第三章 夏が終われば秋が来る
3-01 プロローグ
「紫さんは、面倒事を纏めて片付けるタイプですか? それとも、コツコツやるタイプですか?」
宇迦がそんなことを訊いてきたのは、澪璃さんの湖の掃除が終わって二週間ほど経ち、梅雨が明けたころのことだった。
「えっと、ものによる、かな?」
こちらに来る前は、柔軟体操みたいに日課としていることもあったし、一気に終わらせて後はのんびりとか、そういうものもあった。
そのへんは結構気分次第だけど、どちらかと言えば一気にやる方かもしれない。
やることが残っていると、なんか落ち着かないし。
「でもどうしたの、突然?」
「いえ、そろそろ結界をなんとかすべきかと思いまして。その方向性を決めるのに、紫さんの意見をば、と」
「結界……?」
何のことだったかとわたしが小首を傾げれば、宇迦が呆れたようにため息をついた。
「忘れたんですか? ちょっと前に、作り直した方が良いという話をしたと思いますけど……」
「……あぁ、そういえば。随分前にそんな話をしてたような?」
「いえ、一ヶ月ほど前のことです。まだ若いのに、呆けちゃダメですよ?」
「う~ん、何故か知らないけど、なんか二年ぐらい経ったような気がしてたよ」
「それは気のせいです」
そうだったかな?
う~ん、やっぱり凄く時間が経った気がするんだけど、宇迦がそういうのなら、きっとそうなんだろう。神様の言う通りだよね。
「思い出してみれば、澪璃さんがうちに来た理由が、結界の要石の欠片を見つけたから、だったよね」
「そうです。放置するとまた問題が起きかねないので、できれば早めに直したいんです」
「それは確かに。具体的にどういう方向性があるの?」
「二つですね。一つ目は、これまで通り神域のみを結界で守り、浮遊霊にはその都度対処する方法です。結界作りは楽ですが、継続的な対処は必要です」
「ふむふむ。もう一つは?」
「祐須罹那の領域全てをカバーするような結界を作ります。浮遊霊への対処はほぼ必要なくなりますが、範囲が広いので結界作りは大変です」
「それがコツコツやるか、纏めてやるかの違いってことか」
浮遊霊自体は大して強くなかったし、暇潰し的に対処してもいい気もするけど……いや、良くないか。被害が出ることもあるんだよね、確か。
わたしたちはともかく、村の人たちには大問題だよ。
「でも、そもそもの話として、浮遊霊とか悪霊って、なんなのかな?」
わたしが改めてそう訊くと、宇迦は少し困ったように眉尻を下げた。
「結構ややっこしい話になりますが、聞きたいですか?」
「……聞きましょう?」
すぐに終わるアルバイトならともかく、私の雇用期間、三〇〇年だからね。
終身雇用なんて目じゃない。
やっぱりそのへんのことは知っておきたい。
「そうですね……、紫さんの世界の考え方で言えば、アニマティズムの概念が近いのですが、知っていますか?」
「
「精霊や霊魂などよりもより根源的な、〝力〟に関する考え方ですね。全ての物には力が宿り、それは移転可能であり、そしてそれの多寡により格が決まる。ザックリ纏めると、そんな感じです。アニマティズムでは、これをマナと呼ぶようですね」
「あ、それは知ってる」
ゲームとかでよく出てくる単語。魔法とかそのへんの。
「では、紫さんに解りやすいよう、マナと呼びましょう。この考え方で言えば、その辺に転がる石ころも祐須罹那も同じもの。ただマナの量が違うだけ、となります。究極的には」
「そんな乱暴な……人格の有無とか、そういうのはないの?」
「それもまた、マナの多寡です。一定以上のマナを貯め込めば人格――謂わば自我を持つ。それだけのことです」
「石だって?」
「石だって。石神だっていますから」
「確かに!」
石を祀った神社とか、結構普通にあったよ。
「……つまりは、マナを貯め込めば人も神になれる?」
「〝神〟という言葉自体、曖昧ですから。私たちは神域を持つ者を神と呼んでいますが、神だから神域を持つのではなく、神域を持っているからこそ神と呼べるほどに力を持つ、とも言えます」
「えっと、地脈が重要なんだっけ?」
「そうです。マナが流れる地脈を神域に持つことで、神は力をつけます。信仰され、祈りを受けることでもマナは集まりますが、地脈から得られる量に比べると微々たるものですね」
逆に言うと、神域が荒れて地脈からマナを得られない状態になると、神としての力を失いかねない。
私を呼んだ時の祐須罹那様が、ちょうどそんな感じだったらしい。
「それらを踏まえて、最も多くのマナを持つのは誰だと思いますか?」
「え? 誰と言われても……」
そんな、わたしに知り合いなんていないし。
「……すっごい神様?」
私の捻り出した答えに宇迦は苦笑し、下を指さす。
下? 家、じゃないよね。地面……?
「…………もしかして、地球?」
自信なげに私がそう口にすると、宇迦はニッコリと笑って頷いた。
「ここは地球じゃないので、大地と言うべきでしょうか。ある意味、本当の神と呼べるのは大地であり、そこを流れる地脈から零れ出たマナを受け、祐須罹那のような神もどきが生まれたんじゃないかと、私は考えています」
「いや、もどきって……」
それで言うと大地は神で、意志があることに――あぁ、大地母神という考え方もあったか。
「『神をどう定義するか』だけの問題ですけどね。万物に神が宿るという考え方は、紫さんには受け入れやすいでしょうが、地域によっては認められないでしょう?」
「まぁ、ね。地域と言うより、宗教の問題だろうけど」
そのへん日本は、柔軟性があるからねぇ。
「……あれ? これって神様の話だよね? 浮遊霊の説明は?」
話がズレてない? とわたしが指摘すれば、宇迦は頷いて人差し指を立てた。
「はい。これまでは理解するのに必要な前提知識です。浮遊霊や悪霊の話はここからですね。通常、生き物が死ぬとそれが持っていたマナは、空気中に拡散します。ですが、何らかの理由で拡散しきらなかった場合は――」
「浮遊霊となる?」
宇迦はコクリと頷き、人差し指をくるくると回す。
「はい。それ以外にも、地脈から零れたマナが滞って発生したり、力ある者が大量のマナを放出したりした場合など、原因はいくつかありますが、総じてマナが集まったものと考えて間違いありません」
「ってことは、浮遊霊って、誰かの幽霊ってこと?」
「いえ、人一人程度のマナだと、肉体を失った時点で自我などはなくなりますから、ただのマナの塊ですね。多少の方向性はありますが、人格と呼べるようなものではありません」
ただしマナが集まって浮遊霊になった場合に、その方向性が影響を与えるらしい。
例えば、戦場で大量の人が虐殺された場合など、死亡時に恨み辛みという方向性を持っていたマナが纏まったら、その浮遊霊は悪霊になりやすい。
むしろ、そういった強い方向性がない浮遊霊は、マナが一度纏まって浮遊霊となったとしても、やがて拡散してしまうことも多いんだとか。
「……あぁ、だから動物や人に取り憑くと、強くなるんだ? マナの量が大幅アップ、的な?」
「はい。肉体を持ってマナが固定されることに加え、動物や人がもともと持っていたマナもありますから」
「なるほどねぇ。そんな成り立ちが……」
でも、そういうことなら、精神的には楽かも。
特定の誰かが幽霊になったと言われるよりも余程。
「それで、祐須罹那様としてはどっちが良いの? これまで通り神域だけの結界か、領域全部か」
雇用主の意向も重要だろうと、私がそう尋ねると、宇迦は考えるように少し沈黙してから口を開いた。
「……結界には外から悪霊などが入ってこないようにすることの他に、結界内部で発生するマナを祐須罹那が吸収しやすくする役割もあります」
「うん。今の説明を聞く限り、防ぐだけじゃダメだもんね」
「はい。これまでは結界の範囲を神域のみにとどめ、ある程度の浮遊霊が発生することは許容していたんです。新たな神霊や精霊が生まれることもありますから」
「え、浮遊霊から神霊に? そんなこと、あるの?」
「この神社にもいますよね? 先日で発生したばかりのが」
「……あぁ! 楽器の付喪神!」
「そうです。まぁ、浮遊霊は悪霊になりやすいので、適当に処理して稀にまともな精霊や神霊が生まれたら良いかな、ぐらいの緩い感じなんですけど」
「楽器たちは役に立ってくれたもんねぇ。……ん? ってことはもしかして、妖魔と神にあんまり違いはない?」
あれも元は浮遊霊。
石ころと神との違いがマナの多寡であるのなら、マナをたくさん蓄えた妖魔って――。
そう思って宇迦を見ると、宇迦は苦笑して頷いた。
「良いところに気付きましたね、紫さん。極論、祐須罹那の価値観と相容れない存在を悪霊、妖魔と言っているにすぎません。もしも澪璃が大暴れしていれば、妖魔として対処していたでしょうし」
「うわぉ……」
そういえば、人を殺すことを楽しむ悪神だっているって話だったよね。
その『悪』だって、人から見ればというだけで……。
うん、面倒なことになるので考えまい。
正義は人の数だけある、なんて言うけれど、気にしてたら身動きが取れなくなるし。
「これまでの方針が間違っていたとは言いたくないですが、結果的に自身の力を弱め、紫さんに迷惑を掛けることになってますからね。過去に学んで方針転換すべきかな、とも」
話を纏めると、結界の範囲が神域のみだと、新たな神霊が生まれる余地ができる代わりに、悪霊なども発生し得るし、祐須罹那様の回復も遅くなる。
領域全てを含めて結界を作ると祐須罹那様の回復が早くなり、浮遊霊なども発生しなくなるが、代わりに新たな神霊は生まれない、と。
メリットとデメリットを比較すると――。
「……えっと、普通に領域全部で良くない? 新たに増えないのは残念と言えば残念だけど、まずは自分のことだと思うし。それとも、神霊が生まれないと何か困るの?」
「別に困りはしませんね。普通の生き物には関係ありませんから」
「澪璃さんに影響があるとか?」
「澪璃にはありませんね。――その代わり、紫さんはちょっと大変でしょうけど」
「作業量的に?」
「はい、作業量的に。面倒事を纏めて片付けることになるので」
「なるほど。でも、メリットの方は大きい……。なら、領域全部をカバーする結界を作っちゃおう! そっちの方が安全なんだよね? 村の人とかにとっても」
「悪霊が生まれる危険性は、かなり減りますからね。でも領域は広いですから、結構大変ですよ?」
「うん、頑張るよ!」
エゴと言われようとも、わたしは人間寄り。
新たな神霊が生まれなくなるよりも、知り合いになった村の子供たちが死んじゃったりする方が嫌だからね。
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