2-03 訪れたのは (2)

 あ、言い過ぎた。マジ泣きだ、これ。

 軽い皮肉程度のつもりだったのに……。

「紫さん、力関係を考えると、あなたが言うと脅しみたいになるんですから……。澪璃、気にしなくて良いですよ? その事に関しては。神霊としては、仕方のないことです」

「そ、そうそう! ちょっと言ってみただけだから! うん。ほら、顔を上げて、涙拭いて?」

「うぅ、ありがとうございますよぅ。紫様、優しいですよぅ」

 身体を起こさせて、涙を拭くわたしに、ほにゃっとした笑顔を見せる澪璃さん。

 ……いや、なんだか、マッチポンプみたいで心が痛いんだけど。

 うん、悪い人――いや、神じゃないみたいだし、澪璃さんには優しくしよう。

「祐須罹那と澪璃では、位階が違いますからね。紫さんに解りやすく言うなら、自動車と自転車ぐらい違います。いくらポンコツ自動車でも、自転車と喧嘩して自動車の方が大怪我、なんてあり得ないでしょう?」

「そんな感じなんだ? それは確かに、『何もできない』ってのは解るかも」

 世の中には自動車が買えるような値段の自転車もあるみたいだけど、そんな自転車でも軽自動車と正面衝突して無事なんて事はあり得ない。

 宇迦の言う『位階が違う』というのは、そういう事なのだろう。

「それに、『部下』とか言っても、祐須罹那はそのあたり、形だけでしたからね。つながりも薄いんですよ。こうしてやってくるのが澪璃だけという事からも……というか、澪璃、よく祐須罹那の力が戻りつつある事が判りましたね? まださほどでは無いはずなんですが……」

 不思議そうに尋ねた宇迦に、澪璃さんは少しだけ得意げに胸を張る。

「うちの湖に流れ込んでくる水が変わってきているんですよぅ。さすがに気付きますよぅ」

「あぁ、水ですか。それなら気付きますね」

 双方、納得したように頷き合っているけど……わたしにはさっぱりですよ?

「ねぇ、宇迦。わたしにも解るように説明してくれるかな? そのあたりの神様の事とか、色々、さっぱりだから」

「そういえば、紫さんには詳しい事を話していませんでしたね」

「うん。とりあえず神社のお掃除して、それが終わったらすぐに夏祭り、だったからね。浮遊霊と対峙させられたのも、結構突然だったし?」

 せめて事前に、もう少し説明が欲しかった。

 全く脅威ではなかったから、後回しになったのかもしれないけど、わたしからしたら見たことがない存在で、初めての事なのだからして。

「それは申し訳ありません。では、良い機会ですから、そのあたりの事も含め、お話しておきましょうか。しばらくは暇ですし」

 宇迦はいったん立ち上がり、お茶を入れ直すと、改めてわたしの前と、わたしの隣に座った澪璃さんの前に置く。

 そう、隣。最初は正面に座っていたのに、何故かすすすっと近寄ってきて、わたしのすぐ近く、ひっつくような距離で座っているのだ、今は。

 ……なんか、懐かれた?

 あ、でも、澪璃さんって体温が低くて、少し気持ちいいかも。

 ちょっとだけ、今日は蒸し暑いし。

 けど、初対面の人にここまで近づかれると、少し戸惑う。

 かと言って、距離を離して座り直すのは、澪璃さんに隔意があるみたいで……。

 チラリと視線を向ければ、わたしを見てにっこりと笑う澪璃さん。

 うむ、やりづらい。

 しかし、宇迦はそんなわたしたちの様子は気にもせず、お茶で喉を潤すと、口を開いた。

「何から話しましょうか。……そうですね、ちょうど澪璃が来ていますから、彼女の正体、そのあたりから話を始めるのが良いかもしれません」

 正体……?

 そんな事言われると、なんか怖いんだけど?

 人間じゃない事ぐらいは解ってるけどね?

「澪璃の正体を話すなら……まずは、この周辺の地理を、簡単に説明してからの方がいいでしょうね」

 その方が解りやすいですから、と宇迦は紙を取り出して、そこに簡単な図を書いていく。

「ここが今、私たちがいる神社、その神社があるのが祐須罹那の神域である御山です」

 宇迦の描いた図を見ると、祐須罹那の神域である御山は、山裾を含めておおよそ半径五、六キロほどの楕円形。

 この前、浮遊霊の駆除にぐるりと回ったあたりが神域の外周にあたり、その南側の端の方に、この神社がある。

 宇迦は、その楕円の右端からひょろひょろと線を引いて丸を描き、そこを指さす。

「この神社から南の方向に四キロぐらいの場所に湖があるんですが、その湖を神域としているのが澪璃です」

「はい~。わっちのお家です。紫様も今度、遊びに来てくださいよぅ」

 ニコニコと、わたしの腕を抱え込みながら、澪璃さんがそんな勧誘をしてくる。

 湖かぁ……。

 この辺りの気候的に、本格的な夏は蒸し暑くなるよね?

 だったら、泳ぎに行くのも良いかもしれない。

 まさか、神域となる湖が汚いとも思えないし。

「そうだね、暑くなったら行かせてもらおうかな?」

「お待ちしてますよぅ」

 わたしがそう答えると、澪璃さんが嬉しそうに笑う。

 そんなわたしたちを見て、宇迦も笑みを浮かべる。

「ちなみに、澪璃の本性はみずちです。蛇もどきですね」

「……え? それって、毒を吐いて人を苦しめるという?」

 なんだか、肌がヒンヤリしているのは、そのせい?

 少しだけ蒸し暑い季節だから、ちょっと涼しいな、とか感じてたんだけど!?

 宇迦の予想外の言葉に、わたしが身を引こうとすると、澪璃さんは腕をぎゅっと抱きしめて、悲しそうな表情で首を振る。

「そ、そんな事しませんよぅ。わっちは悪神じゃないですよぅ」

「そうですね、澪璃は大丈夫ですよ。神の考え方やメンタリティは特殊だったりしますけど、澪璃のそれは紫さんの感覚からしても、普通の範疇でしょうし」

「そうなの? なら良いんだけど……ちなみに、“神霊”って何なの? なんとなくは解るけど」

「簡単に言うなら、“神域”を持つ者が神ですね。神域の広さや地脈に含まれる力、その他諸々によって、神の力が変わります。その神力の影響が及ぶ範囲が“領域”です」

 神話などで語られるとおり、神々の性格は様々。

 ただ存在しているだけの神から、何かにつけて暴れる神、人を殺す事を楽しむ神、人を増やし崇められる事を喜ぶ神など、一概に語る事はできないようだ。

 そして、それらの行動は神の力とは直接関係なく、氏子からの信仰や供物などに関しても、神に与える影響は微々たるもの。

 一部の例外を除き、神の力の大半は、その神が持つ神域に依存しているらしい。

「祐須罹那は御山全てが神域ですから、本来の神としての力は、かなり強いんですよ? 権能も強力ですし」

「そうなの?」

「ですよぅ。じゃないと、わっちみたいな神霊が従いませんよぅ」

 それもそうか。

 わたしを喚んだことだけ見ても、なんかすごそうだし。

 曲がりなりにも神霊である澪璃さんより、ちょっと喚ばれてやってきたわたしの方が強いとか、祐須罹那様の力があってこそ、だよね。

「それに、御山から川が流れ出ているので、祐須罹那様の持つ領域も広いんですよぅ」

「川? 関係あるの?」

「はい。川の水に含まれる祐須罹那の神力、それが流域に広がっていますので。力が衰えていた時には、その神力が減って領域への影響力も下がっていたわけですが、最近は回復しているようですね。澪璃が気付いたのもそれで、みたいですし」

「なるほど、確かに川の流域は広いよね。……あれ? それじゃもしかして、祐須罹那様の領域にある村って、もっと多い?」

 わたしたちが関わったのは、先日のお祭りに来た、すぐ近くの村の人たちだけだけど、これだけ大きな山から流れる川。

 その流域にある村があの村だけなんてことは、ちょっと考えにくい。

「そうですね、いくつもあります。ありますが、基本的には放置ですね。窓口となるこの神社から遠いので」

「わっちのお家の周りにも、集落はありますよぅ。でも、たぶん大半の人間は、祐須罹那様の事を知らないですよぅ」

「最近は衰えていましたからね。古老であれば知っているかもしれませんが……」

 神社があることぐらいは知っていても、村同士の交流はほぼゼロだし、お祭りをやるときにも通達を出したわけでもない。

 大々的に宣伝しているわけでもないので、それを考えれば、祐須罹那様の事があまり知られていない、もしくは忘れられていても当然なのかもしれない。

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