2-21 エピローグ
「さて、そろそろ帰りますか!」
「えぇ、今回の件も、片が付いたみたいですしね」
そう言ったわたしと宇迦に、澪璃さんが振り返って少し悲しそうな表情になる。
「帰っちゃうんですかぁ?」
「うん、だって、ここにいても仕方ないし」
「そうですけどぉ……」
「澪璃、ここがあなたの神域でしょう?」
どうなるかと思っていた湖の藻は、三日間の間に少し発生したものの、幸いなことに湖面を覆うほどには増えなかった。
その藻も昨日、全部回収しておいたので、湖岸の掃除も終わった今の湖はとても綺麗。
今後、多少藻が発生したとしても、澪璃さんだけで十分に処理できそうなので、これで今回の問題は解決したと言っても良いと思う。
久々によく働いたから、しばらくは神社でゆっくり――そう思って、お暇しようとしていたわたしたちの前に、三人のお年寄りが近づいてきて、深々と頭を下げた。
「この度は貴重な供御を下さり、誠にありがとうございます」
腰が直角に曲がるほど丁寧に頭を下げている彼らに、宇迦が鷹揚に頷く。
「あなたたちの働きに対する評価です。気にする必要はありません」
あ~、一応、これも“下され物”になるのか。
夏祭りの時は形式的なもので、わたしたちはほとんど関与してなかったけど、今回は使った材料からして、澪璃さんの神域で捕れた物。
それをわたしが調理して振る舞っているわけで、確かにちょっとありがたい物かもしれない。
彼らから見れば、ね。
「恐れ入ります。少しお話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「かまいません。何ですか?」
宇迦がわたしにチラリと視線を向けたので、わたしも軽く頷く。
応対を任せられるなら、反対する理由なんて無いからね。
「ありがとうございます。お二方は……澪璃様の御眷属、という事でよろしいのでしょうか?」
少し離れたところで、ちょっと寂しそうに立っている澪璃さんに僅かに視線を送り、そう訪ねるお年寄りに、宇迦は首を振る。
「いいえ。澪璃はこの湖を神域とする神ですが、私たちは、この周囲全体を領域としている祐須罹那様の眷属です」
正確には、宇迦もわたしも眷属ではないんだけど、そのへんの面倒な説明は省くご様子。
まぁ、普通の人にはどうでもいいことだしね。
「祐須罹那様と言うと、北にある御山の?」
「先日、夏祭りが開催されたと聞き及びましたが……?」
「はい、そこです。澪璃――あなたたちが水神と呼ぶ存在とは……」
わたしからすれば、お友達、だよね? 忠誠を誓う、とか言われちゃったけど。
宇迦の本体である祐須罹那様からすれば、部下。
でも宇迦からすると……?
「協力関係、でしょうか」
そのあたりの事を悩んだのか、宇迦は少し考えてそう言った。
「な、なるほど……」
わたしたちと澪璃さんを見比べ、どう反応するべきか悩む様子のお年寄りたち。
そんな会話をしているわたしたちを見て、湖の水をチャプチャプしていた澪璃さんが『わっちの話をしている気がしますよぅ』などと言いながら、すすすっ、と近づいてくる。
と同時に、老人たちの表情が強張る。
立場的には、澪璃さんよりも宇迦の方が上だし、呼び方からも解りそうだけど……やっぱり外見の問題かな?
澪璃さんのあの姿は、凄くインパクトがあったし。
「はいはーい、澪璃さんはあっちに行きましょうねぇ~」
「紫様~、わっちは仲間はずれですぅ?」
わたしに背中を押されて移動させられつつも、今度はわたしが一緒だからか、素直にお年寄りたちから離れる澪璃さん。
寂しんぼかっ!
「あ、あの……」
「あちらは気にしなくて構いません」
キッパリと首を振る宇迦に、お年寄りたちはこちらと宇迦を見比べて、おずおずと頷く。
「そ、そうですか。あの神社では……秋祭りも開催されるのでしょうか?」
「はい。その予定です」
なんだよね。
何をするのかまだ詳しくは聞いてないんだけど……また舞わないといけないのかな?
二回目だから、夏祭りよりは楽だと思うけど。
「やはり……。あの、そのお祭りには、私どもも参加しても構わないのでしょうか?」
「えぇ、構いませんよ。来る者を拒むつもりはありません。問題さえ起こさなければ」
「ありがとうございます!」
夏祭りが開催されることを村の人たちが喜んでいたように、その有無はやはり大きいらしい。
祐須罹那様は謂わば土地神。
その領域で暮らす人たちにとっては、その祭りに参加できるかどうかは今後に大きく関わってくるようだ。
「そうなると、えっと……この村、名前はありますか?」
「いいえ、特には。必要もありませんので……」
「そうですか。では、取りあえず湖畔村としましょうか。前回の夏祭りに参加したのは、すぐ傍の村――あそこは南村にしますか。あの村の村長には私から伝えておきます」
湖の傍にあるから“湖畔村”、御山の南にあるから“南村”、か。
とても単純だけど、解りやすくはある。
一ノ村とか二ノ村とかだと、上下関係がつきそうで、あまりよろしくないしね。
本当は、きちんとした名前を付ければ良いんだろうけど、基本的にはほとんど交流を行わないこの世界では、名前に意味が無いのだろう。
このあたりも、変えられたら良いんだけど。
そして今、宇迦が適当に付けた名前。おそらくは正式名称になりそうである。
眷属が付けた名前を、誰が否定できるのかと。
「お手数をおかけいたします」
「伝えるだけですから。一応、秋祭りの少し前に出向いて、調整しておいてください」
そう言って宇迦は、『待っていますね』と微笑む。
どうやら次回の秋祭りは、夏祭りよりも賑やかになる様子。
以前宇迦が説明してくれた図では祐須罹那様の領域はかなり広かった。
それを考えれば、領域内にはきっと他にも村があるに違いない。
この調子でお祭りに参加する人が増え、村同士の交流が増えていけば、いつかわたしが縁日を楽しめる日も来るのかな?
長期的な話にはなりそうだけど、少しだけ期待しても良いよね?
◇ ◇ ◇
湖のお掃除から帰ってきて数日。
わたしと宇迦は、『近いうちに結界を作らないとね~』などと話しつつ、のんびりと日々を過ごしていた。
雨が降る日も減ってきた今日この頃は、畑のお野菜も、たっぷりの水と日の光を浴びて、青々と茂って元気そう。
――一部、異常に元気な区画があるけど。
一掴み、撒いただけだったんだけどねぇ。
ストレージに入れてある、藻の焼却灰を。
灰になった後でもそれだけ効果があるとか、バットグアノ、よほど薄めなければ使えそうもない。
まぁ、お野菜に困ることがなさそうなのは、ちょっとありがたいけど。
ストレージの中に、お野菜は少なかったから。
見方によっては、これが今回の、一番の収穫かもしれない。
もちろん、澪璃さんの神域が綺麗になったのも、重要だけどね。
あそこは澪璃さんのお家でもあるんだし、綺麗じゃないと、安心して住むこともできない。
「……にもかかわらず、澪璃さんは何でまだウチにいるのかな?」
そう。何故か今もウチにいる澪璃さん。
結局あの後、わたしたちに付いてきて、帰る様子も見せない。
「あそこにいても暇なんですよぅ」
普段の澪璃さんは、あの巨大な姿で、湖の底深くで微睡んでいる事が大半、らしい。
うん、とても神様っぽいけど、確かに暇そうではある。
「紫様、わっち、ここにいたら、いけませんかぁ?」
「いや、別に良いんだけど。この家も広いし」
ダイニングキッチンと言うべきか、土間と囲炉裏がある部屋に加えて、和室が六部屋。
その内、五部屋はほとんど使っていないわけで。
澪璃さんが転がり込んできても、生活に困るような事も無い。
「でも、神域の管理は良いの?」
「大丈夫ですよぅ。今回のことで、祐須罹那様との繋がりが深くなったので、ここからでも問題なくなったんですよぅ」
「そうなの?」
ドヤ顔で言う澪璃さんから視線を外し、宇迦に尋ねれば、宇迦は少しだけ不本意そうに頷く。
「えぇ、まぁ。天然ダムの処理を行いましたよね? あの時に。祐須罹那の神域の中で澪璃が力を振るうには、その方が都合が良い事もあって、ちょっと……」
通常、神域という神のテリトリーの中では、他の神は力が使いづらくなる。
謂わばホームグラウンド。
戦いになれば圧倒的に有利だし、他の神の力を抑えることも難しくない。
そんな場所で他の神が十全に力を振るおうと思えば、その神域の主に対する従属というか、繋がりというか、そういうものが必要になるようで。
これまでの祐須罹那様は、部下とは言いつつも、『自分の領域にいることを許容している』というだけで、明確には従属させたりはしていなかったらしい。
それが今回、澪璃さんに対しては、従属までは行かずとも、繋がりを深めるような形になったので、宇迦としては若干、釈然としない思いがあるようだ。
「大丈夫ですよぅ、宇迦様。わっち、役に立ちますよぅ?」
「えぇ、そうですね、蟹を茹でる時には役に立ちましたね」
うん、凄く役に立った。
神社に帰った翌日には、早速茹で蟹を作ったんだけど、澪璃さんがいなければできない素敵な光景だった。
もっとも、その時に茹でた蟹は三人では食べきれず、大半がストレージに入ったままなんだけど。
いや、澪璃さんが元の姿になれば食べられただろうけど、所詮、嗜好品だからね。腐るわけでもないのだから、無理して処分する必要も無い。
「それだけじゃないですよぅ。色々できますよぅ」
「例えば?」
「……悪霊退治?」
「それは紫さんでもできますね。他には?」
「……水の操作?」
「かなり限定的ですね。普段は必要ありません。用があれば呼びますよ。他には?」
「……蟹を捕まえる?」
「まだたくさん残っているので、当分は不要です。食べ終わった頃に、私たちが湖まで出向きましょう。他には?」
「えっと……」
宇迦の追求に、長考に入る澪璃さん。
そんな澪璃さんの困ったような顔を見ながら、わたしは内心、『傍にいてくれるだけでも価値があるんだよ』と呟く。
しばらく経って、澪璃さんが宇迦に答えられないようであれば、その言葉を伝えようと心に決め、わたしは畳の上に寝転がったのだった。
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