第46話 「塞がれた穴」

「目を覚まして」

「ん……」

 閉じた瞼を開こうとして、差し込んできた夕日に目が眩む。倒れ伏した地面は冷たく、見上げた秋空は高くどこまでも青い。

横たわっている自分の横で倒れ伏している彼女の呼吸が聞こえてくる。

「―――おいおいおい、天使ってぇのはそんなことも出来んのかよ」

 その声が聞こえた途端、トリムは跳ね上がるように起き上がった。その声が怒りと共に彼女の意識を呼び覚ましていた。

「トリム、おはよう」

 どこからか声が聞こえてくる。どこかで聞いたことのある澄んだ声が、彼女の目覚めを待っていた。だが、その声の主は見当たらない。

「ほんと、バケモノだなぁ」

 仮面の男の声に反応し、腰に伸ばした手が止まる。

「フロワ……!」

 倒れている彼女の身体を見る。自分が突き刺したはずの身体には外傷が見られず、刺さっていたはずの短剣は鞘に納められていた。

眠っているような彼女を庇うように、男の前に立ちはだかるトリム。

「やめだやめだ、勝てっこねぇや」

 そう言うと男は踵を返して森の中へと消えていった。その背中が地平線に溶けこむように消えるまで、彼女はその男の背中を見つめ続けていた。やがてその姿が消え、辺りに誰もいなくなった頃、彼女は酷い疲労感を覚えてその場にへたり込んでしまった。

「だめ、だ」

 強烈な眠気が襲ってきて、視界は大きく揺らいでいる。眠ってはならないと気張って、身体を動かそうとするものの、筋肉が石のように固く思うように動けない。そうしている間にも意識はより一層深い眠りへと落ちていこうとしていた。

トリムは閉じかけた瞳でフロワを見つめる。穏やかな表情で眠っている彼女の顔に触れようとして手を伸ばした矢先に、トリムは意識を失った。


 身体に衝撃を感じた。地面に打ち付けられたような感覚と、誰かに触られていたような感触が背中と腕、足の辺りに感じた。

「おっとっと、あぶねぇ」

 微睡んだ意識の縁に引っかかったのはその声よりも鼻につく酒臭さだった。

それから、自分の身体に柔らかい何かが被せられたのを感じた。無作法にかけられたそれは彼女の顔にも辺り、それが彼女を覚醒へと導いた。

「ん……」

「お、目ぇ覚ましたか」

「オーナー、さん」

「おう、ちゃんと目も見えてるみたいだな」

 少し赤らんだ顔をほころぶばせたオーナーはオヤジ臭い声を出しながら彼女の傍らにどっかりと胡座をかいた。

「お前さん達、何があったんだ」

「何が……」

「いや、ミュスティカイアの空に隕石みたいなのが落ちたろ。お前さん達が発っていった後だったからな、気になって行ってみれば、二人で倒れてたもんだから驚いたこと驚いたこと」

 オーナーの背中の窓がカタカタと震えている。その窓から見える空は真っ暗で、天に昇った月が建物に刻まれて見えなくなっていた。

「オーナーが助けてくれたんですね」

「……まぁ、な」

「ありがとうございます」

「あぁ。もう一人の嬢ちゃんはまだ寝てる。相当疲れてるのか分からんが、辛そうな顔してた」

「トリムが……」

 腕を組んだオーナーが顎をやった方を見ようとして首を回すと、少し痛んだ。それから身体を彼女の方に向けると、そこには深い眠りについているトリムがいた。

「怪我はしてなさそうなのが幸いだったよ」

「……」

 トリムを見るフロワの表情が少し曇っていたのを見たオーナーはわざとらしく、溜息をつくと、そのまま立ち上がった。

 頭に感じたその振動でフロワは彼がこの部屋から去ろうとしていることに気がついた。

「オーナーさん」

「うん?」

 何も言わずに立ち去ろうとするその背中を呼び止めた彼女は、眠っているトリムの方を少しだけ、申し訳無さそうな顔をしながら見た後に、オーナーに礼を言った。

オーナーは手を振った後、一階へと降りていった。


自分の胸に手を当てる。微かな振動が、自らの鼓動を訴えている。彼女は自身が刺されたということを俯瞰していた。

トリムと訣別しようとしたその後のことを、彼女は曖昧だが理解している。自分が何をしたのかも、何をされたのかも識っている。

朧気な夢を映されたその脳内の片隅にあった心は、空に叫び、血を嘆き、自らの結末を受け入れて死に至ったはずだった。

確かに自分は死んだのだと。胡蝶の夢を見終えた彼女は自らの流れ行く先の、生命の終わりを確かに見た。されどこの身体は傷一つなく、この胸には穿たれた夢だけが感傷と成って残っていた。

フロワは眠りにつくまで、隣で眠る彼女の顔を見つめていた。この身を救ったのが彼女だということを、夢に降りる間際に理解して、意識は乖離していった。

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