敗走 神奈川陣営
天狗下駄に刀を挟み、竹馬のようにして器用に立つ牛若丸は、四刀を振り回して攻め立てる。
対して全身を甲冑で包まれた人馬は重槍を振り回し、牛若丸の縦横無尽に繰り出される刃を見事に受けてみせる。
一瞬でも隙を見せれば背後の青年を斬って捨てようと唇を舐める牛若丸の狙いを悟ってか、人馬は一瞬たりとも一部の隙も見せない。
背後に回れば、蹄鉄を嵌めた馬の足で蹴り殺してやらんとさえしそうな人馬の巧みな技の数々に、牛若丸という武芸者は昂っていた。
人馬という異世界でも相手にしてこなかった種族との対戦ということもあって、牛若丸の心は刃を重ねる度に満ち足りていく。
神童と謳われ、天狗の弟子だなどとの伝承も残る牛若丸。
最後は兄によって謀殺された悲劇の天才。
しかし神奈川陣営は彼女を召喚してから、兄が彼女を殺そうとした理由がわかった気がした。
無論、異世界で何かあって変貌してしまった可能性もあるが、しかし彼女という人間の本質はまさに武芸者の鏡と言っていいものだと思われる。
敵の首を取ること、敵を倒すこと、敵将を討ち取ることだけを考え、それを実行出来る能力を持った才児。人を殺す才能に溢れた、まさに時代の恩恵と寵愛を受けた者。
現代において、それはまったくもって発揮する場のない才能だが、この異境においては生かされる。
もしもこの戦いが敵を殺すものだとしたら、彼女は最大の難敵として立ちはだかっていたかもしれない。
人馬の騎士の背後で、祈るように戦いを見届ける
――ひい爺ちゃんが体験した戦争みたいに、この戦いは人が死なない。だけど、人の心を殺すことはできるかもしれない。だから二度目を誰もが嫌うんだと思う。だからもしも敵にそんな奴がいたら、気を付けよう。お互いに
青年は思う。
もしかしたらこの牛若丸こそ、彼の言っていた脅威かもしれないと。
彼女の狂気的に首を狙って来る刃は、命の危険を絶えず感じて仕方がない。
人馬の背後にいなければ、まともに対峙することすら出来なかっただろう。
同時、人馬の存在に大きく感謝する。
守ってくれる背中がこんなにも安心するだなんて思ってもなかった――とはいえ、恋する青年の背格好の方が好きなので、そことは違うタイプの安心感だが――と、深くその感動に包まれていた。
どれだけの刃を叩きこまれても、どれだけの刃が掻い潜って来ても、彼はすべてを弾き飛ばして自分を守ってくれる。
そんな背中の存在に、これほどまで助けてもらえるだなんて、思っていなかった。
「やっちゃえ、ドン・キホーテ!」
「どぅぅぅぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああっっっ!!!」
「くぅっ、くぅっ、くっ、首を差し出せぃ。首を出せぃ。その素っ首叩き切ってやらんと、我が刃は振るいませぃ」
ここまでの戦闘で、牛若丸は自身の使う魔法を一切隠すことなく晒していた。
どれだけ折られようが曲げられようが、次々に出てくる刀、刀、刀。
刀身の形も色も装飾も、同じ刀が次々と現れて、彼女の手となり脚となり斬りかかって来る。
仮にこの魔法を無限刃として、本当に無限なのかはわからない。
もしかしたら魔力か体力の部分で限界が来るのかもしれないが、しかし無限と表現するに値するほどの厖大な量の刀が今まで出て来ているし、これからも出てくるのだろう。
そして天狗の弟子という逸話が本当であるかの如く、軽やかに橋の上を駆け抜け、跳ぶ彼女の身体能力の高さと衰えの無さは、本当に無限に戦って見せるのではないかと思わせる。
人馬もその点で言えば限界など感じさせないが、彼女の華奢な体のどこにそんな体力が詰まっているのか、青年には理解が届かなかった。
「くぅっ、くぅっ、くっ! 楽しい楽しい楽しいぞぉ! 其方との斬り合いは楽しいぞぉ。西洋の棒振り如きに後れを取っているのは癪だが、しかしこれほど楽しい斬り合いは生前にはそうなかったなぁ!」
人馬に強く刃を弾かれ、宙で三度回転した牛若丸は華麗に刀剣を突き立てて着地する。
一切の不安定感を感じさせることはない軽やかさだった。
「いや? いや? 私ぁその後もたくさん斬りやした。蜥蜴の人間に巨大な蜘蛛。魑魅魍魎の怪物も、斬って斬って斬り続けて……楽しかった、楽しかったなぁ。色んな首を取って、国に追われて、いろんな世界と首取りをして……楽しかったなぁ」
握り締める刀剣の刃を舐める神童、牛若丸。
青年は、本当にそんな事をする人がいるんだと背筋に寒気を感じてしまう。
人馬はゆっくりと彼女と青年の間に入って、槍を構えて低く唸る。
それを見た牛若丸の上がる口角の実に歪み切ったこと。
青年が見ていれば悪寒は必至だったろう歪んだ笑みを湛えた牛若丸は、自らが五条大橋と定めた橋の真ん中で独特の構えを見せる。
片脚立ちになって、脚と両手の三本の刀を向けて威嚇。にやにやと怪しげな笑みを湛えたまま、猛禽類のような目で人馬の首を狙う。
「くぅっ、くぅっ、くっ……行くぞ? 行くぞ? 異界で体得し我が秘剣――【
片脚だけで高々と飛び上がり、全身を回転させた斬撃と刺突を三本の刀剣で同時に繰り出す。
一本が胸を貫き、二本がギロチンのように首を断つ。
異世界に転生してから会得した、牛若丸必殺の剣。確実に相手の首を落とす。それだけを考えて編み出した独特の剣。
今までこの剣から逃れた者はない。
それは、狂気の人馬とて同じこと。
だがその首は繋がっていた。
何せ人馬は、天才が放つ必殺の秘剣すらも受けていたからだ。
鈍重に過ぎるその槍と、籠手を仕込み、甲冑までも着込んだ腕で、断頭の一撃も胸を貫く突きもすべて受けきってみせていた。
「ドン・キホーテ!」
「どぅぅぅぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああっっっ!!!」
すべての攻撃を振り払い、人馬は重槍で牛若丸の胴体を薙ぐ。
橋の手すりに叩きつけられた牛若丸は海老ぞりで折れて、その凄まじい衝撃に嗚咽を漏らす。
止まった呼吸を取り戻そうと咳を繰り返し、口の中で絡まる粘液すら吐き出した彼女は、槍の切っ先を向ける人馬を見上げてまた、口角をこれ以上なく歪ませてほくそ笑んだ。
「く……くっくっ、くっ……や、やるではないか……我が秘剣を受けて尚、首と胴体が繋がっていたのは貴様で、貴様で……いや、初めて、のはずだ。とにかく、貴様は我が秘剣を受けて立っている。これ以上嬉しいことはないでござんす……」
たった一振り。
人馬の怪力をまともに受けて、竹馬のような状態で立っていることすら凄いと思える。
ただし全身から脂汗を掻いて、今まで乱れなど知らなかった呼吸は乱れに乱れ、左腕に関しては震えが止まらない様子だ。
それでも戦いをやめようとしないのは、やはり武芸者としての気位か。
それとも敗北に対する恐怖心か。
「く……く……どうしやした? 私ぁまだ立ってるでござんす。私ぁ、まだ刀を握ってるでございやす……それともお情けのつもりか? 私ぁ、そんなものぁ要らんせん。戦場に立てばそれは皆平等に、命を懸けて戦う武人でござんす……慈悲など、愛など侮辱! 私ぁ天才、牛若丸! 女だと思って甘く見るなよ! その素っ首、叩き斬るぞ!」
息も絶え絶えに、吠えた絶叫は虚しく響く。
町から一般人を全員退避させているから、車も電車も通らない。
ひたすらの静寂の中、彼女の叫びは虚空へと溶けて消えて行った。
生憎と、狂気に支配された人馬には返す言葉がない。
無論、背後の青年にも言葉はない。
彼女が生前においてどのような扱いを受けて来て、異世界でもどのような生涯を過ごしているのかは想像するにも能わない。
戦争をしなくなった日本という国では、戦いは今やこのような芸事にまで落ちた。
彼女の言う命懸けの戦いも、ここには存在しない。
だからと言って、この戦いに命を懸けて参戦していると思い込んでいるのだろう彼女に、この戦いでは誰も死ぬことがないなどと、軽薄にただ事実を叩きつけることは、虚しさからできなかった。
故に祈るように、静かに告げる。
「お願い、ドン・キホーテ……終わらせて」
終わる。
その言葉を聞いて、牛若丸は人馬に刃を叩きこむ。
左手が使えない以上、片手での大振りが精一杯。
しかしそんな斬撃では、人馬の装甲に傷一つ入らない。
どれだけ斬撃を叩きこもうとも、それは鋼鉄の装甲に切れ込みすら入れられない。
震えが止まらない左腕を叱咤するように叩きつつ、牛若丸は剣を振り続ける。
だが終わらせろ、という命令を受けている人馬はついに彼女の剣を薙ぎ払い、彼女の体を貫いた。
本来なら血反吐こそ吐くのだろうが、フェアが張ったという結界のせいでダメージは体に残らない。が、全身を駆け巡る激痛が彼女に嘔吐をさせる。
人馬の槍に貫かれて掲げられる彼女の姿を、青年は直視できなかった。
そして牛若丸もまた、自分から目を背けている青年を見逃さなかった。
「ふ、ざけ、るな……討ち、取った敵将の首、ぞ……この、牛若丸の首、ぞ……何故目を背ける。何故、顔を伏せる……! 目に焼き付けろ! 心の臓腑に刻み込め! おまえらは今、我が命を奪うのだ! 我が心を奪うのだ! その程度の関心で私と戦い、勝っただと! ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな! 碁盤を囲んでいるのではないのだ! これは戦いなのだ! 命を懸けた戦いなのだ! 戦いが……戦いが、この、ような……屈辱だ。私に対する侮辱でござんす……兄様に対する侮辱でござんす……戦いが、戦いがこのような娯楽に、成り下がるなどと――!」
槍が振り下ろされる。
叩き落とされた牛若丸は完全に沈黙し、気を失っていた。
本来ならばそこには血溜まりができていて、彼女は息すらしていなかったのだろう。
今の決死の演説も、訴えもなかったはずだ。
だからこそ、彼女達異世界転生者達との価値観の違いを感じてならない。
神奈川陣営は果たして転生者達に、この異境という戦いを正しく理解させたのだろうかと疑問が残る。
ただし青年――
「お疲れ様、ドン・キホーテ。これで、あと四人……」
直前に、神奈川陣営が一人脱落した報告は聞いていた。
これでもう、残り四人。
東京陣営はまだ七人全員が残っている。出だしとしては順調だ。不安なほどに。
その不安を胸の底に押し留め、常盤は人馬の背に飛び乗った。
とりあえずは一時撤退――いや、集合というべきか。
愛しの彼の顔でも見て、癒されたいなと思う常盤の思いに応えて、人馬は颯爽と駆け抜ける。
五条大橋で仁王立ちをしていた万人を斬り捨てて、足早に走り去っていった。
戦況――東京・七:神奈川・四
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