第9話 「天使なるもの」(乙)
天使には位階秩序が存在する。それぞれ、三つの階層に分けられており、最上位階にはセラフィム、ケルビム、スローン。二番目の位階にはドミニオン、ヴァーチュー、パワー。そして三番目の最低位階にはプリンシパリティー、アーキエンジェル、エンジェルが存在する。
これらの序列は存在の完璧さを表しており、上の位階の存在であればあるほど、神に近い存在となる。厄介なのは、これらの天使の違いは「程度」におけるものではなく、そもそもの「種類」が異なるということだ。人と獣が異なるように、人と天使が異なるように、彼らは存在そのものの種類が違う。
ただ、これらはすべて、”かつての天使”の総称である。つまり、個体に対して与えられた名ではない。加えて言えば、アルメンがこれまでに観測してきたのは便宜上、「天使」と名称しているだけで、本当に天使かどうかは分かっていないのが現状だった。ゆえに、未確認生物だとかエイリアンという名称の方が本来は適しているのかもしれない。
なぜ、アルメンが彼らを「天使」だと総称したのか。それは単純に現れた彼らの姿が天使の姿と類似していたからだった。
アルメンはこれまでに四体の天使を観測した。
初めに顕れたのは燃え盛る車輪の姿をした天使、スローンだった。
スローンはイヴェル・ヴィレンスとクレムティスによる戦争、「神威大戦」のきっかけとなった存在だ。
当時、一部国境の地域において、イヴェル・ヴィレンスへの作物や家畜の不正輸入出が行われていた。それを扇動していたとして、その責任をクレムティスは追求したがイヴェル・ヴィレンスはこれを否定。そこでお互いに責任を押し付けあうことで起きていた小さな火種が、スローンがイヴェル・ヴィレンスに顕れたことで燎原の火のように燃え盛った。
スローンは領土内の森や田畑の尽くを焼き尽くした後、首都へと侵攻。城下町にも甚大な被害を与えた。
この被害を当初、クレムティスは援助金の支払いを申し出たが、これをイヴェル・ヴィレンス側が拒否した。その理由として挙げられたのが、「スローンは、クレムティスによって開発された兵器である」というものだった。
無論、クレムティス側はそれを否定した。そもそも、技術大国であるイヴェル・ヴィレンスとは違い、クレムティスは信仰の国だった。技術がないとは言わないまでも、そこまでの経済力も技術も有してはいなかった。
当時、イヴェル・ヴィレンスの人々の間にはどこから立ち昇ってきたのか分からない、クレムティス兵器製造の噂が、謎の信憑性を以て広がり続けていた。そしてそれを後押しするように流布されたのが、兵器を製造している工場だとされる写真と、その内部の労働者による告発だった。
これらを”証拠”として、イヴェル・ヴィレンスは、クレムティス側に援助金ではく、国内の損害のすべてを弁償するように要求した。
クレムティス側はそれらの一部を否定、あくまで援助金の支払いだけを行うとした。
だが、この当時発見された工場はクレムティスがイヴェル・ヴィレンスに内密に、”抑止力”を製造するために作られたものだと判明。数年後、お互いに積もり積もった疑念は、やがて国を挙げての戦争へとエスカレートしていった。
「結果、イヴェル・ヴィレンスが勝利を収めた訳だが……」
アルメンは当時の大戦の資料を調べ挙げたが、以降、スローンの文字は何処にも存在しなかった。そして驚くことに、誰一人として、そのスローンの行方を知るものもいなかったのである。
爾来、アルメンはフロワと共に調査を続けているが、以前行方は分かっていない。
そして、他に三体の天使の出現が報告されたが、彼らもその行方をくらませている。
ドミニオンは激しい裂開音と共に現れた”兆し”と共にクレムティス領土内に顕現。十〇キロに渡る大地を転覆させた後、行方不明に。
プリンシパリティーも同じように別の場所に顕現し、嵐を呼び起こし、辺り一体を泥濘の海へと変えた。その後、行方不明。
アーキエンジェルだけは他と異なる様相を呈している。他二体と同じように”兆し”から、イヴェル・ヴィレンス領土内に顕現したという情報はあったが、すぐに消失したとの報告があった。領土内における天変地異の類の発生も確認されていない。
現れた”兆し”はいつの間にか消えていたという声が多数あったがこれは恐らく、トリムが消していったのだろう。
「何の為かは知らないが、律儀なことだ」
アルメンは持ってきたまま、開いてない書物の表紙をなぞった。薄く表面に降り積もっている埃を払っていた指が止まる。
「もし、消えた天使がまだ存在しているのだとしたら」
状況から鑑みて、その確率のほうが高いだろう。かの神託では、天使の総数は九体。これらすべてを、トリムが撃破することになる。
残り、顕現を確認していないのはセラフィム、ケルビム、ヴァーチュー、パワー、エンジェルの五体。
すでに顕現していた四体が何らかの原因で消滅していたとしても、それだけの天使が襲ってくる可能性があった。
それらに対抗する手段はトリムだけだった。 ゆえに―――
「あの力、場合によっては彼女自身が消滅することになる」
彼女が使っていた一刀一槍、あれは権能ではなかった。だが、あれは物理攻撃でもない。それは、彼女の存在を保証している魂を用いたもの。純然たる生命力を彼女は武器として用いていた。
本来、生命力は概念、ないし実在の可能性として扱われるものだ。つまり、その状態では特定の指向を持たないものだが、彼女は自身の権能を用いてそれを武器にしている。ゆえに、アルメンの誓約が働いたのだった。
そこで問題になってくるのが、彼女が何者なのかという問題だった。
霊的被造物である天使は、魂そのものと言ってもいい。 物的肉体を有する天使(スローンなどがそれに該当する)も存在するが、デフォルトの形態は魂である。物的肉体を有しているのは、神から肉体を割り当てられた存在か、自らの魂で肉体を編み上げたかのどちらかであった。
前者である場合、肉体は魂を保護する鎧になる。彼らからすれば牢獄ともとれるが。
肉体を通しての魂の出力量は抑えられるため、消滅することはない。これは一部の天使、もしくはすべての人間が該当する。
後者である場合、すべてを魂により維持しているため、消費がより著しいものとなる。
もし、彼女が後者だった場合は五体、ないし九体の天使との戦闘による消耗に、魂が耐えられないと、アルメンは踏んでいた。
「五体でギリギリ、もし天使が九体だった場合は確実に―――」
「っくしょーい」
「大丈夫かい、嬢ちゃん、夏風邪でもひいちまったか?」
「かもね」
冷蔵庫に冷凍食品しかない惨状を打開すべく、彼女はスーパーに買い物に来ていた。
昨夜、眠りにつく時に初めて分かったが、フロワは暑がりだったようで、夜中あまりの寒さに耐えかねて目を覚ますと、設定温度が二五度になっていた。タオルケットしかかけておらず、加えて寝具が一人分しかなかったため床で寝ていたトリムはしっかり体調を崩していた。
今後しばらくの共同生活、栄養状態くらい万全を期しておきたい彼女は、何を作るかを大まかに考えつつ、店内を回り、結果、必要最低限の調味料と、一週間分の食料を手にスーパーを後にした。
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