第25話 「興亡の境界」

「あー、久しぶりに外に出たー」

 秋の空、すっかり快復したトリムはその空に手を翳すように身体を伸ばしていた。

「しばらく寝こけてたから身体が鈍ってる感じがするわね」

「まぁ、そのうち元に戻るでしょう」

 隣に立つフロワが鍵を閉めながら言う。

彼女が鍵が閉まっているかを確認したガタンという鈍い音に押されるようにして、トリムが歩き出す。

それを追うようにして彼女も駆け足で階段へと向かう。

「それじゃあ行きますかね」

「えぇ」

 二人並び歩く道はいつもとは異なり街の中へと向かわず、黄色に染まった並木道。

行く果て目指す場所はここより西の土地。

ここよりももう少し落ち着いた、言ってしまえば田舎だった。

 歩いてかなりの距離のあるその場所はいわゆる部落の一つであり、彼女達がそこに向かうのは青い瞳の子供誘拐の情報が何か得られるかもしれないと踏んだからであった。

「しかし、普通この距離は馬車とかで行くもんだと思うんだけど?」

「仕方がないじゃないですか。こっちの方には路線自体存在しないんですから」

「はぁ、今や磁線路列車なんてものが走り出そうとしているっていうのに、私達は歩きですか、そうですか」

 彼女は今朝のニュースで流れていた列車のことを引き合いに自分たちの行路の長さを嘆いていた。

あーだこーだ言ってはいるが、こうして軽口を叩けるくらいには体調が快復したのだ。

実際、彼女自身もしばらく家の中にいたことがストレスになっていたようで、今では文句を言いながらもその足取りはとても軽いものだった。

彼女が地面を踏み鳴らすたびに、小さく葉の擦れる音がして、それが小気味良いリズムでフロワにも聞こえていた。

しばらく歩き続けると並木道も終わりを告げ、人の手の行き届かない街縁に辿り着く。

人の生活から解き放たれた野放図な草花があちこちに背を伸ばそうとしてたまに通りかかる人や馬車に踏みつけられて息絶えている姿が散見された。

街灯はまばらになり、歩く道も曇りきった空のような色の石畳から赤銅色の地面に変わっていく。

その地面は先日降り注いだ雨で泥濘んで、轍の跡には水たまりが出来ていた。


彼女たちが時折休憩しながらそんな道を歩いて街に辿り着いた時には既に日は傾き始めていた。

そんな時の流れを表すように、辿り着いた街はどこか寂れた雰囲気を醸し出していて、傍らに生えた葛がここではその生を謳歌し、家を人を呑み込まんとばかりに蔦を伸ばしていた。

ここは時代についていけなかった街ではない。ここは社会に置いていかれた街。禍根の眠る墓地でもあり、今もなお形を変えて残る

うらぶれた怨恨が軒を連ねていた。

 今はまだ人の姿がまばらに見えるが暗くなれば恐らく誰も通りを歩かなくなるだろう。治安が悪いというよりは雰囲気が悪い。暗く染まるその町並みを歩くのは普通の少年少女なら勇気いることだろう。


ここ、デル・フィアファルはかつて宿場街として栄えた場所だった。

 その昔はクレムティスとそれより先に位置ミュスティカイアという都市があった。それも今はクレムティスとの戦争に敗れ、今は見る影もなく衰えていった。

クレムティスがイヴェル・ヴィレンスの影響を受けて発展していくのとは対象的に、その進化がこの土地まで波及することはなかった。

信仰の国として巨大化していったその日陰となったミュスティカイアは再び陽光を浴びることもなく、静かに死に絶えていった。

かつての街には既に誰も住んでおらず、今では街ごと栄光の墓場と化しているような状態だという。

その間に位置していたデル・フィアファルはどうにか持ちこたえているのだろう。


「さて、辿り着いたは良いものの」

「宿はありますかね」

 かつては宿場町だったのだからあってもおかしくはないはずだが、暗くなった今、看板もないこの状態だとどれが宿なのかは判断がつかなかった。

「試しに一軒覗いてみる?」

「とは言っても、民家だったらどうするんですか」

「その時はその時で」

「ちょっと、不安じゃないですか?」

「……まぁ、ね」

 二人とも見ず知らずの土地で辺りを探りまわるなんてことはあまりしたくはない。

二人が右往左往している間も、チラチラと周りを何人かが通るたびに怪訝そうな顔でこちらを見つめては何も言わずに通り過ぎ去っていった。

そんな中、トリムが意を決して適当に選んだ建物に歩み寄っていこうとした時に、後ろから「ちょっと」と声が聞こえた。

その声の方を二人が振り向くと周りをしきりに見回しながらもこちらへ歩み寄ってくる一人の女性がいた。暗くて顔まではよく見えなかったが、その女性は小さな声でこう言った。

「あんたたち、こんなところに何しにきたの」

「ちょっと用事がありまして」

「用事ぃ?あんたたちあの胡散臭い奴らの仲間かい?」

 フロワの答えを訝しむその声は、見えなくとも眉をひそめているであろうということを如実に伝えてきた。

「あー、いや実は少し道に迷ったっていうかね。街が見えたものだから宿がないか探してるのよ」

 間に入ったトリムが努めて明るい口調で彼女からの嫌疑を晴らそうと試みた。

「……まぁ深くは聞かないことにしておくよ。ここいらにいるのは昔からいるやつくらいだ。あまり深入りはせんでな。皆よそ者は好まんから」

「そうでしたか」

「宿ならこの通りをずっと歩いていった先の外れに一軒だけポツリと立っている建物がある。そこが宿だよ」

 そう言うと女性はそそくさと暗闇の中へと消えていった。


言われた通り、ほとんど光のない中を歩いていくと、確かに一軒だけ、外れた場所にここらでは大きめの建物があって、一筋の仄かな明かりが入り口から漏れ出て路地の小石を貫いていた。

「すいませーん……」

「いますかね……」

 恐る恐る彼女達が引き戸を開けると、薄暗い室内の中、寂れた街とは裏腹にやけに小洒落たバーカウンターのようなところで居眠りしている男の姿があった。

白髪交じりの頭をうつらうつらと今にもテーブルに打ち付けそうなくらいに揺れているその身体は見た目より意外にガッシリとした身体つきをしている。

「すいません」

 そんな男に近寄り、テーブルを軽くコツコツとトリムが小突くと、男はそれに反応するように間抜けな声を漏らした後、大あくびをした。

「なんだぁ、お前たちは」

 眠そうな顔をしきりにこすりながら言った男は彼女達の姿を見て眉をひそめた。

 この街は出会う人間すべてそうしなければ気が済まないのかとも思ったがよく考えればまだ二人しか会っていない。ただそれでもここがよそ者を嫌う場所だということは何となく察せられた。

「ここに泊まりたいんだけど」

「泊まるだぁ?そりゃまた珍しいな」

「部屋はあります……か?」

「あぁ、あるよ。今じゃ年がら年中空いてるよ」

「そう、なら良かった。しばらくいられそうね」

「何?しばらく泊まるつもりなのか、見かけによらず好き者だなぁ嬢ちゃん方」

「仕事だからね」

「仕事、ねぇ……」

 何か言いたげな表情を浮かべてはいたものの、男は彼女たちが泊まるのを受け入れた。

久しく使われていなかったのであろう引き出しをぶつくさ文句を言いながら開け、その中に入っていた小さな鍵をテーブルの上に二つ放り投げた。

「あい。部屋はこの上だ」

「あ、一個でいいわ」

「あん?」

「一つのほうが安上がりでしょ」

「そうですね」

「そうかい。こっちとしては全部屋貸し切ってもらった方が嬉しいところ何だがね。まぁ良いさ。じゃこれにしとけ」

 そう言いながら引き出しの中からテーブルの上のものとは異なる形状の鍵を取り出して彼女たちに差し向けた。

「一番でかい部屋だ。その方が狭っ苦しくなくていいだろ」

「ありがとう、助かるわ」

「おう。部屋は上がって突き当りを右に曲がったとこだ」

 そう言うと、男はまたつまらなそうな顔をしながら傍らの椅子に載せていた読みさしの本を読み始めたのであった。

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