畏怖 東京陣営

 突然降り始めた真夏のスコール。

 曇天を突き刺すように上る火柱は漆黒で、凄まじい雨量を叩きつけてくる雲よりも黒い。

 規模だけ見れば、異能よりも魔法に近い。

 成瀬なるせ電磁砲レールガンとはまるで規模の違う厖大なエネルギー。

 転生者だけが感じられる魔力という力の度合いを、成瀬も感じられる気がする。

 同時、成瀬はその力を感知したときに曾祖父から聞いていた話を思い出した。

 第二次世界大戦。

 曽祖父も戦闘機に乗って、敵国を焼きに飛んでいった。

 同じ頃、日本の人々が敵国からまったく同じ攻撃をされていることも知ったうえでの行動だ。大袈裟に言えば因果応報。

 空を飛ぶ手段を得た国は大量の爆弾と機関銃を積んで遥々敵国へと飛び、街を焼き、人々を殺しに行く。

 空にいれば、地上からの攻撃など届かない。対空迎撃装置など、ほとんど存在しなかった。

 敵と呼べる存在は、同じ空を飛ぶ敵国の機体だ。

 彼らは真っ先にこちらのエンジンに弾丸を打ち込んで、爆発させることを狙う。

 それを躱して今度は自分が敵の機体を撃ち落とすべく、引き金を引く。

 引き金を引くこと自体はとても簡単。指を曲げるだけでいい。

 だがそれを引いたとき、曾祖父は人間をやめてしまった気になったという。

 弾丸が撃ち出され、敵に当たらなければ一縷の安堵を覚え、当たって爆発すれば心臓が潰れそうになるほどの痛みに襲われた。

 それが人を殺す痛みだ。

 どんな正当な理由を以てしても、それだけはやってはいけないと神すら定めた境界線を越えた時、人はただの人殺しへと成り果てる。

 国のためでも、恋人のためでも、家族のためでも、世界のためでも、どんな理由もエゴへと変わり、人を殺した自分を庇護する防壁にしかならず、誰も納得などしない。

 国のために他国を燃やし、恋人のために誰かの恋人を殺し、家族のために誰かの家族を吹き飛ばし、世界のために世界を敵に回している事の滑稽さは、笑う事もできない。

 だが自分には、曾祖父にはそれしかしがみつくものがなかった。

 だから必死に戦った。

 相手を殺し、生き延びることだけを考えた。

 それが日本に残してきた曾祖母との――幼い子供を任せ、置いてきた妻との唯一の約束。

 必ず生きて戻って来てほしい。

 曾祖母も亡くなり、娘と息子にも先に逝かれてしまった曽祖父は、自分が今生きていることを呪いと呼んでいた。

 自分が命を賭して護ったものが無くなっていく様を見せつけられていく地獄だ。

 妻のため、子供達のために戦った曽祖父は、果たして曾祖母らの死と対面した時何を思ったか。想像は出来ない。

 自分の長すぎる生を呪いと言い切った曽祖父は、決して妻と子供達、孫の死を書くことはなかった。

 自分が護り抜いたものが最後の最後まで足掻いた姿を、書き記そうとはしなかった。

 受け入れること。自分の中で命を噛み締めること。それが敵国の数千にも及ぶ人々を殺した自分が唯一出来る贖罪とすら考えていたのかもしれない。

 この戦いを見ているだろう曽祖父は今、何を思っているのだろう。

 ひたすら隣の彼女を守ることだけに徹している自分をなんと思うだろう。

 男らしくないと叱責するだろうか。情けないと恥ずかしく思うだろうか。

 だが成瀬は知っている。

 曽祖父は決して、自分が多くの人を殺してまで家族を護ったことを誇るような人ではない。

 筆を執ったのは、もう二度とこの国が、戦いをしないで欲しいと願いを込めての事。曾祖父は決して自分の行動を、戦いを肯定したい訳ではなかった。

 そんな曾祖父のひ孫に生まれたからこそ、そんな曾祖父の意志を直接聞き届けているからこそ、成瀬は思う。

 こんなところで、棒立ちのままでいいのかと。

――精一杯、自分の大事なもののために戦っておいで

 曽祖父は占い師か、魔法使いだ。

 あの時はまだ、彼女と出会っていなかった。

 戦ってまで護りたい大事なものなんて、まだなかった。

 だが今は、隣で震えている。

 自分のことを、奏多かなたと家族以外に呼んでくれる人がいる。

 大事な人だ。

 出会って未だひと月も経ってないが、大事な人だ。

 この異境に死人は出ない。だけどそうではないのだ。

 曽祖父の言いたかった事、伝えたかった事は敵を倒したか否かではない。

 大事なものを護るため、奮い立ったかどうかだ。

玲央れお。ちょっといいか」

 漆黒の炎を見て、腰を抜かしてしまった常盤ときわと目線を合わせるため片膝を突いて、抱き寄せる。震える背中を優しく擦り、耳元でそっと囁いた。

「ここは俺が囮になる。玲央はさかいらと合流してくれ。ジャンヌもいれば、きっとあいつを倒せる」

「む、無理だよ……ドン・キホーテに任せて置こ? 私達、危なくなったらギブアップすればいいじゃん」

「あぁ、玲央はそうしてくれ。だけど、俺は今ここで、おまえのために戦いたい」

「そんなの……! 奏多がそんな役を負わなくたっていいじゃない! 私の側にいて……怖いの。もう立てないの。お願い、奏多だけでも側にいて……」

 必死の訴えだった。

 ドン・キホーテと敵の戦いはすでに始まっている。

 成瀬が飛び込んでいったところで、あっという間に焼かれて終わるだろう。

 そんな敵を目の前にしてひたすら怖いのに、成瀬までいなくなったら不安でどうにかなってしまうと、常盤は泣いていた。

 成瀬もまた、理解している。

 だからこそだった。だからこそ、ここで戦いたいと強く思っているのだ。

 彼女の涙を指の腹で拭い、再び強く抱き締める。

「この戦いが終わって付き合うってなったとき、俺はおまえに相応しい男になっていたい。俺におまえを護れるだけの力はないけれど、おまえをを護るために戦える人間になっていたいんだ。だから頼む、この戦いが終わったら、もう一度笑顔で迎えてくれ」

 戦争に行くとなったとき、曾祖父は果たして、曾祖母になんと言っただろう。

 この戦いが終わったら、聞いてみよう。

 そう思った次の瞬間には、成瀬は駆け出していた。

 向かうはもちろん、繰り広げられている戦いの最中。

 常盤が止めようと、必死に伸ばした手も届かない速度で、成瀬は駆け抜けていた。

「ドン・キホーテぇぇぇっっっ!!!」

 成瀬は叫ぶ。ドン・キホーテに頼む。

 俺の代わりに常盤を護れと。

 ドン・キホーテは怒りを携えた修羅の面相で成瀬を睨む。同時、その向こう側で成瀬を呼ぶ常盤の姿を見て、駆け出した。

 成瀬の言葉が届いたとは思えない。

 だがドン・キホーテが常盤の下へと走り、彼女を抱えて遠ざかっていったのは、まさに成瀬の思惑通り。

 意図を汲んでくれたとは思えない。

 だが、都合がいい。

「行けぇぇぇっっっ!!!、ドン・キホーテぇぇぇっっっ!!!」

 入れ替わりに、敵と対峙する。

 目の前にしてみれば、迫力は別格。

 ドン・キホーテのように狂化されていなければ、立ち向かうこと自体恐ろしく思えて仕方ない迫力を敵はまとっていた。

 臆している暇はない。

 今後彼女を護れる男になるために、今、ここで引くことは自分のためにならない。

 例えただのエゴだとしても、自分にとって大切なもののために全力を賭して戦う。

 それが成瀬奏多の戦う理由だ。

「選手交代だ。俺じゃあ物足りないだろうが、せいぜいお手柔らかに頼む」

「お手柔らかにぃぃ……?」

 片方の目に二つの目玉で、計四つの複眼がそれぞれ別の方向を向く。

 蛇のように舌をチラつかせて、本来あるべき場所にあるのとは別の、猫背に生えている二本も含めた四本の腕の先に生えている爪は、真っ赤に燃えていた。

 もはや人間でないことは、見た目から充分伝わって来る。

 人馬のドン・キホーテも充分怪物だったが、こいつはそれを超える怪物だ。

 何せ今、首が成瀬の方を向いたまま、縦に一回転した。

「んあぁぁぁっっっ!!! お手柔らかに、お手柔らかに、お手柔らかに、お手柔らかに、お手柔らかに、お手柔らかに、お手柔らかに、お手柔らかにぃぃぃっっっ!!! 主よ! いつから我が聖戦はそのような生ぬるい地獄に変わったのですか?! かの聖女を利用するだけ利用した、百年の戦争は何処いずこへ?! いつから戦いは手心を加えるものに変わったのですかぁぁぁっっ?!」

 燃え盛る爪で自分の体を掻きむしって、自らの体を焼き切っているが躊躇いはない。

 滾るアドレナリンが、彼に痛みを感じさせていないようだ。

 同時、成瀬は目の前の悪魔の正体について一つの確信を得た。

「おまえ、もしかして……青髭か」

 青髭。その単語に男は止まる。

 そして今度は全身を痙攣させながら、失禁しそうな勢いで笑い始めた。

 気味悪い怪物が、更に気味悪くなっていく。

「そう! そぉ! 我は青髭と呼ばれた男! 怪物と呼ばれた男! かの聖女ジャンヌ・ダルクと共に百年の戦争を終わらせた男ぉ! ジル・ド・レィ様だぁぁぁぁっっっ!!!」

 大量の児童大量虐殺の伝説から、青髭と言う書物のモデルにもなった狂気的犯罪者。

 同時、聖女ジャンヌ・ダルクと共に百年間続いた戦争を終わらせたフランスの英雄。

 彼もまた転生して、今の異形になったのなら納得は出来る。

 だがそれはおかしい。おかしいのだ。

 何故、神奈川陣営に転生者が四人もいる。

 何より何故、

 転生者は異境終了後、勝利すれば褒賞を与えられ、敗北すれば何もなしに異世界へ帰還する。どちらにせよ、転生者が異境終了後に現代に残っているはずはない。

 ならば何故、この男はここにいる。

 わからないことだらけだが、成瀬にそれを問い詰めるだけの余裕はない。

 混乱している間にも、青髭は攻撃の構えを見せている。

「ふふひひっ! ふひっ! 混乱しているな? 女を護るためにしゃしゃり出てきたのは立派だが、そんなのは戦場じゃあクソにもならぬ。この戦いで死なないからって調子に乗ってるな? その程度のクソガキに負けるようなら、俺はあの百年の戦争で……生き残ったりしてねぇんだよぉ!!!」

 背中に生えているジル・ド・レィの太い腕が、成瀬目掛けて伸びてきた。

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