第10話 「花と少女」(2/2)

 街中を歩いていると、どこからかがなり立てる声が響いてきた。相当興奮しているようで、最初は何を言っているのか内容までは分からなかったが、運の悪いことに帰路を進めば進むほどその内容ははっきりとトリムの耳に届いてきた。

「こんなとこで油売ってねぇで、汚ねぇ靴でも作ってたらどうだ」

「うるさい、お前たちには関係ないだろ」

「関係あるんだわ、毎度あいつとデレデレしやがって、気に食わねぇんだよ」

「あんま舐めた口聞いてっとかたわにしてやるぞお前」

「彼女と会うことの何が悪い!だいたい、よそ者のお前たちが言えた口じゃないだろう!」

「お前は、自分の身分を弁えろよ、畜生の匂いがしてしょうがねぇんだよ」

「貴様!」

「やるか!?」

 

「おーおー、やってるやってる」

 半ば呆れながらも、彼女は足を止めることなく、家に向かう。わざわざ止めにやる理由も義理もない。日も落ちて、路地にはところどころ影が差し込む。

彼らの喧騒も、後少しで意識が離れるその間際に、

「リリーは関係ないだろ!」

聞き馴染みのある言葉が怒鳴り声に重なって聞こえてきた。

 あの男に義理はない。だが、彼女には世話になった。トリムが彼のもとへと歩んでいく理由はそれだけだった。

「ちょっと、あんた」

「あ?なんだお前―――」

 ”まぬけな顔”

回し蹴りが男の顔にクリーンヒットする。でかい図体が壁に叩きつけられ、錆びたパイプが音を立てて地面に落ちていった。

 一言も声を発さず倒れた男の仲間は、飛んできた歯を呆然と眺めていた。

 その間に走って間合いを詰めるが、それに気づいた男が攻撃態勢を取る。

「このっ」

 足元に転がっていたパイプを拾い上げて水平に薙ぎ払ってくる。

そのまま速度を落とさずに、彼女は男の足元脇に滑り込む。足の間を通すように一つのキューブを放り投げる。

彼の胸元の辺りに浮かび上がってきたキュープは小さく音を立てながら次々に形を変え、青白い光を放つ。

「なんだ、こっ」

 後ろから跳ね上がるようにして、気を取られている男の背中を蹴りつける。磁力を武器にした彼女の得意攻撃だった。

顔面からつんのめるように地面に着地した男は小刻みに痙攣しながら、何やら呻いていた。


それを見ていた男が思い出したのように声を上げる。

「すごい……」

「あなた、リリーの友達?」

「え?君、リリーのこと知っているのかい?」

 きょとんとした顔でこちらを見つめてくる青年。その顔はどことなくまだあどけない表情を見せていた。

「花屋の娘でしょ。私、よくそこにいくから知っているのよ」

「そうだったのか……」

「あなた喧嘩っ早そうな見た目してないし、そもそも喧嘩にもなれてなさそうだけど何があったのよ」

「うん、まぁ、色々とね」

「色々、ねぇ。まぁいいけど、彼女には迷惑かけないようにしなさいよ」

「それは、もちろん。ただこれは生まれの問題でね」

「生まれ……、あなたもしかして」

「軽蔑……するかい?」

「さぁ? 私そういうのあんまり興味ないから」

「そうか。うん、それならそれで良いんだけど」

「ま、色々と大変そうなのは知ってるわ。今でもそうなのかは知らないけど」

「今は少しマシになってきたかな、ああいうのもいるけど」

 彼はディラシネだった。いわゆる、被差別者。

大戦前から存在する差別で、その根は奥深くクレムティスの大地と人々に根をはっている。

主に屠殺などの役割を振られ、その生まれを迫害されている彼らは、大戦を経てもなお、このような扱いを受けることがあった。同君連合となり、国のトップが変わった当初こそ、彼らは待遇の改善に期待したが、アルステマは彼らを突き放すこともなく、庇護することもしなかった。

これと言って目立った行動を起こさなかったアルステマに失望した彼らは今もなお、負の遺産に苦しめられているのだった。

「あまり気軽に出歩くなとは言わないけど、少しは気をつけた方が良いと思うわよ」

「そうだね、今回は本当に助かったよ。ありがとう。この恩は必ずいつか返すよ」

「無理に返さなくてもいいわよ」

 そう言って、二人は互いの帰路へと着いた。


「あ、おかえり、なさい」

「何してるの、それ?」

 トリムが家に戻ると、そこには何やらドライバーを握りしめて図面とにらめっこしているフロワの姿があった。

トリムが彼女のそばに寄って見てみると、それはベッドの組み立て説明書だった。

「頼んでおいたのが届いたので」

「いつの間に……。あぁ、もしかして先に行っててくれって言ったあの時?」

「そうです」

「それはわざわざどうも。私も手伝おうか?」

「いえ、一人で出来ますので」

「あ、そう」

 彼女はまた、図面を見ながら、ネジやらなにやらを取り出してはベッドの組み立てを再開した。

「それじゃあこっちもこっちで作りますかね」

 両手に買い物袋を提げながら台所に消えていくトリム。その姿をなんとなく目で追いかけていたフロワは、彼女の裾が汚れていることに気がついた。

「外で遊んできたのですか?」

「なにそれ、どういう意味?」

「いえ、そのズボン」

「ん、あぁ、これね。ちょっと色々あったのよ」

「色々ですか」

 何か聞きたそうな雰囲気を醸し出していたが、トリムがそれを遮るように彼女に言った。

「そう、色々。あ、聞いておきたいんだけど、寝具も買ったのよね」

「買いましたよ」

「良かった、昨日は寒かったからね」

「そうですか?」

 フロワは思い当たる節が全くないようだった。

「あなた本当に暑がりなのね」

「そうですかね」

「まぁ良いわ。寝るまでには組み立て終わりそう?」

「えぇ。もうすぐ終わりますよ」

「良かった。こっちももうすぐ終わるから」

「はい」


 夜も更け、食卓の上に並んだ皿が軒並みキレイになったあと、二人は昨日と同じく、TVを眺めていた。

フロワによって組み立てられたベッドも、寝室へと追いやられて、今はリビングから姿を消している。

トリムは、何もなかったテレビ台の近くに、いつの間にか花瓶が置いてあったことに気がついた。

「買ってきたの?あの花」

「えぇ、まぁ」

 聞かれた彼女はなぜか少し恥ずかしそうにしながら事の経緯を話してくれた。

「そう、あの娘のところに行ったのね」

「お知り合いなんですか?」

「知り合いっていうよりは、恩人の一人ね。ここらで職を探してたときに、伝を紹介してくれたのよ」

「そうだったんですか」

 フロワはピンク色の花を見惚れるように眺めていた。

「アルストロメリア、気に入ったの?」

「よくご存知ですね」

「これでも一応その筋の人間だからね」

「そう言えばそうでしたね」

「そうよ、無職じゃないのよ私は」

 トリムはフロワに倣うようにアルストロメリアを見つめていたが、あることに気がついた。

「これはスポットレスのやつね」

「スポットレスというのは?」

「原種は花弁、正確に言うなら花被片に斑点があるのよ。でもこれはそれがないタイプ。色もたくさん種類あってキレイよね」

「もともとはこういう品種ではなかったんですね」

「交配の突然変異でこうなったらしいけど。まぁ、普通の花びらよりは長持ちするから」

「そうですね、確かにそう言っていました」

「スポットレスタイプって本当に色々種類があって、確か花被片が全く無いのもあるのよ」

「花がないってことですか?」

「包葉って言って、芽とか蕾ごと葉が覆っちゃうのがあってね。見た目はなんか、痩せ細ったブロッコリーみたいな感じなの」

「痩せ細ったブロッコリー……」

「そう」

「なんか……」

 フロワの顔が徐々に曇っていく。まるで真実を知ってしまった少女のような表情をしながら、彼女はしばらくアルストロメリアを見つめていた。

「なんか、悪いことをした気持ちになってきた」

 トリムはどことなく自分の表現で招いた結果に申し訳なさを感じながらも、いそいそとリビングから退散していった。

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