1-25 ある意味での初仕事 (1)
宇迦の案内で向かった先は、神社の北東。
家の裏手から森の中に入り、山裾を辿るように反時計回りで移動し、山頂のちょうど東に当たるエリアだった。
「まずはここです」
そう言って宇迦が指さした先に浮かんでいたのは、灰色の雲……?
いや、薄汚れた綿菓子?
そんな感じの物が、ふらふらと三つばかし漂っていた。
「……この山って鎮守の杜って言ってたよね?」
「はい」
「ついでに言えば、神域とも」
「そうですね。大事な神域です」
重々しく頷きつつも、宇迦の視線とわたしの視線は合わない。
「ダメじゃん! 神域に侵入されるとか、かなりダメじゃん!」
「大丈夫です。これは浮遊霊ですから、ほぼ影響はありません」
「あ、これが浮遊霊なんだ?」
ほぼ無害っていうやつだよね。
力も無いみたいだし、そこまで心配することは無いのかな?
「……ん? でも、浮遊霊にすら侵入されてるって事だよね?」
「………」
わたしの確認に対する宇迦の答えは、沈黙だった。
「おーい、もしかして、ホントにマズい状況?」
「さぁ、紫さん! 妖魔にあなたの実力を見せつけちゃってください!」
改めて聞いたわたしに、宇迦は浮遊霊をビシリと指さして、そんな事を言った。
うん。解った。マズいんだね。
「了~解~。でも、何をすれば良いのか……」
「浄化系の魔法、そんな物使えませんか?」
「一応あるね、アンデッド用の魔法が。とりあえず、一番弱い物で……『バニッシュ』!」
物は試しと、手持ちの神聖系魔法、その中でも最も弱い攻撃魔法を使う。
浮遊霊に向けて突き出したわたしの手、そこから光線のような物が放射され、浮遊霊に衝突。
それと同時に一瞬にして浮遊霊は消え失せ、後には何も残らない。
「……あれ? これだけ?」
その結果に、わたしは思わず首を捻ってしまう。
斃した手応えなんて物も無ければ、浮遊霊が何らかの声を上げたりすることもない。
別に苦労したいわけじゃないけど、あまりにもあっけなさ過ぎる。
「ただの浮遊霊ですから。紫さんの実力があれば、こんなもんですよ」
「逆に言うと、その程度の浮遊霊でも対処できてないのが祐須罹那様なんだけどねー?」
「さっ、紫さん、次の場所に行きますよ!」
「おやおや~? 都合の悪いことが聞こえないのはこの耳ですか?」
わたしの言葉をサラリと流して移動を始めようとした宇迦を捕まえ、モフモフの耳をもしゃもしゃ。
「ええ、その耳のおかげで、対処ができなくなったのです」
素直に撫でられつつ言った宇迦の言葉に、わたしは思わず頷く。
「そっか。なら仕方ないね。モフモフは大事だもん」
モフモフのためならば、このぐらいの労役は許容しよう。うん。
「……アッサリ納得しましたね。助かりますけど」
「当然だよ。宇迦の耳と尻尾のためなら、わたしは神すらも滅ぼす所存だよ?」
できるかどうかは別にして。
そんなわたしの言葉に、宇迦は少し苦笑する。
「神様を滅ぼさなくて良いですから、妖魔を斃してください。終わったら、尻尾を触っても良いですから」
「ほうほう。それは気合いが入るね!」
耳に比べると、尻尾はあんまり触らせてくれないんだよね。
まぁ、頭を撫でるのに比べ、お尻に手を伸ばして撫で回すって、ちょっと変態っぽいから仕方ないとは思うけど。
「それじゃ、このまま左回りで行きましょう」
「了解!」
宇迦に先導されるまま、山裾を駆け抜け、時々浮遊霊を駆除。
『バニッシュ』一発で消えるので苦労はしないんだけど、とにかく道が悪い。
道……?
道じゃないね。獣道すらない場所を飛び跳ねながら移動しているから。
神域となっている山もかなり大きいし、普通の人が徒歩で移動するならとんでもなく時間がかかりそう。
ホント、この身体で良かった!
「……あれ? 今回のはちょっと違うよ?」
何度目かの浮遊霊との遭遇。
そんな中、今回出会った浮遊霊は少し様子が異なっていた。
これまでの浮遊霊を薄汚れた綿菓子とするなら、今度のは黒く染めた綿。
オイルを燃やしたら出るような黒煙を、一抱えほどにまとめたような感じ。
「あれは……悪霊になっちゃってますね」
なるほど。悪霊になるとああなっちゃうのか。
判りやすい。
「――仕方ないんですよ! ここって
「いや、何も言ってないから」
わたしは普通に宇迦に視線を向けたつもりだったんだけど、宇迦の方はちょっと責められているように感じたのか、そんな言い訳を口にする。
場所としては神社から山頂を挟んで反対側。
神座――つまり、祐須罹那様がいる場所を本殿と考えるなら、確かに距離的には、これまでで一番遠い。
神威が届きづらいというのも頷ける。
「――って、その前に浄化しないと。『バニッ――』」
浮遊霊とは違って明確な被害を出す代物。
きちんと浄化しようと魔法を唱えかけたところで、悪霊が動いた。
「は、速い!?」
浮遊霊の場合、わたしたちが何をしようと反応も見せずに漂っているだけだったが、悪霊はわたしが攻撃しようとしたのを理解したのか、逃げるようにわたしたちから離れた。
もわもわとした煙の様な物なのに、その速度はなかなかに速く、木の間をすり抜けていく。
「追いかけましょう! 変な物に取り憑かれると困ります」
「うん!」
悪路でも問題なく行動できるわたしと宇迦ではあるが、悪霊の方は障害物を避けることもなくすり抜けていく。
それは正に幽霊の如く。
単純な速度ならわたしたちの方が速いのに、木々が多く生えているこの森では、悪霊の方が有利。
結構厄介だね、これは。
「紫さん! マズいです。この先に熊がいます!」
「えぇ!? それってつまり、取り憑かれるってこと?」
「危険性はあります。すり抜けることはできなくなりますが……」
捕捉は容易になるけど、パワーアップもされるって事だね。
「かなり近いです!」
うん。わたしの目にも見えている。
感知系のスキルも持ってるからね!
「くっ! えーい! 『バニッシュ』!」
ギリギリ射線が通ったところで、魔法を放つ。
悪霊に向かって伸びる光。
が、それが悪霊に当たる直前、その姿は木の中へと突っ込んだ。
「ダメか!」
物質をすり抜ける悪霊に対し、わたしの使う魔法は物で遮られる。
つまり、わたしの使った『バニッシュ』は木の表面にぶつかり、何の影響も与えずに霧散する。
そして、木をすり抜けた悪霊は、その向こうにいた熊の身体の中へと消えた。
「ゴメン、間に合わなかった!」
「いえ、仕方ないです。場所が悪いですから」
わたしと宇迦が足を止めたその視線の先で、わたしよりも二回りほど大きい熊は、ビクンと身体を震わせて動かなくなっている。
ミニサイズになっている今のわたしよりも二回りだから、熊としては小さめの個体だとは思うけど、熊は熊。普通の人間が勝てる動物ではない。
「宇迦、マズいかな?」
そう訊ねるわたしに、宇迦も重々しく頷く。
「そうですね、私も悪霊に憑依された熊は、あまり食べたくないですね。気分的な問題ですが」
「…………あれぇ!? そっち!? 強化された悪霊と戦う事になって、ピンチ! って場面じゃなくて!?」
「いえ、そっちは別に。その程度でどうにかなる紫さんではありません。頑丈ですから」
「それって、宇迦が言う台詞!?」
いや、確かにわたしだと、悪霊がどのくらい強いかも判らないけどさ。
「あ、ほらほら、紫さん。動き出しましたよ。よろしくお願いします」
宇迦が指さした方向を見ると、動きを止めていた熊がこちらに頭を巡らし、ゆっくりと身体の向きを変えていた。
その身体の周囲には、何やら黒いもやが染み出るように漂っている。
「えぇ……? えっと、今回も『バニッシュ』で良いのかな?」
「それでも良いですが、その状態なら物理攻撃でも斃せますよ。お好みで」
「そんなの、『お好み』とか言われても……」
食事の味付けじゃあるまいし。
でも、お好みなら『バニッシュ』にしよう。
無駄に血を見たいとは思わないし。
ブルルッゥと鼻を鳴らし、わたしに向かって突っ込んできた熊(悪霊入り)に向かって、これまで通りに魔法を使う。
「『バニッシュ』!」
熊にぶつかる光。
それと同時にその周囲に漂っていた黒い物が消し飛ばされ、熊の足から力が抜けて地面に倒れ込む。
だがしかし、『バニッシュ』には物理的攻撃力はない。
つまりは、その身体はこちらに飛んでくるわけで。
「わっ、と!」
咄嗟に熊の身体を足でブロック。
草履の裏で頭を押さえるように受け止めると、かなりの勢いが付いていたにもかかわらず、その身体はピタリと止まり、その場にドスンと落下する。
「お見事です」
「うん……なんか、凄く呆気ないけど」
そして、あの巨体……ってほどじゃないけど、一〇〇キロはありそうな肉の塊を、片足でアッサリと止められたわたしの身体にもびっくり。
「さて、この熊、どうしましょうか?」
「死んじゃってる……よね?」
転がった熊の身体を足の先でツンツンしてみるけど、反応は無い。
「はい、残念ながら。悪霊に憑依されてしまうと……。人間だと稀に助かることもありますけど、本当に稀に、ですね」
「え、結構危なくない?」
「はい。危ないですよ、悪霊ですから。まぁ、人に憑依するのは、それなりに難しいんですけど」
簡単に言うと、人間と動物では霊的な防御力に違いがあるらしい。
それ故に人間は、簡単に憑依されてしまうことは無いのだが、逆に言うなら、人間に憑依できるような悪霊は、それなり以上に強力という事。
そんな悪霊に憑依されても生き残れるのは、霊的素養がある人だけであるが、そういう人は霊的防御力も高いため、そもそも憑依されない。
つまりは、憑依されてしまうとほぼ助からないというのは、人間も動物も変わらないのだ。
「ですが、滅多にある事じゃないですから、気にする必要は無いですよ。さて、それじゃ次に行きましょうか」
「あ、待って。この熊、どうしようか?」
再び移動を始めようとした宇迦を、わたしは慌てて呼び止める。
外傷は無いけれど、確実に死んでしまっている熊。
このままここに放置してしまうのはダメかな、と思ったんだけど――。
「え? そのままで良いと思いますけど?」
「で、でも、殺しちゃった以上、食べないとダメじゃないかな?」
「何でですか? 私、あんまり食べたくないんですけど。そもそも熊って、そんなに美味しくないですし」
「えっと……、残さず頂くことが供養です、みたいな?」
なんとも身も蓋もないことを言う宇迦に、わたしはそんな事を言ったのだが、それに対する宇迦の反応は、少し興味深そうに頷く、というものだった。
「なるほど、とても人間的な意見ですね。ですが、野生動物が獲物を仕留めたとして、『お腹いっぱいだけど、可哀想だから残さず食べよう』なんて思いますか?」
「……思わない、かな?」
「はい。必要なだけ食べて後は残す。そうすれば残りは他の動物が食べますし、腐ったら腐ったで、森の養分となります」
なるほど、確かに自然ってそんな物かも?
襲われれば、草食動物だって敵を殺すだろうし。
そう考えると、食べるのが供養という考え方も……どうなのかな?
もしわたしが殺された時、『残さず食べるから許してね』と言われて許せるかと言えば――ムリ。
むしろ『食べなくて良いから、そのまま埋めて!』と言いたい。
「もちろん、無意味に虐殺するのは良くないと思いますけど、熊は生存競争に敗れて死んだ、それだけのことです。人間を特別視しすぎですね。人間だって世界の一部なんですから」
「そっか、そういう考え方もあるよね」
固有種の保護と外来種の駆除だって、ある意味、人間の都合。
例えば、鳥が外来種を運んできた場合、駆除するのが正しいのか。
人間が運ぶとダメだけど、鳥が運ぶのはオッケー、となるのか。
ダメというのなら、それは宇迦の言うとおり、人間を特別視している、ということになるわけで……。
「つまり、神様的視点だね」
「そうですか? まぁ、一応神みたいなものですから、そういう部分はあるかもしれませんが……。それで、熊はどうしますか?」
「う~ん……このままで」
宇迦の話を聞いて、『いや、それでも持って帰って、無理してでも食べる!』とは言えない。
村人なら食べるかもしれないけど、宇迦が『気分的に食べたくない』と言う物をあげるのもね。
「そうですか。では行きましょうか」
宇迦はそう言うと、少しホッとしたような表情で走り始める。
わたしは一度振り返り、熊の死体を目に焼き付けると、すぐに宇迦の後を追ったのだった。
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