2-18 生贄
精一杯に身を清めたらしいその女の子は、周りの村人に比べると小綺麗に整えられていたが、身体を
血の気が引き青くなった顔で、ガチガチを歯を震わせながら、わたしたちの足元の辺りに視線をさまよわせている。
えっと……これって、生贄って事だよね?
どういうプロセスで彼女が選ばれたのかは判らない。
でも、この状況で逃げ出していないあたり、ある程度は納得しているのか、それとも逃げ出せないだけの事情があるのか。
理由が何であれば、小さい女の子が恐怖に震えている状況は、正直、見ていられない。
唯一助かったのは、生きたまま連れてきてくれたことかも。
まかり間違って、死体とか持ってこられたら、色々と取り返しが付かなかった。
「……澪璃さん、いるの?」
「いらないですよぅ」
「だよね。良かった」
即座に返ってきた答えに、わたしは胸をなで下ろす。
もし澪璃さんが、『よし、その
けど代表者の方は、やや不快そうに言った澪璃さんの顔色を見て首をすくめると、わたしと宇迦の顔を盗み見るように視線を巡らせて僅かに考え込むと、恐る恐る口を開いた。
「若い男の方がよろしかったでしょうか?」
「オイ!」
何でそうなった!?
思わず声を上げたわたしに、代表者の顔色が一気に悪くなる。
「も、申し訳ございません! な、何を捧げれば! あ、赤子でしょうか!?」
「生贄自体、いらないですよぅ」
焦りからか、なかなかにとんでもない事を口走る代表者に、澪璃さんはため息をつくように応じる。
「そもそも、そんなの、わっちの神域に放り込まれてもゴミですよぅ」
「言い方!?」
こっちもなかなかに酷かった!
「でも、事実ですよぅ?」
不思議そうに言う澪璃さんに、わたしと宇迦は顔を見合わせて苦笑する。
まぁ実際、『お詫びの気持ちです!』と言いながら、自分ちの庭に犬や猫の死体を放り込まれたりしたら、それってかなり悪質な嫌がらせだよね。
お詫びどころか、訴訟案件である。
「そもそも、何で怒っていると? さっきの事は既に終わった事じゃないですか」
「で、ですが、先ほどから炎が吹き上がったり、白い煙が立ったりと……とてもお怒りだったのでは?」
その言葉に、宇迦と澪璃さんの視線が、わたしに突き刺さる。
いや、二人としては顔を向けただけかもしれないけど、わたしの気分的にはそんな感じ。
確かにあれは、超自然的現象。
神の怒り、とか思ってしまっても仕方ないかも?
でも、白い煙の方は、澪璃さんが延焼を止めるために水を撒いたやつだと思うから、わたしの責任じゃ――うん、わたしが悪いよね。原因だもんね。
「なるほど、あれを見て、慌てて
「いらないよ! もらってどうするの!?」
「それはまぁ、紫さんも若い女性ですし? いろいろと……?」
「ない! ないから!」
そりゃ、将来的には結婚とか考えるのかもしれないけど、それはこのバイトが終わってから。元の世界に戻ってからのお話だよ。
少なくとも今のところ、こっちの世界で結婚する気は、全く無い!
しかも、その相手が生贄として差し出された男の人とか、どこぞのライトノベルの、『異世界に行って奴隷ハーレム!』の逆バージョンですかっ!
「ぜったいに! あり得ない!!」
かなり強く断言するわたしに、村人たちはうろたえ気味。
逆に宇迦の方は面白そうに笑う。
「まぁ、解ってましたけど」
「なら言わないで!」
笑えないから!
わたしよりも、むしろ傍で聞いている村人たちが!
「そんなわけで、水神である澪璃も、先ほどの現象を起こした紫さんもいらないと言っていますから、そちらの子供は引っ込めてください。……もし、口減らしということなら、引き受けなくもないですが」
「い、いえ! 私どもは水神様のご慈悲により飢えてはおりませぬ! 口減らしなどということは決して!!」
「そうですか。では、連れ帰って大事にしてあげてください」
「ははぁぁ!」
さすが宇迦。任せておけば安心だね。
「(と言うか、澪璃さん、何かやってるの? “ご慈悲”とか)」
「(何もしてないですよぅ。神域には入ってこないし、周辺の川で勝手に魚を捕ってるだけですよぅ)」
コッソリと訊いてみたわたしの言葉に、返ってきたのはそんな答え。
先程来の対応から、祐須罹那様みたいにお祭りとかはしてないと思ってたけど、案の定。
そして、湖での漁も認めていない――いや、村人の方で避けているって感じなのかな?
それでも“ご慈悲”と言うのなら、川で捕れる魚が豊富なのかもしれない。
それに澪璃さんが関係しているのかどうかは判らないけど。
「ですが、そうですね。お詫びを形にしたいというのであれば、人手を出してもらいましょうか」
「ははぁ、ご随意に!」
……ん?
あれ? 何かしてもらうの?
このままお帰りくださいじゃなくて?
「(宇迦、宇迦。別にこのままお引き取り願えば良いんじゃないの?)」
「(わたしとしてはそれでも構わないんですが、例えば紫さんも、どこかに謝罪に行った時、お詫びの品は突っ返されて、言葉だけで許すと言われても、不安じゃないですか?)」
「(……そうかも?)」
幸いと言うべきか、わたしにそういう経験は無いけれど、立場が上の人の所に謝罪に行き、お詫びの品として差し出した物を受け取ってもらえなかったら……確かに不安になるかもしれない。
口では許すと言ったけど、本当は許してくれていないんじゃ……と。
お詫びの気持ちを形や労働として表すことができるなら、その方が安心できるのかも。
「あなた方にやってもらいたいのは、お掃除です。湖の周りが汚れてしまいましたからね」
宇迦が何を求めるのかと思ったら、そんな事だった。
言われてみれば、確かに汚れている。
水面に浮かんでいる藻は全て片付けたけど、湖岸に打ち上げられた物に関しては残ったまま。
全体からすればその量は少ないので、放置していても問題ないかもしれないけど、見た目はあまり美しくない。
湖面を覆っていた藻がなくなったことで、せっかく綺麗な湖になったのに、このまま腐ったりしたら、わたしの水遊びに支障を来すかもしれない。
うん、掃除、必要。
やっぱり交渉は宇迦に任せるに限るよ。
「ですが、今日はもうすぐ日が落ちます。明日の朝、この場に集まってください」
「承知いたしました! 村人を集めて参じますので、どうか……!」
「えぇ、安心してください。あなた方が頑張れば、こちらのお二人のお怒りも、すぐに解けることでしょう」
必死さを感じさせる代表者に対して、宇迦はにっこりと微笑む。
澪璃さんはともかく、わたしは最初から怒ってもいないんだけどね。
◇ ◇ ◇
幸いなことに、翌日は綺麗に晴れ渡った空が広がった。
これが梅雨の合間の晴れなのか、それとももう梅雨が終わろうとしているのか、この世界一年目のわたしには、よく判らない。
宇迦たちに訊いてみても、『年によって色々ですよぅ』とか、『たまには一年中、雨が降っていることもありますから』とか、要領を得ないのだ。
その『たまに』が一〇〇年とか二〇〇年とかいうスパンじゃないから、全く当てにならない。
そもそも、年単位で寝たりする神様に、季節のことを訊くだけ無意味なのかも。
まぁ、宇迦はその後、『そろそろ明けると思いますけどね』と付け加えていたので、そんな感じなんだろう。
「おや、もう集まっていますね」
日が昇って少し経った頃、わたしたち三人が昨日の場所に降り立つと、そこにはすでに村人たちが集まっていた。
その人数は明らかに昨日よりも多く、昨日はいなかった女子供、それに老人も含まれている。
動ける人は全員集めてきた、そんな感じだろうか。
この時間帯からすでにいるって事は、わたしたちを待たせたらマズいとばかりに、日が昇る前から待っていたのかも。
もしかして、朝食を食べていなかったり?
わたしたちは毎食食べる必要が無いから、軽くお茶だけ飲んで出てきたんだけど……。
「ねぇ、宇迦。炊き出しでもしてあげたほうが良いかな? 働いてもらうわけだし」
ストレージの食料は、この辺りに住む人には馴染みが無いだろうから、何を出すかは迷うけど、せっかくだからと提案したわたしに、宇迦はキッパリと首を振った。
「やめてください。紫さんの料理は劇物です」
「劇物って……酷くない? ねぇ、澪璃さん」
「そうですよぅ」
同意を求めたわたしに、澪璃さんも深く頷く。
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