幕間 成瀬奏多

幕間ーⅠ

 成瀬奏多なるせかなたには曾祖父がいる。

 祖父も父親も早くに病死したというのに、曾祖父は未だ健在だ。ボケてもいないし、何より毎日三食、肉を喰う。

 成瀬は明治大学を受験するつもりでいるが、それは曾祖父の薦めでもあった。

 何せ明治は、曾祖父が卒業した大学だ。

 曽祖父はいつも言う。

 日東駒専などというが、明治が一番響きがいい、と。

 曽祖父は物書きをしていたらしい。曾祖父が書いた本を、成瀬自身何度か読んだことがある。

 そのためか曾祖父の感性は豊かというか変わっていて、何より言葉の響きを大事にする人だった。

 東大はダメ。専修は古臭い。日大はどこか品がなく、駒沢はどこか気取っている気がすると、独自の持論を述べていた。

 結局、自分の卒業した明治という大学に誇りを持っているのだろうが、曾祖父は何より明治という言葉の、日本の時代の名にもなったその言葉の響きが好きなのだと、いつも言っていた。

 曽祖父は言う。言葉には魔力がある。

 文章とは言葉の羅列だ。

 どのような台詞を並べて、どれだけ綺麗な言葉で飾って、どれだけ難しい言葉で気取ってもそれは書き手の主張でしかない。つまりは単なる人のエゴだ。

 どれだけの長文をかれこれと並べたところで、人の主張だ。それまで生きてきたその人が、見てきたもの、感じたものをただ言葉で飾って主張しているに過ぎない。

 今どきの新聞を見ていると、雑誌を見ていると、それはよくわかる。

 どれだけその記事が真実であろうと、そこには必ず書き手のエゴが混ざっている。

 どれだけその言葉が嘘で飾られた偽りだったとしても、それが人々の心を震わせたのならそれは真実と同等以上の代物と化す。

 故に一度だけ、曾祖父は言葉を怪物とすら呼んだ。

 実際に曾祖父の書く物語は、成瀬の心に衝撃を与えた。

 曽祖父が体験した、戦争の物語。

 人を撃ち殺した瞬間。人の家を焼いた瞬間。人の命を狩り、自らもまた命を狙われる瞬間が、鮮明に脳裏が描写するかのような言葉が並んでいる。

 実際、曾祖父がそれらの言葉をどれだけ誇張して書いていたとしても、それをすべて真実だと言い切ることも、嘘だと言い切ることも成瀬にはできない。

 戦争を知らないのだから当然だ。

 しかし戦争を知らないからこそ、曾祖父の書く物語はとてつもなく衝撃的で、戦争の残酷さと冷酷さを知るには、曾祖父の書く文章だけで充分に過ぎた。

 そして曽祖父は戦争についてあまり語りがらなかったが、一度だけ語ってくれたことがある。

 戦争の無慈悲さを、銃の引き金を引いたときの、命が枯れていくような瞬間を。

 そして今どきの人達は知らない。

 戦争の残酷さを、命を懸けた戦いの冷酷さを、今の人達は知らない。

 それを死ぬ前にひ孫に教えたかったのかもしれない。

 曽祖父はその後、自ら老人ホームに入った。

 まるで、自分の死期を悟っているかのようだった。

 未だ健在だし、曾祖父が倒れたなんて聞いたこともないくらいに元気だ。

 ピンピンコロリとは、きっとあの人の迎える結末のことを言うのだろう。

 そんな曾祖父から戦争の話を聞いた、直後のことだったかもしれない。

「成瀬奏多様。当人が此度の対神奈川戦の異境参加者に選ばれましたことをご報告申し上げます。つきましては、私と共に他三名の現代人参加者と一週間、共に過ごして頂きます」

 家にやってきたフェアは、出されたお茶も飲まずに去っていった。

 女手一つで自分を育ててくれた母親は優しく「あんたの好きにしていいよ」と言ってくれたが、成瀬自身は恐怖していた。

 曾祖父の書いた作品が、深く影響していたことは間違いない。

 異境もまた、戦いであることに間違いはない。

 死なないとは言うが、評判はあまりよくはない。

 調べてみる限りでも、もう二度とやりたくないという参加者の声が多く、何度も参加するようなものでもないという。

 何度も参加しているのは東京代表の青年一人だというが、きっと彼自身すごく変人なのだろう事は想像に難くない。

 実際に会うのは後日だが、この頃からその青年に対しての印象は良くはなかった。

 そして何より、県境を奪い合うという戦い――異境そのものに対しての印象が良くなかった。

 誰も死なない、傷付かないとは言うものの、痛い思いはするし苦しい思いもするのだから、それによって意識を奪われることは仮初の死と呼んでもいいはずだ。

 つまりそれは、人を殺すことと同義だ。

 人の心を殺すことと同義だ。

 ならばそれは、戦争と変わりない。曾祖父が味わった戦争と、なんら変わりはない。

 そんな戦いに自分が出て、何を得られる。

 勝利すれば、確かに賞金も褒賞も得られる。

 だが、敗北すれば何もない――いや、むしろ心に深い傷を負うことだろう。

 人を撃つこと、人に撃たれること、その両方の痛みを受けることだろう。

 そんなことを自分がしていいものか。戦争の痛みを語り継がれた自分が、そんな戦いに出ること自体いけないことだ。

 そう思っていたのだが、老人ホームの曾祖父に異境のことを話すとすぐさま「行ってこい」と返事が返って来た。

 驚きで返事を返せずにいるひ孫に、曾祖父は笑顔で語る。

「おまえは儂の話でしか、戦いを知らん。おまえは儂の言葉でしか、戦いを知らん。おまえは儂のエゴでしか、戦いを知らん。だから知ってこい。戦いとは何か。儂は、おまえの言葉で戦いとは何かを聞いてみたいし、読んでみたい。儂の最後の願いを、聞いてくれるか」

「最後だなんて言わないでくれ、ひい爺ちゃん。わかった。俺、行って来るよ。ひい爺ちゃんが行った戦争よりは小さいし、少し変わっているけどさ。俺は俺の戦いをしてくる。必ず勝って、ひい爺ちゃんも誇れる文章を俺、書くよ。だから待っててくれ、ひい爺ちゃん」

「おぉ。儂もテレビで見とるよ。精一杯、自分の大事なもののために戦っておいで」

 そうして、自分の見聞を広めるために異境への参加を決めた成瀬だったが、現代人四人が集まったときにまた新たな戦う理由を見つける。

 集まった四人の中にいけ好かない異境常連参加者もいたのだが、感情表現の乏しい後輩ともう一人、常盤玲央ときわれおがそこにいたのだ。

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