つ色を変えていた。万華鏡のような瞳に見据えられて、両者一歩進めない。

 エリザベートも遠藤も、彼女を前に抵抗することを許されない。

 両者が引くと彼女は剣を降ろし、自身の周囲に浮遊させた。

「では話し合いを済ませた後、すぐに追いかけて来てください。私は彼を追いますので。次に同じ内容で揉めるようならば、主がどれだけ偉大なお方かご教授致しますのでそのおつもりで」

 とだけ言って、彼女もまた颯爽と飛び去って行った。

 エリザベートも何か言いたげだったが、彼女に言われた通り話し合いなどするはずもなく、消化不良と言いたげに舌打ちをして跳躍。

 四人を追っていった。

「……遠藤先輩。俺達も行こう。堺の速度なら、もう敵と接触してるはずだ」

「うん、そうだね……しかし、やっぱりあの人は苦手だ。本当に殺されそうで怖いよね。あれが聖女、ジャンヌ・ダルク。ねぇ」

 同時刻、先行した堺が神奈川陣営の頭上を取っていた。

 そして剣を向ける。

 刀身が縦に割れて変形し、巨大な弓に姿を変えた。

 矢は折り畳み式の小型なもので、これも委員会から支給された。

 ポケットから出してスイッチを押せば、細くも強い矢が出来上がる。

 矢筈をかけ、弦を引き絞って、構える。

 神奈川陣営で一番の大男――黒髭が、気付いた。

「俺の砲撃を見ても矢で来るか、面白れぇ!」

 矢が熱を抱く。晴天を射貫く太陽の一矢と化して、燃え盛る。

 黒髭は大砲を向け、迎撃態勢。

 堺は燃え盛る矢をさらに強く引き絞り、自らが火柱を抱くようにして、放つ。

 太陽のプロミネンスの如き火柱が、青白い破壊光線と衝突した。

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