第5話 「天使なるもの」(甲)
そもそも。"天使"とは一体何なのか。
旧い世界においては、神と人間の狭間に位置すると言われた存在。霊的な被造物である彼らは神の理の裡に在り、肉体なき精神としているであろうとされた。それが人界に降りる際、肉を纏ってやってきた、ないしそうであると想像して出来たのが天使の羽と頭上の輪。多くの人が天使と聞けばそれをイメージした。その姿で人々の前に現れて、神からの啓示を与える。
だが、その役割は彼らの存在理由のほんの一端に過ぎない。彼らが存在するのはひとえに、神と人とを繋ぐため。
人は獣ではない。では、人は神であろうか。無論、そうではない。人は人でしかない。人は"時"や"空"の輪郭をなぞり、時間や空間を作った。自分たちさえも、獣ではないと、積み上げた歴史の上から叫んだ。我々は、"人間"だと。この星において、何者よりも聡明であり、誇り高き理性を有すると。だがそれでも、神と人の間には絶対に埋められない壁が存在した。どうあっても、その輪郭は鴻大で人の指でなぞろうとすれば摩耗しきってしまう。では、神を超えられるかと言われればそうではない。だからこそ、神と人のとの間に天使が存在するのだと。
「旧く、聡い人間はそういったそうだな」
アルメンは、かつての天使の在り方に思いを馳せていた。不思議とそこには、郷愁の念のようなものが感じられた。
「それで、その話がどうつながるの?いまや天使は皆から忌み嫌われる存在。かつての在り様なんて誰にとってもどうでもいいことでしょう?」
「分からないか。かつての天使はそうであるように設定されていた存在だ。それが、たかだか人間の妄想程度で性質が変化するとでも思うか。天使は神の被造物だ。人もそうだと言えるが、より神に近い彼らは、神の理によって在る。人はそこから離れ、人としての理を築き上げてきた。信仰の有無は、人々の認識の濃淡でしかない」
「じゃあ、何で災厄なんて呼ばれるようになったのよ。天使って善性の存在だったんでしょ?それが人が変わったように悪事を成し始めるって、まるで神が人を滅ぼそうとしてるみたいじゃない?」
アルメンが笑みを浮かべる。
「なかなか鋭い。そうだ、今の天使は、かつての天使ではない。旧い天使達は既に死んだ。代わりにいる今の天使は偽物、侵襲者だ」
「死んだって、天使って死ぬの?」
「まぁ、死ぬというよりは、システムから除外されたとても言ったほうが正しいのかもしれないが。そこはどうでもいい。問題は外から来た天使達のことだ。フロワ、あの写真を」
アルメンの指示を受け、彼女が私に差し出したのは、つい先刻、モールストリートの空に現れた亀裂の写真だった。
「それは"兆し"。空が裂けた時、そこには天使が顕れる。お前が消したのもそれだ」
「でも、天使なんていなかったけど」
「兆しが出現してからすぐに、お前が消したからな。こちらに顕れる前に、道が閉ざされたのだろう。今回こそ、こうしてすぐに対処できたが、兆しはいつどこで発生するのか検知することが出来ない。ここから先、九分九厘、天使は顕れる。そうなれば災厄を振りまくだろう」
「なるほど、つまりは私はそこに行って天使を退治するための駒っていうわけね」
「そういうことだ」
「最低ね。自分でやれないの?娘にこんなことしておいて」
「親の首を刎ねようとした娘には言われたくない。だが、自分でやれないのは事実だ。私にはその力がない。天使を打倒するほどの力を有していないのだ」
「本当かしら」
「本当だとも。私はお前への抑制力以外には何も力を持ち合わせていない。だからこそ、フロワをボディーガードとして付き添わせている」
アルメンの側にいるフロワは微動だにしない。まるで彼女が操っている傀儡のような立ち居振る舞いだった。トリムは内心、そんな彼女に対して自分でも理由のわからない苛立ちを覚えていた。
「……そう。それで、これから私はどうすればいいの」
「兆しが現れたらすぐに呼び寄せる。すぐに対処に当たってくれればいい」
「それまでは?」
「好きにしているが良い」
「そう。でも悪いんだけど私、アレのせいで働くところなくなったの、養ってくれない?」
アルメンはほくそ笑むと、フロワに視線をやった。フロワはそれを受けて懐から何かを取り出すと、トリムの方へと放り投げた。
「なにこれ」
「私の家の鍵です」
「は?あんたと同棲するっていうの?」
「居候のくせに図々しいですね。別にベランダで寝てもらっても構わないんですよ、私は」
「お前に新しく部屋を与えてやれるほどの資金はない。これからしばらくは彼女と仲良くやってくれ」
トリムとフロワのやり取りを興味深そうに見つめていたアルメンが、演技ぶった言い方をしてくる。
「……はぁ、わかった。じゃ、しばらくよろしく」
「えぇ。先に言っておきますが、私は料理が出来ないのでよろしくおねがいします」
「えぇ? 私が食事当番なの?」
「良いでしょう、居候なのですし」
「分かった、分かったわよ、もう」
こうして、私とフロワの共同生活が始まった。
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