1-22 ファーマー、紫
日々の日差しが、時折暑く感じられるようになってきた今日この頃。
わたしの菜園では青々とした葉が茂り、蔦を伸ばし、田んぼでは揃って植えられた稲の葉が風に揺れていた。
「順調に育っているね。知識はあっても、実践は初めてだったけど、何とかなるもんだね。さすがスキル」
なんの問題もなく育っている野菜たちに、わたしはにんまりを笑みを浮かべる。
そこまで手を掛ける必要は無いんだけど、畑を見回るのが最近のわたしの日課。
順調に育っていて、毎日の変化が判るのが、なんか良い。
ちなみに、農作業中のわたしの格好は、ジャージ。
そう、お兄ちゃんのお古のアレ。
さすがに巫女装束で農作業はないよね。
汚れにも傷みにも強い不思議装備ではあっても、雰囲気的になんか違う。
普段の作業でやっているのは、水やりと虫取りだけなので、それこそ畑に入る必要すら無いんだけど。
――そう、虫取り。
庭造りの時に懸念材料となっていたあの魔法、完成しました。
と言っても、本当に『バグ・スレイヤー』的魔法を新規開発したわけじゃない。
ごく普通によさげな魔法があったので、それを使っているだけ。
それは、『
これ、ゲーム中で昆虫系の敵にも普通に効果があったように、当然、野菜に付くような虫にも効果がある。
それでいて、持続時間が切れれば一切残存はしないという、『残留農薬、何それ?』という素晴らしさ。
さすが魔法。
これを畑全体に軽くかけてやるだけで、一網打尽。
え、益虫もいるって?
うん、知らない。
虫は全部敵。
天敵がいなくなっても、全部殺せば問題ない。
慈悲はない。
ただし、蜂だけは許可。
受粉作業に必要だし、そのうち養蜂でもして蜂蜜を確保したいから。
懸念は地中の虫だったんだけど、今のところ被害は出ていない。
『ポイズン・クラウド』が地中の虫にも効いているのか、それとも別の要因があるのかは不明だけど、被害がないのなら、文句があろうはずも無い。
「安全な完全無農薬、有機栽培でありながら、綺麗な野菜が食べられる。家庭菜園ってステキ!」
科学的思考、とても大事。
化学合成なら危険で、自然界から得られれば安全、みたいな非合理な事を言うつもりは更々ないし、手間を掛ければそれだけ美味しくなる、なんて事を言うつもりもない。
同じ事ができるなら、積極的に楽をする。
それがわたしのスタンス。
なので、これからも積極的に魔法を含め、スキルは使っていく所存である。
農家として!
「紫さん、農家の喜びを感じているところ申し訳ないんですが、そろそろ巫女としてのお仕事に復帰してください」
「はい?」
日の光を全身に浴び、作物を育てる喜びを感じていたわたしに、後ろから声が掛かった。
振り向けば、竹箒を手にして、腰に手を当てた宇迦が、わたしの方をジト目で見ていた。
「夏祭り、そろそろ準備しませんか? 初めてですから、色々と手間取りますよね?」
「……おぉ、そんな物も、あったね?」
「あったのです。遺憾ながら」
「なるほど。遺憾だね」
『少々不満です』、みたいな表情の宇迦の、ふわふわの耳に手を伸ばすと――。
「止めてください」
ぺいっと撥ね除けられた。
「おや? 宇迦、なんだか不機嫌?」
「そんな事、無いです」
「その割に……なんか、あたりがキツくないかな?」
「別に、最近の紫さん、境内の掃除とかしてくれませんよねー、とか思ってませんけど」
なるほど。そっちを手抜きしていたのが不満なんだね。
紫、解ってます。
この場面で『思ってない』と言って、本当に『思ってない』人なんて、ほぼいない事。
確かに最近は畑の方にかまけて……も、いなかったか。
虫の駆除と水やりが魔法で終わるから、多少草抜きするぐらいで、あとは結構のんびりしていたから。
次の目標は草抜き魔法の開発かな?
……って、そうじゃない。
「解りました。夏祭り、頑張りましょう!」
「……本当ですか?」
「えぇ。もちろん!」
窺うように見上げる宇迦に、わたしは力強く頷く。
頑張りますとも。
宇迦の耳と尻尾を堪能するためにも。
わたしは手早く身を清めると、巫女装束に着替えて、宇迦と共に拝殿に向かう。
かなり横長で大きい拝殿ではあるけれど、実際の拝殿は中央部分のみであり、袖部分には部屋が連なっていて、そのいくつかは倉庫になっているのだ。
「ここに夏祭りに関して記した文書があるはずです。それを参考に準備しましょう」
「おー、思ったよりも色々あるね?」
天気の良い日には窓を開けて風を通すようにしていたので、この部屋自体に入るのは初めてではないが、じっくりと観察するのは初めて。
左右の壁に並んだ棚には和綴じの本が積まれていて、太鼓などの楽器に加え、他にも用途の判らない物がいくつも並んでいる。
「でも、思ったより、汚れてない……?」
拝殿や廊下とは違い、掃除していないにもかかわらず、床の上にも埃が積もっている様子がない。
もしかして、宇迦が頑張ったのだろうか?
「
「……そういえば、最近、拝殿とか、少し綺麗になってきたような?」
本殿、拝殿、神楽殿。
いずれも、崩壊までのカウントダウンが始まりそうな有様だったのに、最近は、少なくとも雨漏りの心配は必要なさそうな感じに回復していた。
さすがは神の御業。伊達じゃない。
「さて、夏祭りに関する文書はどこにあるでしょうか……」
「こういう時、和綴じの本は少し不便だよね」
本を積み替えながら探す宇迦に倣い、わたしも目的の文書を探す。
何に関する本かはきちんと表紙に書いてあるんだけど、洋綴じの本とは違って、厚紙を使った表紙や背表紙がないので、本棚に縦に並べるって事ができないし、背表紙のタイトルを見ながら探すって事もできない。
和綴じにも分解しやすいとかのメリットはあるんだろうけど、探す時にはちょっと面倒。
時間ができたら表紙・背表紙を追加して並べようかな?
……いや、あんまり頻繁に読む物でもないし、箱でも良いかな。
ちょっと高めの本とか、辞書が入っているような箱。
目的は縦に並べられることと、背表紙なんだから、わざわざ製本し直すまでもない。
――などと、現実逃避しながら探すことしばらく、それを見つけたのは宇迦だった。
「紫さん、ありましたよ。お祭りに関する本。この箱に纏まっているみたいです」
「おー、やっと見つかったかぁ……」
宇迦が引っ張り出してきたのは、木箱。
その表面にはしっかりと“祭事関連文書”と書かれ、蓋を開ければ、綺麗に揃った本が収められている。
棚の上に置かれた本を調べていたけど、実はそこには無かったらしい……詐欺である。
「……ところでさ、宇迦? わたし、ふと思ったんだけど、こんな文書をわざわざ探さなくても、宇迦って知らないの? お祭りに関する事」
一応、祐須罹那様の分け御魂なんだよね?
お祭り、経験してるよね?
「もちろん、大まかになら知ってますよ? でも、私は祭られる側で、祭る側じゃなかったですから。細かい事なんて、気にしてませんでしたから」
「そう言われてしまうと、そう、なのかな?」
イベントに参加しているからといって、イベントが運営できるわけじゃない。
納得できる話である。
「……ま、いいや。それじゃ、読んでみようかな」
その木箱を持ち、日当たりの良い縁側へ移動。
夏祭りに関することが書いてある本を取り出して、宇迦と共に読む。
かなり流暢そうに見える文字は、まるで日本の古文書みたいで、普通なら読むのに苦労しそうだが、わたしには翻訳機能が完備されている。
問題なくサラサラと読み進めていった結果――。
「案外、やることは多くないね?」
「はい。そこまで難しい物でもないですね」
大まかに分けると、夏祭りは三部構成。
第一部は、神への祈りと死者の弔い。
本殿の神棚に
この儀式に参加するのは、村長などの顔役と亡くなった人の家族。
この人たちが拝殿に入って、一緒に祈ることになる。
この辺りの宗教観では、死者の魂は輪廻転生でも、天国や極楽に行くでもなく、母なる自然へと還るという考え方なので、家族は魂の平穏を、顔役たちは現在生きている村人たちの無病息災を祈る。
第二部は、神慮を慰めるための巫女舞。
拝殿の前にある神楽殿でわたしが巫女舞を舞い、周囲で村人が見守る。
マジか。
第三部は、参加者たちへの振る舞い。
これは形式的な物で、わたしたちが実際に何か振る舞うわけじゃない。
食べ物を持ち寄るのは村人で、それらを料理するのも村人。
そして、普段より少し豪華な料理を食べる。
“神様から下げ渡された”ので、ちょっと贅沢をしても良いよね、という心に棚を作るための儀式。
わたしたちが何かしなくても、村人たちが勝手にやってくれる。
もちろん、関わっても良いんだけど、それは余裕があれば、かな。
そして、帰宅前にお札を授ければお祭りは終了……って事になるんだけど。
「第一部で問題になるのは、神饌と火壇の準備、それに祈り?」
「神饌は村人が用意しますよ。火壇は境内の蔵に入っていたんですが……」
「うん、すでに無いね」
わたしが来た時点で、潰れてたから。
残っているのは蔵の土台の石だけである。
「紫さん、作ってくれますか? 大工仕事、得意ですよね?」
「できるとは思うけど、漆塗り~とか、蒔絵~とか、無理だよ? あと、どんな形か判らない」
材料があれば漆塗りも蒔絵もできそうな気はするけど、残念ながらストレージには入ってないし、探しに行くにはちょっと時間が無い。
「そこは白木で構いませんよ。形は私が覚えている物を描きますから、お願いします」
「了解。ま、スキル任せで何とかなるでしょ」
「あとは、神饌を載せるためのお皿は少し良い物が欲しいですね。……いえ、私たちが普段使っている食器も十分に良い物ですから、あれで良いんですが」
「それなりの物だからね、あれ」
お箸以外はストレージ由来の物で、所謂、磁器。
もちろん、安物をストレージに入れているはずもなく、それなりに高価な物ばかりである。
ちょっと和風ではないけれど。
「ま、それは良いとして。問題は祈りだよね~~」
神様への祈りの言葉なんて、わたし、知らない。
それこそ、「かんじーざいぼー――」とか「たかまのはらにかむづまり――」的なあれぐらいしか知らない。
と言うか、前者は仏教だし、後者はそもそも祐須罹那様は、高天原関係ないと思う。
「そんなわけで。どうしようか、宇迦」
「何でも良いですよ? 聞いている氏子にそれっぽく聞こえれば。ぶっちゃけ、祐須罹那にとってみれば、紫さんの祈りの言葉なんてどうでも良いですし」
「うわぉ、ぶっちゃけすぎじゃない?」
「いやぁ、でも実際、氏子が真面目に祈ってくれるなら、『よろ!』の一言でも良いぐらいですから」
いや、さすがにそれは無いだろう。
有り難みのカケラも無い。
――あぁ、なるほど。その有り難みが必要なのか。
何を言っているかは解らなくても、それなりに神秘的で難解なら、氏子はそれっぽく感じるし、それによって儀式は成立すると。
「う~ん、神秘的な物、ねぇ。わたし、ごく普通のゲーマー女子高生だったから、般若心経も、大祓詞も知らないよ?」
最初のへん、ちょろっとだけしか。
般若心経の方は、法事とかで唱えたりするけど、それだけで記憶できるほどの頭は持ってないし、大祓詞なんて、更に馴染みがない。
「そこは好きに作ってください。許可します。私が」
「えぇ……」
あー、でも、神主さんの祝詞って、お経とは違って、その時々で変えるって聞いたことあるなぁ。
たぶん、ある程度のテンプレートはあるとは思うけど、そんな物なのかも?
「あ、でも、三〇〇年間使うわけですから、程々に真面目に?」
「おーい、ここでハードル上げる? 三〇〇年とか言われたら、適当できないじゃん!」
「大丈夫ですよ。その時は自動翻訳をカットしておきます。日本語で適当な抑揚を付けて唱えておけば、氏子には不思議な祈りの詞に聞こえます。きっと。むしろ、紫さんの好きな歌を歌っても良いですよ?」
「いや、それは止めておく」
楽曲使用料とか、請求に来られても困るしね!
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