第6話 「はじまりの夏」(1/2)
「あ……」
「……?」
先行していたフロワが何かを思い出したように、突然立ち止まった。不意に溢れた声を取り消すように咳払いをしたのち、彼女は
「少し用事を思い出しました。先に行っていてください」
とだけ言って、トリムに鍵だけを渡してさっさと何処かへ行ってしまった。
「先に行って、と言われてもねぇ」
自分の家に勝手に入られることに対して彼女は何とも思わないらしい。トリムを居候させる時も対して反対することなく、素直に以前からアルメンにより取り決められていた行動をしているかのようでもあった。愚かなのか、はたまたそれだけの信頼をアルメンに寄せているのか。トリムは少し、彼女に対して感情的な思いを抱き、それと同時に感傷的な思いに追いかけられていた。
日が沈みゆく道を歩き、トリムがフロワの家に迷いながらも辿り着いた頃にはすっかり影が街を暗く染め上げていた。
辺りにはアパート、その他一軒家が数十件。彼女の住まいは特にこれと言った特徴のない、それこそ十分に日常と呼ぶにふさわしい景観の中にあった。
彼女から渡された鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。結局、彼女とはトリムが家にたどり着くまでに合流することはなかった。
「まぁ、先に行っててと言われてるし、入るか……」
最初は少し躊躇したものの、彼女の部屋の有り様を見て、トリムはすぐに納得した。
「なるほど、これは家というよりは、ただの寝床ね」
1LDKの部屋に置かれているのはひとつのベッドにソファ。テーブル。それだけだった。加えて使われているのか分からない小さなテレビが一つ。小物らしい小物は見当たらず、キッチンに関してはほとんど使われている気配がない。かろうじて、というか電子レンジは頻繁に使われているようで、レンジの蓋には少々の汚れがこびりついていた。他には電気ケトルが乱雑に置かれており、中にはまだ少しだけ冷めきった水が残っていた。
「料理できないのは本当みたいね」
冷蔵庫を開けると中には出来合いのものが多数と、冷凍室には様々な冷凍食品が所狭しとダース単位で入っていた。彼女の食生活の無頓着さに半ば呆れながら顔を上げたトリムは、彼女はキッチンから部屋の全景を観察する。
シミひとつない白い壁紙に、白い家具。窓際の近くにはひっそりと自動掃除機がこの部屋の主の帰りを待っていた。人気がない。生命力がない。この部屋からはそんな印象を受けた。
「戻りました」
トリムが水を沸かし、インスタントコーヒーを飲みながらTVを見始めてから30分程経ったころ、彼女がようやく戻ってきた。
「ずいぶん遅かったじゃない」
「……、えぇ」
私の姿を見た彼女はただそれだけ答えると、スーツを脱ぎ始めた。同じ女同士とはいえ、もう少し恥じらいというものがあってもいい気がするのだが、この部屋などを見ると、彼女は元来そういう人間なのかもしれないとトリムは思い始めていた。
洗濯かごの中身を洗濯機の中にぶち込む音がした後、彼女は何食わぬ顔でリビングへと戻ってきた。それから口を開くやいなや
「お腹が空きました」
と、訴えてきた。
「そう」
「あなたの役目です」
少し不機嫌そうなフロワの声に思いがけずTVから視線を離す。彼女はじっと、トリムの顔を見つめていた。トリムはその顔を見て彼女が戻った時のぶっきらぼうな態度に得心した。彼女は家に戻ったときには既にトリムが晩御飯を作り終えていると思っていたのだろう。だから、私がリビングでTVを見ている様子を見た彼女は顔をしかめたのだ。だが、これにはトリムにも言い分があった。
「だって冷蔵庫の中に食材が無いじゃない。あれでどうやって作るっていうのよ」
「でも」
「調味料すらないし。冷凍食品をごたまぜにした奴でもいいなら作るけど?」
「む……」
トリムの言ったことも最もだと彼女は理解したようだが、それでも少しむくれていた。そんな彼女の様子を見てトリムは意外な心境だった。
"てっきり何事にも無関心な方だと思ってたんだけど、そうでもなさそうね"
人形のような人間でないのは好ましい。今日、フロワが先ほどの会話から想像していたであろう豪勢な食事を出すことは出来ないが、明日からはそれなりのものを出してやろうと、密かにトリムは思った。
「とりあえず、今日は冷食で」
「そうですね」
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