第8話 「花と少女」(1/2)
「最初から閉じ始めていた……?」
フロワはアルメンが何故、天使を敵視していたのか、その意図をすべて理解していた訳ではない。突然顕れ、災厄を振りまく天使のことに関しての知識を有しているわけでもない。だが、最初にアルメンと行動を共にしてから、それになり月日が経ている彼女ですら、その話は聞いたことも見たこともなかった。
「なぜ、天使が顕れなかったのかは分からない。まぁ、それで良かったとも言えるけど、なんでそうしたのか、理由が分からないのがなんとなく嫌な感じするのよ」
「これまでの襲撃に関しても、天使の正体もそうですが、謎が多すぎますね」
「アルメンは何か掴んでいそうな風だったけど」
「えぇ、確実に私達よりは情報を持っているでしょうけど……」
天使と敵対していてなおかつ実際に戦闘を行うのはトリム達だ。何らかの情報を開示した方が危険は減ることくらいは、彼女とて分かっている。それを承知の上であえて話さないのなら、それには何らかの理由があるはずだ。
「私達に話してもしょうがないことなのか」
「それとも、話すことで支障をきたす場合があるのか……」
リビングに流れるレポーターの声。それに答える街行く人々の声が、近頃の流行りに対しての嘲笑だとか、会社の上司に対しての怒りだとか、自分の生まれについての恨み言だとかを、たとえ編集された一分、一秒だろうと目まぐるしく思い思いに息巻いている。
その雑音ともとれる声の数々と、思い巡らす沈黙が耐えに耐え続け、もう聞き飽きたと言わんばかりにトリムはリモコンの電源ボタンを押した。
「何を考えているか分からない。それだけは分かったわね」
そう言って自分たちをせせら笑うような表情を見せたあと、ただ一言「先にシャワー借りるわね」とだけ言って、彼女は沈黙から去っていった。
翌日、フロワは一人、モールストリートを歩いていた。照り返す日差しが肌を焼く。
人々は何事もなかったかのように、いつも通りの生活を送っている。彼女は点滅する横断歩道で止まり、ストリートの屋根の合間から空を仰ぐ。
「あなたは本当に、彼女のことを―――」
「フロワ、君にだって、聞かれたくないことのひとつやふたつ、あるだろう?」
結局、アルメンにははぐらかされた。返ってこなった返事の代わりに手渡されたのは、いくつかのポイントが示されたのはここら一帯の商業地区の地図だった。
「いつも通り、”兆し”が現れた近辺での調査を頼む。暑いからな、途中でバテないように気をつけるんだぞ」
そう言うと、彼女はアジト奥の書斎に姿を消した。
青になった横断歩道を、人々が歩いていく。
四つ目のポイントへ向かう途中、フロワは小さな花屋を見つけた。
店先に並んだ鮮やかな花の数々。生き生きとしているようで、彼女にはどこか囚われた籠の中の鳥のようにも見える。雑多に詰め込まれた生活、生活、生活。ここはあまりにも人に満ち満ちている。
本当は自然なんて好きじゃないのに、生活に彩りを求める。本当に自然に芽生えた草花を、雑草だとちぎり捨てる。花とは、自然とはこうあるのだと。
それは、まるであの場所のようだと。
フロワはいつの間にか感傷的な思いに浸っている自分に、少し驚く。そしてまた、店先に並んだ花々を、呆然と見つめていた自分にも驚いていた。
「いらっしゃいませ」
店の奥から、華やかな笑顔の女性が現れる。
「あ、すいません……」
フロワは思わず、謝罪の言葉を口にしていた。
「いえいえ、大丈夫ですよ。ゆっくりとご覧になってください」
絶えぬ笑顔に絆されて、彼女は一本の花に触れてみる。水をもらったばかりなのか、小さな水滴が、ピンク色のの花弁から人差し指へと伝ってきた。
「アルストロメリア、って言うんですよ」
「へぇ……」
「日持ちもいいし、結構大きいので花束なんかによく使われるので、ご覧になったことがあるかもしれませんね」
「そう、なんですか」
花束とは無縁の人生だった彼女は、その花の美しさを、少し眩しそうな表情で見つめ続けていた。
「それに、あのアルステマ王の王妃もお好きだったそうですよ? あくまで、噂ですけどね」
アルステマ。先の大戦で勝利を収めた王。
熱心な信徒が多数存在した信仰の国、クレムティスを破り、イベル・ヴィレンスを強国に育て上げた英雄。今、同君連合であるこのふたつの国を統治している。多くの人々からは厚く信頼されているそうだ。
「やぁ、リリー」
フロワの肩越しから男の声がした。振り返るとそこには、いかにも純朴そうな青年が、笑顔で立っていた。
「今日は売れてる?」
そう聞いてから気づいたのか、彼はフロワに小さく会釈をした。
「アドニス……!? もう、あんまりここには顔を出さないでって言ったじゃない」
最初は迷惑そうな顔を見せていた少女だったが、徐々に頬が緩み、今では先ほどよりも柔らかい表情を見せていた。
それからほんの少しだけ、二人は談笑をしていたが、すぐにフロワのことを思い出したのか慌てて頭を下げてきた。
「すいません、お客様の眼の前なのに」
「いえ、良いんです」
アドニスと呼ばれた青年が、私の見ていた花を見て言う。
「邪魔をした僕が言うのもなんですが、その花、買っていかれては? 日持ちもするし、部屋に置いても良いかもしれませんよ? ね、リリー」
「あはは、あの、お気になさらずに、見ていくだけでも構いませんからね?」
「いえ、そうですね。それじゃあ、一つ買って行こうかと思います」
彼女は何となく、心惹かれていたその花を、彼の言葉に乗せられて買うことにした。
フロワの言葉を聞いたリリーは、花が咲くような笑顔で応えた。
「ありがとうございます、早速お包み致しますね!」
「あ、あの、私、花を買ったことがそんなになくて……」
「大丈夫、とくに管理はしなくても大丈夫ですよ。時々お水を変えてあげれば二週間は持ちます。お水を変えるときに、花瓶も洗って頂ければより長持ちしますよ」
そう言って、彼女は丁寧に包み上げたその花をフロワに手渡した。
フロワはかすかだが、花の香りを感じた。甘く優しい、春のような香り。
”これが、花を買うということ。”
自分でもよく分からない気持ちがこみ上げてきたのを、そっと胸の奥へとしまい込んだ。
「ありがとうございました!」
花屋を後にした彼女は、反対方向に歩き始めた。
アルメンに任された調査は別にすぐにやらなければいけないものでもない。昼下りになって気温も上がってきた。
なにより、せっかく買った花を植える花瓶を持っていなかった彼女は、すぐにでもモールに向かいたい気分だった。
静かな部屋に、時計の針の音が聞こえる。
椅子に腰掛け、本を読むでもなく、書斎の机に向かっている。彼女は一人、思いを巡らせていた。
彼女は、トリムの攻撃を見た時に、違和感を覚えていた。そしてその小さな疑問は、徐々に暗雲をもたらし、疑念の影を生んだ。
―――トリムは、一体何者なのか。
今、アルメンが考えているのはそのことだった。
人は神にはなれず、天使でもない。
天使は神にはなれず、人でもない。
天使と神の子供である彼女は、今、一体何者としてこの世に存在しているのか。これは哲学的な問題などではなく、単純に彼女がこの先、天使との戦闘に耐えうるのかという問題だった。
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