2-09 再訪 (3)

「これって、結構分厚いよね……?」

 どんな藻が生えているのかと、湖に手を突っ込んで引き上げてみれば、そのままズルズルと繋がったまま引っ張られる藻。

 なんだろ。細い繊維が絡み合った分厚い絨毯のような……マリモをほぐしたような、そんな感じの藻で、厚みは一〇センチは超えている。

 これだけ分厚ければ、簡単には取り除けないよねぇ。

 池の水を全部抜いて、お掃除するってテレビ番組があったけど、これだけ広い湖だと……流入量もかなり多いよね。

「ちなみに、この湖ってどれぐらいの大きさがあるの?」

「直径三キロぐらいですね」

 わたしの問いに答えたのは澪璃さんではなく宇迦だった。

 その湖の中央に、直径三〇〇メートルほどの島があるらしいので、若干面積は狭くなるけど、それでも簡単に水が抜けるような大きさじゃない。

 ポンプみたいな魔道具とか、作れるかな?

「いえ、紫さん、ポンプがあっても無理ですよ? この湖、深いですから。ねぇ、澪璃?」

「ですよぅ。一番深いところだと……八〇〇メートルぐらいありますよぅ」

「深っ!? なにそれ!」

 それでいて、中央には島があるとか、いったいどんな成り立ち……って、自然現象だと考えるだけ無駄か。

 神様がいるんだし、『なんとなく作ってみました!』で済んでしまいそう。

 どちらにしても、排水が不可能なことに変わりはないのだから、成り立ちが判っても意味が無いし。

「そもそも、何でこんなに藻が大発生してるの? 普通の藻だよね、これって」

「原因を何とかしないと、掃除しても意味が無いですからね」

「判らないですよぅ。判ったら、対策してますよぅ……」

「そうだよねぇ……」

 澪璃さんの長い人生、ならぬ神生の中でも初めての事のようで、わたしたちの所に助けを求めにきたらしい。

「わたしが考えつく原因なんて、富栄養化ぐらいしか無いんだけど……」

 富栄養化、つまり湖の水に含まれる栄養素が多くなった状態。

 歴史の授業で習った琵琶湖の水質悪化は、リンの入った洗濯洗剤が原因だった気がする。

 リンは肥料の三要素の一つだからね。

「紫様、その富栄養化って、原因は何なんですよぅ?」

「わたしの住んでいたところだと、人間の生活排水とか、家畜の糞尿とか……」

 工場排水なんかもあったけど、それは関係ないよね、ここだと。

「それはないでしょう。人は突然増えたりしません。澪璃、藻が増え始めたのは何年も前からってわけじゃないんですよね?」

「ですよぅ。ここ一ヶ月ぐらいですよぅ」

 むむ、なら人間が原因という可能性は低いか。

 虫じゃあるまいし、さすがに数ヶ月で人間が大量発生する、なんてことはあり得ない。

 移動してくるならあり得るけど――。

「難民……移住、とかは?」

「その可能性もほぼゼロです。大量の人が自分の領域に入れば祐須罹那も気付きますし、移住してきた人間が、何の挨拶にも来ないなんて、考えにくいです」

 神様から見れば、人間の移動なんて大した問題では無いけれど、問題が発生するほどの人数であれば、さすがに目に付く、という事らしい。

 そして、移住してきたのなら、土地神に挨拶をするのもまた当然なんだとか。

 まぁ、神様が実在するのなら、隣近所への挨拶回りより、神様の方が重要だよね。

 言うなれば、すっごく大きな権限を持った地主や大家さん。挨拶もせずに住み着くなんて、あり得ないか。

「紫さん、そもそも人間たちは自然を汚す事を恐れます。今回の件も、もし人間が原因であれば、澪璃によってその人間の集団は滅ぼされる事すらあり得るのですから」

「あー、そうなんだ?」

「わっちはそんなに乱暴じゃないですよぅ。ちょっと追い払うだけですよぅ」

 澪璃さんはちょっと心外そうに宇迦の言葉を否定するけど……まぁ、そういう世界なんだよね、ここって。

 戯れに人を殺す悪神だっている世界、自然に対する畏敬の念は、わたしが想像する以上だろう。

「それじゃ、ま、人間が原因じゃないと仮定して――」

 むしろそうであって欲しい。

 人間を叩き潰す澪璃さんなんて見たくないし。

「他には……大雨で栄養豊富な土壌が流れ込んだ、とか?」

 ちょっと違うけど、ナイル川なんかは、雨期に上流の肥沃な土が流れてくる事で、豊作になったという話もある。

「それはあり得るかもしれませんね。要石の欠片がここまで流れ着いているわけですし」

「なら、栄養を消費してしまえば、もう発生しなくなるはずだよね。……とりあえず、この藻を全部取り除いてみる?」

 これだけ大量の藻が消費したのなら、湖の水に含まれる栄養は少なくなっているはず。

 追加供給がされていなければ、この藻さえ取り除いてしまえば大丈夫――かもしれない。

「でも紫様、取り除いた藻を置く場所が……」

「それは大丈夫。わたしにはストレージという反則技があるからね! これなら、周りの土地も汚れないから」

 原理はよく解らないけど、大量の荷物を突っ込める不思議アビリティ。

 下手なスキルよりも役に立つこれがあれば、大量の藻も処分には困らない。

 ――いや、さすがにずっとゴミを入れておくのは、なんとなく気分が悪いから、何らかの方法で処理は必要だと思うけどね?

「いいんですかぁ?」

「うん。集めるのは問題ないんだよね?」

「大丈夫ですよぅ。湖の上にある物なら、簡単なことですよぅ」

 そしてその言葉通り、澪璃さんがにっこりと笑って軽く手を振ると、湖の表面を覆っていた藻が、ずぞぞぞって感じに動き出し、わたしの目の前で盛り上がる。

 なんだか見た目は怪しげな生物みたいだけど、これって澪璃さんが操作してるんだよね? ――っと、早く片付けないと。

 わたしはその盛り上がった藻の塊をウィザード・ハンドで掴み上げると、そのままストレージに放り込む。

 掴んでは、ポイ。

 掴んでは、ポイ。

 みるみるうちに、ストレージの“藻”の桁数が増えていく。

 ゲーム中だと、一つのアイテムのスタック数は九九九個で、それを超えると別のスタックに切り替わるんだけど、今回の藻は袋や箱に入っておらず、ひとまとまりになっていないせいか、何故かトン数表示。

 それが、千を超え、万を超え、十万を超え……多いね!?

「澪璃さん、あとどのぐらい?」

「もう半分は超えましたよぅ」

「そ、それでもまだ半分……」

 澪璃さんが集めてくれるので、わたしは動く必要も無く、消費しているのはMPだけなんだけど、気分的には結構疲れる。

「ガンバですよ、紫さん。――私としては、それだけ入れてもまだ入る紫さんのストレージが驚異的ですが」

「不思議だよね。わたしも不思議。むしろ、宇迦。何故かは解らないの?」

「解りません。正直なところ、紫さんのスペックは、祐須罹那としても想定外なんですよね」

「そうなんだ? まぁ、便利だから良いんだけど」

 首を捻る宇迦に、わたしも同じように首を捻る。

 でも、正直なところ、このストレージが無ければかなり不満が溜まっていたと思うから、あって良かったんだけどね。

 日々の食事も、便利な衣服も、全てストレージの中身があってこそだから。

「紫様、あと少しですよぅ」

「みたいだね~。やっと綺麗な湖が見え始めたよ」

 わたしたちの周囲の湖面はまだ緑に覆われているが、少し離れた場所は綺麗な水面が見え始め、太陽の光を反射して輝いている。

 藻があった時には気付かなかったけど、かなり透明度が高い、綺麗な湖なんだね。

 さすが神域だけのことはある。

 これは、夏に向けて期待が高まる。

 ――などと、楽しいことを考えつつ頑張ることしばらく。

「これで最後ですよぅ」

「うん……よしっ、終わったぁ~」

「お疲れ様です」

 大きく息を吐いて万歳すると、宇迦がわたしをねぎらって、肩をトントンと叩いてくれる。

 身体を動かしていたわけじゃないけど、逆に動かなかったから身体がちょっと強ばっている。

 本格的なマッサージみたいな効果は無くても、宇迦のその気持ちが嬉しい。

「澪璃さんもお疲れ様。体力……神力? とか、そんな感じのものは大丈夫?」

「わっちにとって、水の操作は息をするようなものですよぅ。しかも、わっちの神域、全然問題ないですよぅ」

「そっか。神様だもんね」

「ひとまずこれで、様子見ですか? 紫さん」

「だね。また藻が繁殖するようなら、別の方法を考えなきゃだけど」

「お手数をおかけしましたよぅ」

「気にしないで。わたしたちも暇してたし」

「さっぱり外出しない紫さんが、出かけるきっかけにもなりましたしね」

「……別に引きこもりじゃないよ? 用事が無いだけだよ?」

「はいはい、解ってますよ。でも、これを機会に、たまには散歩に出ましょうね」

「うん、時間があったら考える~」

「暇してたという、舌の根も乾かないうちになにを」

「ま、ま、そのうちね、そのうち~」

 若干呆れたように肩をすくめる宇迦に、わたしは曖昧な笑みを向け、その背中を押す。

「それじゃ、澪璃さん、またね」

「はい、ありがとうございましたよぅ」

 お礼を言う澪璃さんをその場に残し、わたしと宇迦は神社へと戻ったのだった。

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