第7話 「はじまりの夏」(2/2)
「意外ですね」
「何が?」
「こうしてお互い、素直に同じテーブルを囲んで食事をしていることです」
「なんで?」
トリムの質問も、フロワにとっては予想していなかった反応だった。彼女は少し言いづらそうにしながらも、静かに自らの疑問を話し始めた。
「その、私はあなたの嫌っている人の―――、母親の味方なんですよ?」
「今はもう、私もその味方よ。不本意ではあるけれど」
「でも、殺そうとしたことには変わりないでしょう? その味方となれば普通は―――」
「―――まぁ、十中八九殺しにかかるわね」
トリムはTVを流し見しながらも箸を休めず、事もなげにそう答えた。それが余計にフロワを困惑させた。事前に、彼女のことはアルメンから聞いていた。自分のことを殺そうとするだろうと話していたアルメンの推測は的中し、今目の前にいるトリムはアルメンが「母親だ」と一言呟いただけで彼女に本気で殺しにかかった。 二度目に斬りかかった時、フロワは彼女の殺意をその身で感じた。
彼女自身が言う通り、強制的にこちらの味方になったものの、今やろうと思えば彼女はフロワを簡単に殺すことができる。アルメンが施した制約は”アルメンに対しては権能を使用できない”というもの。つまり、フロワに対しては権能を行使できる。
トリムがここでフロワを殺しておけば、のちにアルメンを殺す確率は言うまでもなく上昇する。それはトリム自身も理解していることだ。だが、理解していても彼女はそれをせずに、「冷食もなかなか馬鹿にできないかも……」などと感想を呟いている。
アルメンがトリムとフロワを同居させたのは彼女たちがこれからはパートナーを組んで、天使と戦うことになるということだけではない。その裏にはトリムを監視させるということも含んでいる。
「あのさ」
「えっ、あ……」
眼の前にいる彼女の思惑を推し量ろうと思考に埋没していたフロワは、突然彼女が話しかけてきたことに少し驚いた。
「色々考えてるみたいだけど、ただ諦めただけだから」
そう言った彼女は、少し小さなため息をついたあと、自分のことを嘲るような態度で再び口を開いた。その時の彼女の視線はどことなく、どこか遠くを眺めているようであった。
「やっぱり、本当のことを言うとね、私はあの時、殺すべきか迷っちゃったの」
「それは、……本当に母親かどうか分からないから、とか?」
「いや、そうじゃない。あれは絶対に私の母親よ」
「どうして分かるのですか」
「直感っていうのもあるけど、コレが反応したから」
そう言って彼女が首元から取り出したのは、青く輝くネックレスだった。まるで吊られている宝石を、周りの銀鉄が閉じ込めているかのようなデザインのそれを、彼女はフロワに手渡した。受け取った宝石越しの手のひらに、ほのかな彼女の熱を感じる。
「それ、子供の頃にもらったの。育ての親からね」
「育ての親……」
「やさしい人だった。その人は神父でね。7つの誕生日のときにそれをくれた。母親を探すときにきっと役に立つだろうって。今まで何にも反応がなかったものだから、お守りかと思ってたんだけど、どうやら本物だったみたい。アルメンの前に連れられてきたとき、それが熱を帯びているのを感じた」
彼女の視線は、フロワではなく、宝石に注がれている。
フロワは宝石を照明にかざしてみた。どこまでも青い、空のような広がりが、深奥へと続いているような感覚が彼女の身体を包んだ。
「それから、眼の前で母親だって言われた時、かっと、熱くなったの。自分の身体も、そのネックレスも。まるで、彼女の一言一言に反応するみたいに、どんどんと熱を持っていった」
「だから本物の母親だと……。はい、これ」
「ん、ありがとう」
フロワからネックレスを渡されると、彼女は再びそれを身に着け、服の内へとしまい込んだ。
フロワはそれを見て、彼女に問うた。
「なぜ、母親を憎んでいるのですか」
トリムは彼女の質問を受けて、わずかに思索した後、鷹揚に頷いた。まるで、自分で自分の答えを確認しているかのように、フロワには見えた。ややあって、トリムは静かに自らの思いの丈を話し始めた。
「優しい言い方をするのなら、私を捨てたから」
そう言ったあと、より感情を込めて一言呟いた。
「率直に言うのなら、育ての親を殺したから」
おそらく、その言葉には怒りが込められていただろう。だが、今の言葉を発した彼女の表情には、少しだけ迷っているような、複雑な心持が垣間見えた。
フロワは何も言わなかった。そうしなくても、彼女が続きを話すだろうと、何となくそう思っていた。
「アルメンに会うまではそうだった。けど、私が拘束の呪印を受けたあの時、少しだけ彼女の記憶が流れてきたの」
「記憶が……?」
「うん。何でかは分からない。でも、私達は普通じゃないし、もしかしたらそんなこともあるのかもしれない。それで、その記憶では、アルメンが泣いていたの。私の育ての親、コルドの墓の前で」
彼女のは無意識に、自分の胸元に手を当てていた。宝石に、今もなお、自分の気持ちを確かめてもらっているかのように。
「それで分からなくなった。コルドを殺したアイツは、お前の母親のからの命令だと言っていた。でもそれだと辻褄が合わないの。自分で殺せと言っておいて、わざわざ墓の前で泣くなんて、意味が分からないでしょ?」
「本人に確かめてみればいいのでは?」
「そうね……。でも、それはちょっと怖い……かな」
「本当のことを知ることが怖いのですか?」
「ううん、なんていうか、これまでずっと母親を殺すことを目的に生きてきたから、それが急になくなると、なんというか」
語れば語るほど、彼女の心の柱は軋み、ひび割れていく。あの日から十年が経った。ずっと、彼女のせいだと思い続けていた。でもそれは今にして思えば、何一つとして根拠のないものだった。あまりにも虚ろな石橋は、叩いて渡るには脆すぎた。
今、彼女の胸に去来しているのは困惑。そして怒りが去った後、空いた穴を埋めたのは何かを失ったという喪失感だった。
「さっき、あなたが言った言葉」
トリムはフロワのことを見つめている。その瞳は少し物憂げな色を帯びている。
「なぜ憎んでいるのか、そう聞かれたとき、ハッとしたの。そういえば、どうしてなんだろうって。もしかしたら、この時代に生きてきたからっていうのも大きかったのかもしれない。特に、イヴェル・ヴィレンスが戦争に勝って、アルステマが王になった後。世間が天使を憎むのが当然になっていった時ね。一度だけ、権能を使ったのよ。浅はかだった。当然、それを見た人々は私に対して思いつく限りの罵倒を浴びせかけてきた。まぁ、今思えば、それだけで済んで良かったとも思うけど」
その言葉にはこれまでに彼女が背負ってきたであろう苦難の影があった。
でも、それならなぜ。そう、フロワは問いたかった。それだけのことをされて、傷つくとわかっていて、何故あの時も―――
「あの時、モールストリートの空に”兆し”が現れた時、なぜそれを直したんですか? また、同じような目にあうかもしれないのに」
それを聞いたトリムは、今までとは異なり、少し警戒するような表情を見せた。「正直なところ、自分でもよく分からなかった。けど、あれは何かまずい気がしたのよ」
「まずい……? 話を聞く限り、”兆し”と出会ったのは初めてではないですよね? あれの対処法も分かっているようですし」
「うん、これまでに何度か見たことはあった。けど、あれはおかしかった」
「それはどういう……」
「あの”兆し”、最初から閉じ始めていたのよ」
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