1-03 私は逃げ出した!

 目が覚めると、そこは知らない部屋だった。

「……え?」

 一瞬だけ呆けた後、わたしは慌てて起き上がり、部屋の中を見回す。

 少々歴史を感じさせるふすまに障子戸、日に焼けた畳の純和風な室内。

 昨今、あまり見かけなくなった古式ゆかしい日本家屋。

 こんな状況でさえ無ければ、『なんとも風情のある部屋だねぇ~』とか思えるのかもしれないが、現状ではそんな余裕は無い。

「着衣に乱れは……ない」

 いつもパジャマ代わりに着ているジャージ姿で、特に脱がされた様子もない。

 一応、ズボンの中を覗いてみても――うん、大丈夫な感じ。たぶん。

「しかしこの状況……誘拐?」

 拘束こそされていないし、閉じ込めるにはやや向いていない部屋だが、人の意識を奪って拉致するというのは、一般的には未成年者略取誘拐の範疇だと思う。

 しかし、ウチは平凡なサラリーマン家庭なので、営利目的の誘拐という確率は低い。

 となると、女の子としては考えたくない、あっち方向での誘拐という可能性が――。

「あわ、あわわわ、に、逃げなきゃ……!」


 ぐいっ、ドタン!


 慌てて立ち上がろうとしたわたしは、ズボンの裾を踏んで、無様に畳に突っ伏してしまう。

「痛た! ……もう! 何でこんな時に!」

 ジャージのズボンを引っ張り上げ、ウェストの紐をぎゅっと結ぶ。

 でも、転けたおかげで少し落ち着いた。

「そう、こんなときこそ、びー、くーる」

 わたしは大きく息を吐いて、改めて部屋を見回す。

 この部屋は一面が床の間と戸棚、二面がふすま

 最後の一面がおそらく縁側へと繋がる障子戸になっている。

 人がいるとすれば、襖の方かな?

 そっと近づき耳を当ててみる。

 ……何の音もしないし、人の気配も感じられない。

 今度は障子戸の隙間から外を覗いてみる。

 うん、やっぱり。

 縁側の向こう側に外の風景が見える。

 やや荒れ気味の庭とその向こうに森。

 大きめの建物の影が見えるが、戸の隙間からだとよく解らない。

 逃げ出すことを考えれば、ここから飛び出せば良いんだけど、わたしを拉致した人がいるなら、当然そちら側を警戒しているはず……。

 それに素足で走るのはちょっと厳しい。

「どうしよう……?」

 視界の範囲では人影は見えないが、無人かどうかは解らない。

 かといって、何もしなければ事態の好転も無い。

「誰もいませんように……」

 祈るようにそっと障子戸の隙間を広げる。

 少し広がった戸の隙間から見えてきたのは、古びた建物。

「これは……神社? お寺?」

 かなり傷んではいるが、そんな感じの建物。

 そんなに詳しくないので、見ただけでは神社かお寺か、もしくはそれに似ているだけの建物か、わたしには区別がつかない。

 わたしにとって、鳥居があれば神社、仏像があればお寺、ぐらいの認識なのだ。

 というか、現状でそこは重要じゃないし、気にする必要も無いけどね。

「逃げられる……かな?」

 障子を開けて、駆け出せば、簡単に逃げられそう。

 逃げられそうだけど……誘拐されたのなら、そんな簡単にいくのは怪しすぎる。

 取りあえずは、いったん障子を閉めて、今度は襖をちょっとだけ開けて覗いてみる。

 片方はこの部屋と同じような和室、もう片方は薄暗い廊下。

「第一目標、履き物の確保、だね」

 サバイバルを考えるなら食料もだが、いくら田舎でも一日も歩けば人里に付くはず。

 山奥に監禁されているならともかく、神社かお寺があるような土地なんだから。

 ……とりあえず、廃村という可能性は考えないことにする。

 怖いので。

 わたしはそっと廊下側の襖を開け、首を出して様子を窺う。

 音は聞こえない。

 右を見ると玄関らしき場所。

 足を忍ばせそこに向かうと、草履が一足置いてあった。

 ――よしっ!

 小さくガッツポーズをしてその草履を回収、慌てて元の部屋に戻り、襖を閉めて大きく息をついた。

「ファーストミッション、コンプリート、かな」

 改めて持ってきた草履を見ると、女性用みたいで少し小さめ。

 運良くわたしの足にちょうど合いそうなサイズ。

 草履なんて普段履かないだけに、大きな男物だったら歩くのにも苦労しただろう。

 それでも、裸足よりはよっぽど良いと思うけど。

 わたしは草履を持って再度気合いを入れると、今度は障子をゆっくりと開けて辺りを窺う。

 ――人の気配なし。

 そっと縁側に出て草履しっかりと履くと、一気に駆け出した。

 目指すは大きな建物の表側。

 小細工をするような技術なんてないから、とにかく最短距離を駆ける。

 思った以上に身体が軽い。

 瞬く間に建物を回り込み、見えてきたのは鳥居。

 どうやらここは神社だったみたい。

 だけどそんなことよりも今は、出口が判りやすいのがありがたい。

 鳥居があって下りる階段があれば、ほぼ間違いなく外へ続いているはず!

 そこに向かって走り、階段を駆け下りようとしたわたしは、足を踏み出そうとして慌てて急ブレーキをかけた。

「なにこれ!」

 そこには確かに石段があった。

 あったんだけど、それは随分と荒れ果てていた。

 石段には厚く落ち葉が積もり、左右から突きだした木の枝が覆い被さって、立って歩くことすら難しい。

 その上、青々と茂った木の葉は視界を遮り、石段の長さすら解らない。

 更には手すりのような洒落しゃれた物も存在せず、駆け下りようものなら足を滑らせて落下する可能性大。

「う~~、仕方ない!」

 しばし躊躇したものの、下りないわけにはいかないのだ。

 わたしは慎重に、かつ急ぎながら、枝を持ち上げたり、横に避けたりしながら階段を下りていく。

 慣れない草履に不安定な足下。

 かといって、そちらに注意を向けすぎると、枝にぶつかってしまうというジレンマ。

 更には誰かが追いかけてくるかも、という焦燥感。

 そんな状態でミスをしないなんて、誰だって無理だよね。うん。

 案の定、階段を数十段も下りないうちに、わたしは見事に足を滑らせた。

「わっっっ!!」

 湿った落ち葉がずるりと滑り、片足が宙に浮く。

 なんとか踏み止まろうともう片方の足に力を入れるが、そちらの足場だって良くは無い。

 とっさに生い茂った木の枝に手を伸ばす。


 ガシッ!


「よしっ!」


 ぐぐっ、バキッ!


「のうっ!」

 なんとか掴んだ木の枝も、あっさりと折れる。

 決してわたしが重いわけでは無い。

 勘違いしてはいけないよ?

 きっと掴んだ木の種類が悪かったのだ。

 太い枝でも折れやすい木ってあるからね。

 例えば柿の木とか。

 安易に木登りすると大怪我に繋がることもあるから、要注意。

 お姉さんとの約束だよ!

 などと、益体やくたいも無いことを考えて現実逃避している間に、わたしの身体は自由な空へ Fly away!

「――――っっっ!!!!」

 声も出ない。

 とっさに頭をかばって身体を丸める。

 頭さえ無事なら、人間、そう簡単には死なないのだ。きっと!

 浮遊感。

 衝撃。

 主観的にはとても長い、でも客観的には短い時間が終わり、衝撃と共に地面に激突、わたしの身体はゴロゴロと地面に転がった。

「うぅっっ! 痛たた……た? ん? あれ? あんまり痛くない?」

 わたしは、おや? と首をかしげる。

 結構な衝撃があったと思うんだけど……それに比較して痛みが少ない。

 枝が折れた瞬間には、少なくとも大怪我を覚悟したんだけど、手足を伸ばしてみても、折れている様子がない。

「うーーんんん?」

 転がった地面は石畳。

 厚く積もっている落ち葉がクッションになった……?

「……はっ! こんなことを考えている場合じゃなかった!」

 慌てて周りを見回し、落ちていた草履をはき直すと、参道脇の茂みに身を潜める。

 そのまま息を殺して、一分、二分……。

「誰も……こない?」

 耳を澄ませてみても、人の声や足音は聞こえてこない。

 わたしは大きく息をつく。

 いや……よく考えたら、仮に追いかけてくるにしても、あそこは通らないよね?

 どう見ても、人の行き来があるような階段じゃなかった。

 となると、ますます状況が解らない。

 別の道がある可能性はあるけど、正面の参道をあんな状態で放置する……?

 なら、やっぱり廃村?

 わたしは茂みに身を隠したまま、そっと参道の入り口を窺う。

 そこに見えるのは、いかにも“のどかな農村”という風景。

 道は未舗装の土道で、一面に田んぼと畑が広がり、そこでは数人の農家が牛を引きながら畑を耕している。

「うん、廃村という可能性は消えたね。のどかで平和な風景。日本の原風景というか……ん? 牛?」

 もう一度よく見てもそれは牛。

 黒くガッシリとした牛に農機具を付けて、畑を掘り起こしている。

「えーっと、未だにこういう村ってあるのかな? ロハスとか、有機農業? 自給自足なスローライフ?」

 農家の人の服装も妙にみすぼらしいというか、近代的でないというか……今時、ジャングルの奥地ですらTシャツを着ていたりするのに、あの格好はありえるの?

 相手に見つからないように更に周りを見回すと、遠くに建物が見えるが、その家もまた渋い。

 茅葺きで土壁。トタンや波板、ガラスなんて全く使っていない。

 更に言えば、電柱や電線も一切見えない。

 インフラの完全地中化という可能性が無いわけじゃ無いけど……道路の舗装すらしてないのに?

「……仮説一。ここは世界遺産の保護地区やソレ系のテーマパーク」

 その場合、あの人たちは施設のアクターとかで、それっぽい格好をしているだけということになるけど、問題はわたしのいた場所。

 廃墟をテーマにでもしていなければ、あんな参道にはならないだろう。

 更に言うなら、畑を耕しているのに、それを見ている観光客が全くいないし、お土産物屋などもない。

 う~~ん、大陸の国の奥地なら、こんな風景もあり得るかも?

「仮説二。怪しい宗教団体」

 自然派とか標榜するような金持ちの団体が辺りの土地を買い占め、ここで昔ながらの生活しているとか……。

 ちょっと苦しいか。

 あの神社のこともあるし。

「仮説三。某国に拉致られた」

 実績ある某国だけに、あり得ないと言えないところが超怖い。

 昔の神社があっても不思議じゃないし、この農作業の風景ですらあそこならありそうだ。

 ――え? そう考えたら、なんか可能性が高くない?

 否定材料と言えば、拉致して放置している事と、あの国でも家を作るのにコンクリぐらいは使っているはず、と言うことぐらい?

「え、えっと……。仮説四! わたし、時を○ける少女。石段からも落ちたし」

 ここが過去の日本なら、この風景もおかしくはない。

 時間移動なんて非科学的?

 はっはっは、某国の拉致の可能性が減るなら、『科学的』なんて言葉、丸めてポイだね!

 このケースも困るけど、殺されたり、無理矢理結婚させられたりしないもん。

 合意のない結婚って、それ、ただの強姦だよね?

「うぅ~~そう考えたら、怖くなってきた。どうしよ?」

 仮説一なら良い。あそこの人に「助けて~」と言えば、きっと家に帰れる。

 仮説二でも、拉致にその団体が関わっていなければ、帰れると思う。

 仮説三なら、声をかけたら死亡確定。

 仮説四は、言葉が通じれば、わたしはちょっと変な服を着た怪しい人。

 通じない場合、凄く怪しい人。

 古文と違って、日本語の話し言葉はそこまで変化してないよね?

 命の危険の有無は解らない。いきなり襲いかかってきたりはしないと思うけど……。

 それ以外の場合は……どうなるんだろ?

 前提が解らないから、想定できないね。

「でも、まずは行動するしか無いよね!」

 わたしは一つ気合いを入れると、一歩踏み出した。

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