幕間ーⅡ

 さかい光汰こうた相原日向あいはらひなた。共に、高校生。

 保育園、小学校、中学校と来た二人は、そのまま高校も同じ場所を受験し、進学していた。

 学校法人なので、このまま大学にもエスカレーター式で上がることとなる。

 故に高校というよりは、高等部と言った方が正しい。

 交際開始から三年。

 二人は背丈も体つきも成長して大人びたものとなり、周囲から注目されていた。

 特に堺は、中学時代の社会科見学の事件から彼女を救ったヒーローとして未だに語り継がれており、女子からの人気が高かった。

 だがそれは最初だけの話。堺の難しい性格と人見知りが知れるとすぐに離れていった。

 しかし同性からしてみると堺は面白く映ったようで、中学時代よりもよく男子のグループに入れてもらえるようになった。

 その延長で、グループに誘われて弓道部に入った堺は、才能を開花させた。

 大学の先輩らも在籍する弓道部で、堺の腕前は圧倒的という表現が正しかった。

 何せ十メートルも先にある的の中央に連続で射るだけならまだしも、的に刺さっている矢筈を射抜くなんて芸当ができるのは、堺だけだった。

 故に堺は次期部長の座が冗談半分、本気半分で約束されており、憧れと嫉妬の双方の感情に睨まれている状態。

 何年も道場に通って現在まで腕を磨いて来た者達にとって、堺の才能は恨めしく思えるほどに、面白くない存在だったのは間違いない。

 さらに言えば、堺には相原というガールフレンドまでいて、より周囲からの嫉妬を集めやすい存在であった。

 そんな人の胸の内など知る由もなく、相原は堺の下へと顔を出す。

「こんにちは!」

「おぉ、相原さんじゃん。堺! 彼女さんがお迎えだぞ!」

 弓道場に上がると、調度、堺が弓を握っていた。

 的にはすでに四本の矢が刺さっており、最後の一矢になる様子。

 堺の集中力は凄いもので、周囲が近付いて来るのを許さないほど張り詰めた空気を感じさせ、その場から人を動かさない。

 春眠暁を覚えぬ頃の、温かな気候の中に溶け残る雪のような、触れれば凍てつかせる冷たさを感じて、まるで堺から冷気が放たれているかのよう。

 さも、真白に凍る息が吐き尽くされた瞬間に、張り詰められた弦と空気が張り裂ける。

 放たれた白銀の矢は一直線に尾を引いて、的の中央に吸い込まれていく。

 トン、

 と短い音で的の中央に、先に刺さっていた四本の矢をどけて刺さると、堺は静寂を保ったまま、一礼の後に引いた。

「……光汰!」

 誰も構えていないのを確認して、静寂を破る。

 クラスメイトから行って来いよ。妬けるねぇ。などの後押しを喰らいながら、堺は相原のいる階段へと降りて行った。

 相原からタオルとドリンクを受け取って、汗を拭う。

 極限の集中状態にしばらく身を置くと、フルマラソンを走ったときと同じくらいに大量の汗を掻くのは、堺も例外ではない。

「お疲れ様、光汰」

「ありがとう」

 交際から三年。

 堺も大分、相原とのやり取りに慣れてきた。

 人見知りは相変わらずだが、相原相手ならば目を見て話せる程度にはなってきた。

 相原をきっかけに、他の人ともある程度の会話ができる程度になった。

 永く面倒を見てくれている孤児院の院長も相原には感謝しているくらいで、交際から二年目の受験シーズン中、堺を孤児院で預かる事となった経緯も教えてくれた。

 堺の両親は彼が生まれた当初こそ愛情を注いでいたのだが、息子が三歳になると態度を急変させた。

 子犬のうちは可愛いが、大きくなると愛情を削がれる感覚に似たようなもので、成長して言葉を使い、二足で歩くようになると、堺に対する態度は冷たくなった。

 会話は許されず、抵抗も反抗も許されない。人見知りと、抵抗も反抗もほとんどせずに他人の要求を受け入れてしまう悪癖は、この頃に植え付けられたものだ。

 そして息子が小学校に上がる頃、勝手に愛想を尽かせた両親はついに、息子を置いて夜逃げしようとした。

 息子を寝かしつけると二人だけで車に乗り込み、走り去ってしまったのだ。

 しかし天は、両親を許さなかったらしい。二人の乗った車は途中、飲酒した学生の無免許運転バイクと衝突し炎上。二人の命を奪っていった。

 事故がきっかけで堺の所在を知った警察によって保護され、今の孤児院に預けられる運びとなった、というのが全部だ。

 辛い話だった。相原は泣いてしまったが、彼女の涙が堺を信用させた。

 その日の帰り道、相原を送る途中で、堺は初めて、人に頼んだ。

 下の名前で呼んで欲しい、と。堺の姓は自分を捨てた両親と同じで、光汰は院長が付けてくれた名前だから、そっちで呼んで欲しいと頼んだ。

 その方が、安心すると。

 その日から暫く、光汰くん。と呼んだ。

 交際していくうち、自然と君付けが抜けて、いつの間にか呼び捨てになっていたが、それよりも堺がと呼ぶようになったことの方が、周囲からしてみれば前兆も予兆もなくて驚かされた。

 今ではすっかり定着し、驚く者もいない。

 むしろ堺が日向と呼ぶと、クラスメイトからいじられるようになったくらいである。

 二人の関係はクラスの中ではすっかり定着し、夫婦とさえ呼ばれていた。

「光汰、今日は早く終われる?」

「帰りに、部室の掃除がある、から……」

「もう、またなの? 少しくらい他の人に任せたら?」

「先輩の、指示、だから」

「……仕方ないな。じゃあ私も一緒にやるよ。だから、一緒に帰ろうね」

「わかった」

 意地悪したつもりが、二人切りの空間を作ってしまったと、計った先輩は舌を打った。

 放課後、二人で部室の掃除に取りかかる。

 相原は女子だが、男子更衣室に入ることに抵抗はない。

 掃除も簡単に済ませていいと部長が言ってくれたので、二人でせっせと済ませてしまおうと、相原は張り切ろうとして――

「堺光汰様。この度、貴方様は異堺いさかい東京都代表に選ばれましたことをご報告させていただきます」

 いつからいたのか、待ち伏せていたフェアによって、堺の参戦が報告された。

 掃除を終えた、帰り路。

「ねぇ、光汰。異境って、棄権とかできないのかな……」

 心配するが故の疑問だった。

「今まで誰も死んでないっていうけどさ。すごい痛いし、二度と参加したくないって人もいるって言うし……危ないよ」

「俺が、危ない……けど俺が出れば、俺以外は危なくない。俺が逃げると、誰かが代わりに、やらないといけなくなっちゃうから」

「光汰は、優し過ぎるよ……」

 相原は体を預ける。堺の胸に倒れるようにして顔を埋めたのは、これで二度目だった。

「ねぇ光汰。私のこと、好き?」

 意地悪な問いだった。

 好きと言えば、私のお願いを聞いてといい、そうでないと言われれば突き放す。

 突き放されることに対して苦しみを持つ堺ならば、言うことを聞いてくれるはずという、ずる賢い、最悪な考え。

 彼の過去を聞いて、それを利用しようなどと企んでしまった自分が、相原は許せなかった。

「好き……好きって、気持ちが、俺は未だ、よく、わからない――けど、守るなら、日向がいい」

「光汰ぁぁ……」

 泣いて謝った。

 ごめんね、と何度も言葉を重ねた。

 堺は何故謝られているのかわかっていなかったが、泣きじゃくる彼女を抱き締めた。

 そうして迎えた、決戦当日。

「光汰!」

 戦場となる町田駅へと向かう前に、相原は堺と会っていた。

 タオルとドリンクを渡して、背伸び。

「信じてるよ、光汰!」

「……勝つ。勝って、来る」

 堺光汰、参戦。

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