幕間 堺光汰
幕間ーⅠ
二人は幼少期からの幼馴染でありながら、互いのことを知ったのは中学生に上がってからの話になる。
孤児院で育った堺に対して、相原の両親の潔癖が働いたが故だ。二人は中学に上がるまで一切話したことすらなく、互いのことをまるで知らなかった。
その硬直した関係を変えたのが、相原という少女だった。
「堺くん」
初めて話しかけられたのは夕暮れの図書室。
図書委員だった堺は、貸し出されている本の履歴を作成している途中だった。
赤茶色の髪を後ろで二つに束ねた小柄な少女。境を見つめるまん丸の瞳は、にこやかに笑っていた。
「本、借りたいんだけどいいかな」
人見知りな堺が、人と相対さなければならない図書委員という役職についてしまったのは、単純にじゃんけんに負けてしまったからである。
しかし仕事だけはキッチリとこなす堺の評判はボチボチで、この時もいつも通り無言のまま本を受け取り、貸し出し記録とハンコをつければすぐに渡して終わる予定だった。
が、この時初めて、堺は話しかけられた。
「ねぇ、私のこと、知ってる?」
「……同じ、クラス」
「保育園も、小学校も同じって、知ってた?」
堺は首を縦に振った。
この時の相原の嬉しそうな顔が、今後の堺の中でやけに印象的に残ることになる。
「よかったぁ! 知らないって言われたら、どうしようかと思ってたんだ!」
「……俺に、何か、用?」
「用っていうか、その……堺くんと私、ずっと同じ場所にいたのに、話したことなかったから。なんか、切なくって。だから話しかけてみようと思ったの」
「そう」
「ご、ごめんね! 迷惑、だったかな……」
指と指を絡めて結び、俯いてしまう。
このような状況での最善策がわからない堺は、とりあえずキーボードに向かう。
「迷惑じゃない」
安堵した様子の相原。
だが堺は淡々と、ハンコを探し出して押しながら、ただ――と続けて、
「用もないのに話しかけられると、少し、困る。一週間、経ったら返して」
話すきっかけとしてだけ本を借りた相原の胸の内など知ることもなく、淡白に本を渡して、黙々と自分の作業に戻ってしまった。
無言のまま本を取り、走り去ってしまう相原に一瞥をくれることもなく、堺と彼女の初めての会話は、完全に終了してしまった。
二度目の会話は、それから一ヶ月も後の事。
奇しくも社会科見学で同じ班になったことから、二人は会話せざるを得なかったのだ。
話しかけたのは、堺だった。
無論、人見知りが世間話などしない。用件があったからである。
「男子は、見たいところ、決まったから……女子の見たいところ、教えて。この地図に、付箋で、張って」
「うん、わかった。ありがとうね堺くん」
用件は終わったと、堺はそそくさと行こうとする。
だがそうはさせまいと、相原は呼び止めた。
「堺くんはどこに行きたいの?」
相原はその場で地図を大きく広げて、首傾げに訊いてきた。
面倒、とは思わない。何も思わない。何も考えることなく、堺は男子が見たいところとして張られた付箋の一つを指差した。
そこは班の全員が、見たいと言っていた場所だった。
「そうだよね! 私もここ、外せないなと思ってたんだ! 絶対に行こうね!」
「そう、思って、選んだ……みんな、見たいって、言ってた、から」
見たい場所、行きたいところなど、堺にはない。
堺は幼少期より無欲に過ぎて、孤児院の人をも困らせていた。
何をしたいとも見たいとも、食べたいとも欲しいとも言わない。生物ならば必ずや存在する欲求というものが、大きく欠如した人間だった。
いや、欠如してしまったと言う方が正しい。その原因を知らない相原も、返答に困る――事はなかった。
「そっか。堺くんは優しいんだね」
堺という人間は、自分よりも他人を優先する優しい人間なのだと捉えたのだ。
この勘違いが、二人を繋ぎ止めた。
そしてその勘違いをより強固なものに、社会科見学がさせた。
社会科見学中、相原を含める班の女子が、地元の高校生に狙われた。
ナンパされ、最初こそ無視していたのだが、段々と向こうが本気になって、ついに怒鳴り散らしながらカツアゲしようとしたのだ。
そのまま連れ去られてしまいそうになったところで、堺と班員の男子が助けに来た。
近くのビルから消火器を拝借すると、高校生相手に噴射して目くらまし。
混乱の最中に男子に女子らを助けさせ、堺は一人残った。
白煙が晴れ、完全に頭に来た高校生は消火器を持っていた堺に襲い掛かる。
対して堺が取った戦法は、逃げの一手だった。
消火器を投げつけて怯ませてから、ガードレールやミラーを駆使して、パルクールさながらに駆け巡りながら、相手を転ばせたりなどしながら逃げ続けた。
すると先に呼んでおいた警察が来て、高校生は逃げていった。
制服から学校は割れていたので、堺が事情聴取を受けただけで済み、事件は無事に解決したのだった。
この一件は見ていた同じ班の皆によって広められ、瞬く間にヒーローとなった。
同時、相原にとってもヒーローとなった。
「さ、堺くん!」
初めて会話した日と同じ、夕暮れの図書室。
あの時と同じく一人残って貸し出し履歴をまとめていた堺に、あの時と違って相原は、話しかけるきっかけに読みもしない本を持って行く事なく、静寂の中で声を上げた。
密かに事の顛末を見届けようとついて来た相原の友人が、入り口の扉をわずかに開けて覗き込んでいる事に、堺は気付きつつも問い質さない。
指をモジモジ絡めながら俯く相原が何か言いだそうとしているのを、この時堺は待っていた。
「あ、あの、堺くん! ――あなたのことが好きです! 私と、お付き合いしてください!」
霞む声で、扉からキャーと小さな喜声が上がった。
それが聞こえるほどの沈黙に耐え切れず、逃げ出そうとした相原を止めたのは、堺だった。
「うん、付き合う……」
夕闇に溶ける、彼女の髪色は赤茶色。
頬は朱色に染まり、ピンク色の唇は喜びと気恥ずかしさから、ワナワナと震え続けている。
それらを一緒くたに染め上げる夕闇の橙色の中で、堺の顔色が赤く見えたのは、果たして夕日のせいだったのか。
相原日向、一生の謎である。
「それで、本は?」
「え、あ――」
声を掛けるためだけに借りた本。
確かに告白には必要なかったが、返す必要はあった。
以上の経緯を以って、堺光汰と相原日向は、本を返却した後に交際する運びとなったのだが、まさか堺が交際ではなく、本の返却に付き合って欲しいのだと思っていたなどという天然をかましているとは、この時の相原も扉の向こうの少女達も、思っていなかった。
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