第49話 「攻勢」
「……来たか」
フロワを迎えたアルメンの表情はどことなくいつもよりも険しい表情だった。
薄明の時、ミュスティカイアより帰還した
彼女を見据えるアルメンは玉座の前で一人立ち尽くしていた。
彼女も、フロワもお互いがどのような顛末を迎えたのかは知っている。自分を殺した人間の前に立つなど、普通なら有り得ないことだろう。その奇跡を起こした本人はここにはいない。
「……トリムはやはりいないか」
「えぇ」
「報告、だな」
アルメンは玉座に腰掛けると、しばし目を瞑った。いつも通りに振る舞おうとする彼女に合わせて、フロワもいつも通り、これまでの報告を済ませる。
「ミュスティカイアにおいて討伐した天使の死体は確認することが叶いませんでした。戦闘による消耗を考え、一度街に戻ろうとしたところ、仮面の男と対峙、それから―――」
「もういい。そこから先は分かっている。ご苦労だった」
毅然とした態度でアルメンは彼女の報告を受け止めた。そこから彼女たちの間に言葉はなかった。アルメンは何も言わず、フロワも何も言わなかった。彼女は何かを言おうとした。言わなければならないこと、聞かなければならないことを言おうとしたのに、その唇は動かなかった。何を聞けばいいのだろう。なぜ自分を殺したのかと問えばいいか。それで答えが返ってきたとしても、分かるのは理由だけだろう。彼女の根底にある理屈を理解することは叶わない。
二人の間には今までの上下関係だけではなく、明確な疑念が影を引いていた。
「何も聞かないんだな」
「何を聞けばいいんですか」
それがフロワの本音でもあり、これ以上ここにいたくないという気持ちの表れでもあった。彼女の答えを聞いたアルメンも、何を言うべきか迷っているのだろう。
「……では、これで」
「待ってくれ」
フロワがその場を後にしようとしたその時、アルメンがその手を握った。フロワが振り返ると、彼女は自分からそうしたのにも関わらず、自分でも驚いているような顔をしていた。
だが、それは恐怖によるモノだということをフロワは後に知った。
「マスター?」
「お前、その”傷”はどうしたんだ……?」
「傷?なんのことで―――」
「まさかあの時の剣はセラフィムの……!」
「もしや、あの男が私のことを刺した時のですか」
「トリムの時間逆行を退けるほどの力となれば、セラフィムしか考えられん。取り除けないとなると、お前はまた自我を見失う可能性もある」
「また……」
「セラフィムめ、そこまでの力をどこで手に入れたんだ」
アルメンの言葉の端々には焦燥感がにじみ出ていた。
これまでの彼女の推測ではセラフィムは未だ顕現していないか、そこまでの力を有していないという想定だった。”剣”は彼の持つ最高の権能と言ってもいい。それゆえ、それには恢々の魂が必要になる。
「まさか、他の天使の消失は、やつの共食いか……!?」
「では、今までの天使が軒並み姿を消したのも、ゼクスタの天使が既に瀕死だったのもセラフィムがいたからということですか」
「だとしたらまずい、奴は既に―――」
『そこにいたのか、同胞』
地下に轟くような声。その声を聞いたフロワは自らの首に刃物を突きつけられているような感覚に襲われた。既に手中にあると、背中から這い上る悪寒が彼女の精神を逆立てた。
「っ……!」
意識を裏返され、精神を塗抹されるような力が彼女の身体を略奪せしめんとする。
「フロワ!」
「また、奪われる……!」
絶対に入り込めない自我の領域に押し寄せる力。彼女の身体は既にアルメンの制止を振りほどいて地上へと向かおうとしていた。階段を上る足を止めようとしても一歩一歩、着実に外へと進んでいく。
『来い、来い、来い』
声は彼女の身体と心を揺さぶり、自我の境界を融解させる。身体は既に、階段を上り終えようとしていた。
見上げる空にはいつかトリムが閉じた”兆し”が煌然と鎮座していて、それを背にこちらを見つめる仮面の男の姿があった。
「おかえり」
「嫌……!」
身体が前に進む。それを優然と待っている男がその手を伸ばして彼女を連れて行こうとしたその時だった。
「そこまでよ」
男の動作が停止する。首筋には短剣が突きつけられていた。
「トリム……!」
身体は依然として動かなかったものの、彼女の声は自身の輪郭を明瞭にした。
「二度目はない。ここですべて終わらせてもらうわ」
トリムが剣を振り抜こうとした瞬間、男は身体を震わせ始めた。そして絶倒しそうなほどに笑い始めた。
「それはこちらの台詞だよ、トリムちゃん」
「トリム、後ろ!」
「―――!」
彼女の喉元をナイフが掠める。振り返ったトリムが目にしたのは苦悶の表情を見せながらこちらに銃口を向けるフロワの姿だった。
「身体が、勝手に……!」
「くそっ……!」
「トリム!」
階下からアルメンの声が響く。姿は見えないがすぐそこにいるようだった。階段を駆け上がる音がしたが、仮面の男が入り口を塞ぐように立ちはだかった。
「ちょっと待った。部外者は来るんじゃないよっと」
「おのれ、邪魔をするな!」
仮面の男が地下へと消えていく。一方、トリムとフロワはお互いに相手を押し止めていた。フロワにははっきりと意識があるようで、その手に握ったハンドガンのトリガーを引くまいと指が震えていた。
「それ、絶対に引かないでよね」
「分かって、ますけど……!」
徐々にトリガーに人差し指が近づいていく。それを拒もうと懸命に足掻いているが、トリガーへの距離は徐々に縮まっていた。
「くそ、どうするか……」
「トリム、よけて!」
「っ―――」
フロワの姿が一瞬で視界から消えた後、足下を掬われ視界が反転する。地面に倒れ伏した彼女の首めがけて鮮やかな曲線を描いて切っ先が飛来する。首を切り裂かれる直前、トリムとフロワの目が合う。恐怖に歪むフロワとは正反対に、トリムは笑っていた。
「真性の天使の力とやら、見せてよね!」
そう高らかに叫んだ彼女の喉元は切り裂かれることなく、繋がっていた。
ナイフを持ったフロワの身体に光が集う。彼女の身体の震えが止まる。
『貴様ら、貴様ら……!』
『雑魚と侮ったな、セラフィム。お前の落魄の地、暴かせてもらうぞ』
『ついでに、この子も離してもらうかのぉ』
いつかの夢の花園で聞いた声が響く。その言葉の通り、フロワは自身の身体が自分の物へと返ってくるのが分かった。強ばっていた筋肉が緩み、持っていた武器が地面に音を立てて落ちる。
「戻ってきた……!」
「よし、場所は!?
『―――なんと言うことか。この男は』
『アルステマ、人の世の王ではないか!』
「何ですって!?」
彼女の声に共鳴するように、辺りに鐘の音が鳴り響く。そして城の方角から何かが爆発するような音が空気を震わせ、人々の悲鳴が街を埋め尽くした。
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