2-10 原因調査 (1)

「元に戻ってしまいましたよぅ……」

 若干泣きそうな表情で、澪璃さんがウチを訪れたのは、それから三日後のことだった。

 『わずか三日で?』と思いながらも湖に行ってみると――。

「本当に元通りだね」

「えぇ、まさかここまでとは……」

 数日前に見た綺麗な湖の姿は失われ、再び分厚い藻に覆われた悲しい湖の姿に戻ってしまっていた。

「……あ、でも、藻の層は少しだけ薄いかも?」

 藻を引っ張り上げてみれば、気持ち程度だけど、絡み合った藻の密度が若干粗く、その厚みも薄いような気がする。

「まだ三日ですからね。それより澪璃、ここまでになる前に言いに来なさい」

「寝て起きたら、こうなってたんですよぅ。すみませんですよぅ」

 『寝て起きたら』とは言っても、そこは神様。

 先日わたしたちが帰った後、湖底で一眠りして、今朝目が覚めたらこの状態だったらしい。

 一眠りが丸二日以上とか、本格的睡眠だと、どれくらい寝るんだろう?

「これ、もう一度掃除しても、元の木阿弥だよね?」

「でしょうね。何らかの原因があり、それが継続しているって事でしょう、これは」

「ま、ある程度は予想していたけど」

 一時的に湖の栄養分が増えただけなら、一度掃除してしまえば、二度目はそこまで繁茂しないかもと期待はしたけど、そんなに単純じゃないよね。

 人為的に肥料をまいたとかでなければ、流れ込む水が変化したとか、他の要因があるだろうし。

「澪璃さん、水に変化は無いの?」

「わっちは普段、深い場所にいるので気付かなかったんですけど、表層部分の水はちょっと臭いが変わっているですよぅ」

 やや申し訳なさそうにそう口にした澪璃さんに、宇迦が文句を言いかけて、首を振った。

「それなら先に――って、これだけ藻が茂っていれば、臭いも変わりますか。紫さん、どうします? 上流を見に行ってみますか?」

「それが順当だよね。問題はどうやって川を遡るかだけど……。ゴムボートなんて無いし」

「わっちが元の姿に戻りましょうか? お二人を乗せて遡りますよぅ」

 澪璃さんの元の姿。

 それはちょっと興味ある。

 けど――。

「いや、今回は空を飛んでみようかな? 忘れてたけど、わたし、飛べるし。『フライ』。よっと!」

 必要性が無かったから忘れてたけど、わたしの使える魔法には空を飛ぶ物もあったのだ。

 早速呪文を唱えてみると、わたしの身体はふわりと浮き上がり、わたしが思った通りに上下左右、自在に移動する。

「おぉ……これはなかなか……楽しいかも!」

 バランスとかを考える必要も無く、とても自然。

 まるで当たり前のように動ける事が、逆に不思議なほど。

「宇迦たちは……」

「わっちは飛べますよぅ」

 そう答えて、同じように浮かび上がったのは澪璃さん。

 それに対し、宇迦の方は困った顔で首を振る。

「祐須罹那本体ならともかく、こちらは……」

「そっか。じゃあ、宇迦はわたしが抱えよう」

 一度地面に降りて、どうやるのが良いかと思案。

 後ろから抱えるのは……ちょっと怖いよね。やられる方としては。

 袴でおんぶはやりにくいので、無し。

「って事で、お姫様抱っこに決定!」

「わわっ! 紫さん!」

 わたしがささっと抱き上げると、宇迦は驚いたようにわたしの首に手を回してきた。

「ちゃんと掴まっててね~。落ちたら……怪我はしなくても、濡れるし」

「……解りました。ちょっと不本意ですけど、行ってください」

「了解! それじゃ、澪璃さん、行ってみよう!」

 再び飛び上がり、澪璃さんと共に川の上を上流に向かって飛んでいくと、思った以上に川は荒れていた。

 昨日まで降り続いていた雨の影響かその水量はかなり多く、流れも速い。

 流木混じりの濁流は川の両岸を削り、茶色い水がゴウゴウと音を立てていた。

「……おぉぅ、なかなかに、酷い状況?」

 まるで豪雨災害、と思ったわたしに比べ、澪璃さんと宇迦は平然と、むしろ驚いているわたしを不思議そうに見ている。

「そうですか? この時季はこんなものですよぅ?」

「紫さんのところとは違って、護岸工事なんて行ってませんからね。川があふれたり、流路が変化したりするのは日常茶飯事ですよ」

「そうなんだ?」

 歴史的に『この川は昔、あっちの方を流れていた』とか聞く事はあっても、実感するような事は無かったけど、ここだと普通の事なのかぁ。

 さすがに数年で変化するって事は無いと思うけど、わたしが帰るまでには川の場所が変わったりしてるのかも。

「でもそれなら、変な物が流れ込む余地も多いって事だよね」

「まぁ、そうですね。問題はその“変な物”が何か、ですけど。ついでに言えば、例年は無いような物って事ですから」

 日常茶飯事なら、川の周囲の土が原因って事も無いか。

 森の土が流れ込めば水の栄養分は増えそうだけど、毎年の事のようだし。

 澪璃さんが経験していないのだから、少なくとも数百年レベルで起こらないような現象……そんなのあるかな?

「もう少し行くと、神域ですね」

「ここまでには気になる物は無かったけど……あっ! あれ!」

「あれ、熊ですよぅ」

「死んでますね」

 わたしが見つけたのは、川に上半身を突っ込むような状態で倒れている、大きな熊の死体。

 死んでからどれぐらい経っているのだろう。

 その死体はちょっと描写したくない状態になっていて……うっぷ。

 ダメ。目を逸らそう。

「ねぇ、宇迦。あれが原因という可能性は……?」

 わたしがそっぽを向いて訊ねると、宇迦は少し考えてから首を振る。

「生き物の死体は栄養豊富ですから、ゼロでは無いですが、さすがに澪璃の湖一面に藻が繁殖するほどではないですよ」

「ですねぇ。生き物の死体ぐらい、時々流れてくるですよぅ」

 あぁ、やっぱりそうなんだ。

 ……ところで、その“生き物”に人間って含まれてますかね?

 かなり気になったけど、わたしは敢えて訊かない。

 だって訊いちゃったら、澪璃さんの湖で水遊びができなくなるからね!

 そして、関係ないのなら、R18に用はない。

「焼いちゃおうか……?」

「別に構いませんけど、放っておけば、勝手に分解されますよ?」

「いや、そうなんだろうけど……」

 あー、でも、死体があったら処理しよう、と考えるのは人間の勝手な都合だよね。

 あれだって、他の生物の餌とかになるのかもしれないし。

 自分の生活圏じゃなければ、宇迦の言うとおり、放置するのが正しいのか。

「……解った。じゃあ、あのままで」

 でも、見ていて楽しい物ではないので、わたしたちはさっさとそこを離れて、更に上流目指して飛んでいく。

 それ以降も、周囲には大雨の爪痕が散見されるけど、宇迦たち曰く、『この時季は大体こんな感じ』らしいので、今回の事とは関係が無いみたい。

「むー、だいぶ山の中に入ってきたけど……」

「既に祐須罹那の神域ですね」

 神域だからと言って、特別な変化があるわけでもなし。

 ごく普通の、荒れた川。

 いかにも怪しげな物があったりはしない。

「……あ、あそこは結構崩れてますね」

「ホントだ。土砂崩れだね」

 平野部に比べ、御山の中に入ると勾配がある分流れも速く、川岸の削れ具合もやや大きくなっていた。

 やや切り立った場所などは、下側が削れることで、その上の崖が崩れていたりもする。

 宇迦が指さしたのは、そんな中でもやや大きく崩落している箇所だった。

 転がり落ちた岩が川の中にいくつも転がり、川を半ばせき止めてちょっとしたダムのようになっている。

 思ったよりも硬そうな崖には空洞があったのか、洞窟のような物も見える。

 少し白っぽく見えるのは、石灰石か何かかな?

「石灰岩だとすると……宇迦、御山には鍾乳洞とかあるの?」

「あまり大きな物は無いと思いますが、多少はありますよ。……景勝地とするには向いていないと思いますけど」

「いや、さすがにそんな事は考えてないからね?」

 秋芳洞には行った事あるけど、鍾乳洞なんて、きちんと整備してあるからこそのんびりと観光できるのだ。

 そのままだと足場も悪いし、水も流れているしで、観光ではなく冒険である。

 まぁ、『フライ』とか『ライト』を使えば、普通に見て回れそうだけどね。

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