自愛無

離脱 神奈川陣営

 ティーチの海賊船が敵の狂戦士によって木端微塵に大破させられ、座間ざまは水の中へと叩き込まれた。

 すぐさま水面に顔を出さんと泳ぐが、無残に破壊された海賊船の残骸が落ちてくる。

 二五メートルプールをクロールでしか泳げない座間は、残骸のすべてを躱しながら水面に顔を出せる自信などなかった。

 だが泳がなければと、ひたすらに水を掻いて浮上を目指す。

 ここでの幸運は、東京陣営に水中戦を挑むような猛者がいなかったことである。

 もしも残骸の降り注ぐ中で、呼吸も浅い状態で水中戦など挑まれたときには、座間に勝機などまったくなかった。

 そのことを最も実感したのは、水面に顔を出してめいいっぱい空気という空気を吸いこんだ時だった。

 東京陣営のような飛行能力も水上滑走能力もない座間は、浮かんでいた材木に身を乗せてなんとか浮かぶ。

 周囲を見回しても、他の皆の姿はない。

 なんだか嫌な気がして、一瞬だけ自ら沈んで水中を見渡したとき、残骸の下に埋もれる上鶴かみつるを見つけてしまった。

 一度顔を出すが、もう一度大きく息を吸いこんで今度は潜る。

 こんなとき、何故自分は今の彼女を助けられるような異能にしなかったのだろうという後悔が募るが、そんな後悔すらも後回しにして、今は上鶴の救助に向かうしかない。

 ひたすら水を掻いて潜っていく。

 TVで、尼さんがスルスルと潜水していく様を見たことがあった程度。見様見真似だが、意外と沈んで行っている。

 上鶴が沈んでいる底まであと五メートル程度か。

 行けない距離じゃないと自身を勇気づけて泳ぐ座間だが、ここで最悪の事態が襲い掛かった。

 突如物凄い速さで追いついて来た、黒髪の青年。

 座間が必死に泳ぎ進めてきた距離をあっという間に縮めた彼は、満面の笑みで手を振ると、また物凄い速さで、ドルフィンキックで泳いで上鶴へと向かって行く。

(東京陣営……?!)

 まさかこの状況で、上鶴にとどめを刺すつもりではないだろうなと、座間は必死にもがく。

 むしろ力が入り過ぎて余計進まないだろうに、それでも必死に水を掻いて進もうとするが、相手は水中で移動をスムーズにする異能、もしくは魔法があるらしい。

 上鶴を押さえ込んでいた残骸を片手で押し退けると、上鶴を抱き上げてまた、物凄い速度で浮上していく。

 上鶴を助けることで必死になっていた座間だが、ここで自らの限界にも気付く。

 元々底まで行けるかどうかも微妙だったのに、力任せに潜水していったため余計苦しくなってしまって、浮上するしかなかった。

 先ほどと同じようにひたすら空気を求め、力一杯水を掻いて浮上する。

 そうして再び水面に顔を出したとき、いたのは水面で自分を見下ろしている青年だった。

 両腕に上鶴を抱き上げて、ほくそ笑んでいる。

 そして何故か、彼自身は一滴の水も滴らせておらず、まるで濡れていなかった。

「どうも、初めまして。お察しの通り、僕は東京陣営の……そう、遠藤周作えんどうしゅうさくとでも憶えていてくれ。もちろん、この場限りの偽名だけれどね?」

「……上鶴さんを、助けてくれたのか。ありがとう」

「まぁ、この戦いはフェアが見ているからね。死人が出るようなことはないだろうけれど、それでも見捨てるのはねぇ……さて、じゃあ選んでもらおうか――どっちが、僕にやられてくれる?」

「僕だ」

 迷いなどない。

 女性を差し置いて、自分が助かる道など選べない。

 それが座間という青年だ。

「へぇ、自己犠牲を美学とか思っちゃうタイプかい? 君。確かに、最近の若者と来たら秘匿性をいいことに利用して誰ともわからない相手をイジメるよねぇ。そういう奴に限って、普段会う奴に対してはハッキリ言えないんだよね。チキンもいいところってか。自分が傷つくことにビビり過ぎ。そんな度胸もない奴らばかりのこの世間で見れば、君の自己犠牲はとても美しく見えるんだろうなぁ……だけど知っているかい? それが自己犠牲の精神として美談だったのは、少し昔の話なんだぜ? 今はそういうの――ただの自己満足。自己陶酔って言うんだよ」

 と、遠藤は手を離す。

 上鶴の体は、まるで鉛が仕込んであるかのように勢いよく沈み込んでいく。

 座間はすぐさま三度目の潜水で追いかけるが、上鶴が沈んでいく速度が早すぎて、あっという間に底へと沈み切ってしまった。

 遅れて座間が到達。上鶴を抱き上げようとするが、まったく持ち上がらない。

 かといって何か仕込まれているような様子もなく、上鶴はただただ重かった。

 息が持たずに浮上した座間に、遠藤は満面の笑みで微笑む。

「君一人の命の価値が、一体どれだけ重いと思い込んでいるんだい? たかが一学生の命一つで、他人の命が救えるほどこの世は美しくないんだよ、もう。それこそ、彼ら転生者がこの世界に生きていた時代の話さ。君一人が正義の味方を演じたって、誰誰も救えないんだぜ?」

「あの子に、何をした……」

「普通に考えて、まぁ僕の異能だよねぇ。そうだよ? 僕の異能は【配分】。物体も人間も関係なく、能力値を割り振ることが出来る」

 と、躊躇いもなく遠藤は明かす。

 だが明かされたところで、異能など解除の仕方が限られる。

 特定条件をクリアするか、異能者自身を倒すかだ。

 そして座間は、自分の能力が決して戦闘向きなものでないことをわかっている。

 遠藤を倒せる確率は、どうしても低い。

「まず、能力値全体のトータルを百とするだろう? 僕はその能力値を好きなように割り振って、本来ならあり得ない能力値すら発現できる。現に彼女の体重能力値を八割割り振ったから、鉄塊のように沈み込んで持ち上がらない。わかるかい? 僕はいわば、キャラクターの能力値を決定する作者のポジションなのさ。創作者は物理法則に従うんじゃない。物理法則そのものを作り上げる。その物理法則が通じる世界、そのものを構築する。それが僕の能力だ。格好つけて、【配分パラメーター】とでも名付けようか」

 勝てる要素が見当たらない。

 もしも彼の言っていることが事実だとしたら、彼の能力はほぼ無敵だ。

 何せ攻撃能力値をほぼゼロに配分されれば、戦うことすら不可能なのだから。

 チートと吐き捨てるのは容易い。

 が、だからといって上鶴を見捨てるという選択肢はない。

「どうすれば、いいですか」

「あくまで彼女を助けると。君がどんな異能を貰ったのかわからないけれど、単純に見ても男子の君が頑張った方がいいんじゃないのかい?」

「……今後の展開的に、確かに俺はいた方がいいと思う。だけど、だからと言って僕はやっぱり、女の子を見捨てられない」

「ブラァボッ!」

 喝采。

 称賛を送る惜しみない拍手が響く。

 たった一人の拍手が乾ききった音で響く中で、座間はチラチラと上鶴の様子を窺っていた。

 こうして話している間にも、上鶴が危険な状態であることは変わりないのだから。

「何、大丈夫さ。僕がただ能力を解除すればいい。体重を増やした分、彼女の撥水能力も上がっているから、まだ彼女は水を飲んですらいないはずだ。僕がただ解除すれば、それで済む。ただし――」

「わかっている。その代わり、俺がリタイアする。というより、僕が異能を使えば自動的に、僕はリタイアする。そういう能力だ」

「なるほど? 先ほどの発言は撤回しよう。君はそこらの自己犠牲の美学に憧れるだけのヒーロー気取りじゃあないみたいだ。じゃあ彼女を救ってやりな、ヒーロー」

 上鶴は目を覚ます。

 ずっと冷たくて、苦しい場所に沈んでいたと思っていたのに、自分が寝ていたのは夏の日差しに焼かれた灼熱のアスファルトの上。

 見れば、ビルのずっと上の方まで沈んでいた証拠に一定の高さまで濡れていた。

 そしてすぐ側には、座間が倒れている。

 その顔に白いハンカチがかかっていたものだから、上鶴は最悪の展開すら想像して思い切りハンカチを引き剥がして、座間の呼吸を確認。

 杞憂だとわかると、果てしない安堵に包まれた。

 そこに審判役、フェアがやって来る。

 状況を見たフェアは真っ白な札を取り出して、静かなままに宣告した。

「神奈川陣営、座間駿介しゅんすけ様。戦闘不能により、脱落。神奈川陣営、残り六名でございます」

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