第二章 雨天の来訪者

2-01 プロローグ

「宇迦、最近、雨が続くねぇ」

「時季、ですからねぇ」

 夏祭りを終えて数日、しとしと雨の降る日が続いていた。

 宇迦の尻尾も、ほんのりとしっとりしていて、ふわふわ感に乏しい。

「この時季って、雨が多いの?」

 あんまり続くようなら、除湿機とか開発するのもやぶさかではないよ。

 ふわふわのために!

 もっとも、この部屋自体気密性皆無だから、そっちの改善が先だろうけどね。

「はい。紫さんに解りやすく言うなら、梅雨みたいなものですね。この時季に降っていないと、農作業に影響が出ますから」

「お米、作ってるんだもんねぇ」

 所謂、温暖湿潤気候。

 水稲の産地と言えばそのあたり。

 つまりはこの辺りの気候もそんな感じなんだろう。

「それでも、紫さんが思うよりは穏やかな気候だと思いますよ? 嵐がまったく無いとは言いませんけど、台風が来ることは、ほぼ無いですから」

「あ、台風は来ないの? 夏っぽさに欠けるけど、屋根が飛んだりする心配をしなくて良いのは、ありがたいかな」

「そこに関しては、万が一、台風が頻発しても心配不要ですよ。少なくともこの家は。一応、ここって神域ですから」

 祐須罹那様が弱っていた頃ならともかく、今なら台風が来ても、わたしの家や庭の畑に被害が出るようなことは無いらしい。

 さすが神様。自然現象にも対抗できるとは。

「つまり、大雨の時もここは晴れてる?」

「そこまでは。この境内に限って、雨風を弱めるって感じでしょうか。ここだって雨が全く降らないと困りますよね?」

「あぁ、そっか。降ってるもんね、現在進行形で」

 庭や畑の植物には当然、雨が必要だし、ここしばらくは普通に雨を経験してたよ。

 嵐になったら晴れるとか、するわけないか。

 そして、神域の他の場所。たとえ嵐で木が折れようとも、地面が崩れようとも、それも自然現象と、特に何もしないらしい。

「なるほどねぇ。護岸工事や法面の保護なんかはしないのか」

「はい。さすがに、山体崩壊とかそういったレベルになると話は別ですが」

「だよね。御山がなくなるのは、マズいよね」

 苦笑する宇迦に、わたしも頷く。

 そんな事が起こったら、『境内だから安全』なんて事は無いだろうし。

「それでも、台風被害がないのは安心材料かな? 村の人たちの事を考えると」

「その代わり、この時季にしっかりと水を溜めておかないと、後で困るんですけどね。だから、溜め池は多いですね、この辺り」

「へぇ、そうなんだ?」

「えぇ。村を歩けば頻繁に見かけ……あぁ、そう言えば紫さん、ここから出てませんよね」

「だね。まったく出てないね」

 こちらに来て数ヶ月。

 最初に逃げ出した(?)時にちょっとだけ村を見ただけで、それ以降はこの山から外に出掛けたことは無い。

 それで困らなかったから。

 ――これも一種の引きこもり?

「たまには散歩に行っても良いんですよ? ずっと神社に常駐していなくても」

「ん~、雨が上がって、良い天気になったら考える」

 そう言ってゴロリと寝転がり、宇迦の尻尾にちょっかいをかけ始めたわたしの顔に、宇迦はパフンと尻尾を振り下ろし、呆れたようなため息をついた。

「……見える。見えますよ、私には。『最近暑いから、涼しくなってから考える』と言っている紫さんの姿が」

「さすが宇迦。わたしの事を理解してくれて嬉しいよ」

「褒めなくて良いです。否定してください」

 お礼に抱き締めてあげようとしたら、逃げられてしまった。

 宇迦はわたしの癒やし枠なのに。

「宇迦~、どうせすること無いんだから、一緒にゴロゴロしようよ」

「いえ、私にはすることが――」

「あるの?」

「――無いですけど」

 雨が続くこの季節、子供たちもやって来ないし、趣味的にやっている畑仕事もお休み。

 やるとするならお掃除ぐらいだけど、祐須罹那様が復調している影響なのか、わたしの家も含め、神社の建物の汚れ具合は非常に緩やか――どころか、放っておいても逆に綺麗になるぐらい。

 何かを零して汚したりでもしないかぎり、お掃除をする必要がほとんど無い。

 面倒なのはお洗濯ぐらいかな?

 でも、こっちもあんまり汚れないんだよね。

 下着なんかは習慣的に毎日変えているけど、わたしたちって普通の人間とは違うから……。

 結局、する事が無い宇迦も、わたしから少し離れた座布団に腰を下ろし、のんびり。

 そんな警戒しなくても、もっと傍に来てくれても良いのにね?


 カシャン、カシャン、カシャン。


「あれ? こんな雨の日にお客さん?」

 今日はこんな、まったりとした一日かな、なんて思っていると、玄関の扉を叩く音が聞こえてきた。

 普段から訪ねてくる人がほとんどいないウチに、雨の日を選んでやってくるなんて……。

「これで嵐の夜だったら、幽霊とかそんな感じだよねー」

「悪霊なら、わざわざ戸を叩いたりはしないと思いますよ?」


 カシャン、カシャン、カシャン。


「あはは……いるんだったね、そういえば」

 ここは異世界だった。

 浮遊霊なら先日、出会ったばかりだったよっ。

「紫さん、出ないんですか?」

「……宇迦、出てくれない?」

 霊が云々とか言ってたから、フラグが立っている気がする。

 わたし、別に幽霊とか、好きじゃないし。

「出ること自体は別に良いんですけど、最近、紫さんは運動不足です。たまには起きて動いてください」

「えー、宇迦に言われたから、ちゃんと毎日着替えてるのに~」

 動物パジャマの着心地はかなり良いけど、あれでゴロゴロしていたら、宇迦に怒られるのだ。

 その点、巫女装束に着替えておけば、ちょっと呆れたような視線を向けられるだけで済む。

 ――うん、どっちもダメだよね。

「朝起きたら、寝間着を着替えるのは当たり前のことです! ほら、ほらっ!」

「あうー、解った、解ったから~」

 尻尾でパシパシと顔を叩かれ、わたしはのそのそと起き上がると、部屋を出て玄関に向かう。


 カシャン、カシャン、カシャン。


「はいはーい、どちら様ですか?」

 ガラガラと扉を開けて最初に目に入ったのは白。

 視界を占領したそれに、わたしが一歩足を引くと、その全体像が目に入る。

 見えていたのは白衣しろきぬ

 わたしよりも背の高い人が、それを着てそこに立っていた。

 身体の線からして女の人。

 長い髪を前に垂らして表情がうかがえず、全身がびっしょりと濡れて、髪先から、衣から、ぽたり、ぽたりと水が垂れて、三和土たたきを濡らしている。

 そう、端的に言えばそれは――わたしの想像する幽霊、そのものだった。

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