2-15 後始末 (2)

「……紫さん、下流のことですよ。いきなり水が流れてきたら、困りますよね?」

 理解できないわたしに、宇迦から助言が入った。

「下流……あ、そっか」

「私たちはともかく、紫さんは気にされますよね? 人が事故に遭うのを」

 ダムの放水でも、事故防止のためにサイレンで知らせるもんねぇ。

 わたしがやった事で人が死んじゃったとか、ちょっと――じゃなく寝覚めが悪い。

「それじゃ、河口を掘り下げて、少しずつ流れ出る水を増やそうか?」

「はい、それでいいと思いますよ」

「では、早速」

「わっちは、藻を集めますねぇ」

 澪璃さんが水流を操作して、河口の藻を取りのけるのにあわせて、わたしが魔法で川底を浚渫。流れ出る水の量を増やす。

 それに伴い、藻も流れてくるので、それもストレージの中へ。

 ちょっと忙しい。

 更にゴリゴリと川底を削れば、流量もかなり増え――。

「だ、大丈夫かな? 下流の人は」

「大丈夫ですよ。この時季の川が危険な事は常識です。少し水量が増えた時点で避難しています」

 轟々と流れる水の量に、ちょっと不安になって尋ねるわたしに、宇迦は平然と答える。

「そ、そう? なら良いんだけど」

 川辺で生活していれば、そんなものなのかな?

「そんなものですよ。知識も無く川に遊びに来て、中州でテントを張る人たちとは違います」

「……詳しいね?」

「それなりには」

 まぁ、それなら安心。

 流れ出る水を眺めながら藻を回収していると、やがて空が曇り始め、雨が降り始めた。

 あまり雨脚は激しくないけど、梅雨明けには、まだしばらくかかるのかもしれない。

 わたしは先日作った傘を取り出すと、宇迦に渡して、わたしは澪璃さんの隣に立って彼女に傘を差し掛けた。

「紫様……ありがとうですよぅ」

「ううん。わたしのあげた服を着てくれているしね?」

 振り返ってお礼を言う澪璃さんに、わたしは微笑む。

 澪璃さん的には濡れても気にしない――どころか、快適なのかもしれないけど、せっかくの服が濡れてべっとり張り付くのは美しくない。

 それに、せっかく作った傘、こんな時にでも使わないと出番が無い。

 肉体労働をしているなら魔法で対処する所だけど、今は魔法を使ってるだけなので、わたしと澪璃さん、端から見たらただ単に立っているだけだし。

「だいぶ水も引いてきたけど……へぇ~、ヘドロとかは全然無いんだね?」

「わっち、これでも綺麗好きなんですよぅ」

 澪璃さんがそう言う通り、見えてきた湖底は綺麗な砂地で、どちらかと言えば綺麗な海の海底みたい。

 わたしの勝手なイメージだと、もっと泥っぽい土が積もっていると思ってたんだけど、綺麗な湖沼ならこんな感じなのかな?

 いや、澪璃さんが『綺麗好き』と言っているから、彼女自身の力で綺麗に保っているんだよね、やっぱり。

 もしこの藻を放置していたら、枯れた藻が湖底に積もって、綺麗な湖も台無しになったのかもしれない。

「ちなみに、これでどのぐらい水が減ったかな?」

「そうですねぇー、湖の面積が数パーセント減るかどうか、ですよぅ」

「え? その程度なの? 結構深く掘ったのに?」

 澪璃さんの許可を得て掘り下げた川底の深さは、二メートルほど。

 最初の湖岸から考えれば、既に一〇メートルほどは水が引いている。

 単純に考えると、水深二メートル以下の部分が陸地に変わるはずだし、結構な面積になりそうなんだけど……そう言えば、かなり深い湖だったっけ?

「深い場所でどれくらいって言ってたっけ?」

「一番深いところで、八〇〇メートルぐらいですよぅ」

「……なるほど。それだけ深かったら、水面が二メートル下がっても僅かかぁ」

 日本一高い電波塔ですら、すっぽりと入ってしまう深さだもんねぇ。

 水が減るのを待っている間で藻はあらかた回収できただけど、目的は栄養分が多すぎる水を流してしまうこと。

 臭いがするのは表層部分だけとは言っていたけど、どれぐらい流れ出たかな?

「あ、紫様。この辺りから一気に深くなるので、あんまり水が減らなくなりますよぅ」

「へぇ、ちょっと覗いて……わぉ」

 フライで飛んで湖面を覗き込んでみれば、正にストンという感じに湖底が急斜面になっていた。

 今の薄暗い天気では全く底が見えず、吸い込まれそうに深く、暗い。

 泳ぐときに足が付かなくなるのは、水深二メートルでも、一〇〇メートルでも同じ事なんだけど、この深さはなんだか根源的な恐怖感すら呼び起こす。

 まるでそこから何か得体の知れないモノが上がってきそうな……。

 ――夏に水遊びをする時には、浅い所にしよう。うん。

 澪璃さんもいるし、危険は無いとは思うけど。

 むしろ、澪璃さんが上がってきそうだけど。

「ここまで深いと、もう水は減らないかな?」

「はい~。今の流出量だと、流入量と同じぐらいですよぅ」

「今も川から水は流れ込んでるんだもんねぇ」

 最初はゴウゴウと流れていた川の水も、今は水面が下がったことから、かなりおとなしくなってしまっている。

 これ以上減らすなら、かなり大規模に、川底だけではなく湖底も抉る必要があるだろう。

 それも不可能ではないけど、そこまでやる意味は、無いかな?

 もしくは、澪璃さんに水を操作してもらって、強制的に排出するか。

「ちなみに、澪璃さんの言っていた臭いのする水深、それはどんな感じだった?」

「そうですねぇ……これぐらいか、もうちょっと深いか、その程度だと思いますよぅ」

「つまり、問題のある水は、ほぼ排出できたと考えても良いのかな?」

 二人に意見を聞くようにそう尋ねると、宇迦がすぐに頷いた。

「良いんじゃないですか? 多少残っていても、これで水量が戻ればだいぶ薄まると思いますし、無理に水を入れ替えるより、もう一度藻の掃除をする方が楽じゃないですか? ――紫さんが外出するきっかけにもなりますし?」

「宇迦、実は最後の言葉が本音じゃない?」

 確かに、ほとんど外出しないけどさ!

 暑くなったら、更に外出しそうに無いけどさ!

「……まぁ、良いんだけど。澪璃さんも良いかな?」

「もちろんですよぅ。本当に助かりますよぅ」

「うん、じゃあ、川を元に戻そうか」

 掘り下げた川底を元通りに埋め、固め、かさ上げすれば、河口から流れ出る水が止まる。

 これでしばらくすれば元の水面にまで戻ると思うけど――川下に住んでいる人、かなり不審がってないかな?

 藻が詰まっていたせいで減っていた水量が一気に増えたかと思えば、だんだんと減って普段通り。その次には完全に水が止まる。

 何事かって感じだよね。

 まぁ、そこまではわたしも責任を持てない。

 勝手に想像してもらおう。

 わたしには関係ないことだし。

 そんな事を考えたのが悪かったのか――。

「それじゃ、次は――」

「おい! お前たち、何をやっている!!」

 何をしようか、と言おうとしたわたしの言葉を遮るように、背後から怒声が響いた。

 慌ててそちらを振り返れば、そこにいたのは武器――いや、鍬を構えた男たちが一〇人あまり。

 これは……うん。

 さっきの懸念が、いきなり実現ですか?

 川に異常があれば、やっぱり見に来るよね。

 そこで何か怪しげな事をしている人影があれば、不審に思うよね。

 でも、人数を集めて取り囲む前に、一言訊いてくれれば良いのに。

 わたしたち、別にむくつけき男たちってわけじゃないんだから、怖くないでしょ?

 とは言え、見たこと無い人が、見たことの無い怪しげな物――わたしたちが差している朱塗りの傘のことである――を持って立っていたら、声もかけづらいか。

 その事もまた理解できたので、わたしは慣れないながら、できるだけ友好的な笑顔を浮かべて、彼らに声をかけた。

「いえ、わたしたちは――」

 わたしが一歩前に進み、口を開くなり、男たちは唐突に鍬を放り投げて、雨に濡れている地面に身を投げ出して頭を下げた。

「あれ――?」

 一体、なにごと?

 まだ何も言ってませんよ?

 わたしの笑みが怖かった、とかじゃないよね?

 友好的な笑顔を浮かべたつもりですよ? わたし。

 決して威圧なんてしてませんよ?

 あまりにも不可解な現象にわたしが困惑するのと、わたしの背後から大音声だいおんじょうが響いてくるのはほぼ同時だった。

「おぬしら! 誰に対して物を言っている!!」

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