第37話 「赤の叫び」

 街の雑踏を貫く人々の行列。

パレードのような喧騒はその実怒りに震えていて、それを見守る見物客は誰もが我関せずといった様相。

この日、アルステマ城前に集った人々は約百人。彼らは城門の前で高らかに宣言する。

「我々に平等を!」

「ディラシネに自由を!」

「カエノメレスに幸運を!」

 人それぞれの理由を胸に集った人々の咆哮は城をも揺るがすような大音量で辺りに響き渡った。


 店を開け、花々を店先に展示していくリリーも、街の異様な雰囲気にすぐに気がついた。

大通りの方から聞こえる声は普段のように活気溢れる商いの声ではなく、自らの不遇を訴える怒号と悲鳴。それを白眼視する人々のため息にも似たささやき声が辺りに充満して彼らの怒りと飽和している。

「リリーちゃん、今日はあまり表通りに出ないほうが良いよ」

 通りがかった女性に声をかけられる。

「何かあったんですか……?」

「ディラシネが久しぶりにアルステマ王にデモを起こすみたい」

「え―――」

 彼女の脳裏に過るあの日の応報。花々がいつもよりもその鮮やかさを失って、空は厚い雲に覆われ、店先ではアドニスと父がいがみ合っていた。

あの日以来、アドニスは店に顔を見せていない。父も同じでリリーに会いに来ることもなければ何も言ってこなかった。

アドニスはデモに参加するのだろうか。

 今までディラシネが何もしてこなかった訳ではない。かつては度々デモ活動が行われたそうだが、アルステマ王にその声は届かなかった。

相手にされなかった彼らの方も諦めたのか近年は大人しくしていたのだが、再び根付いた確執が怒りを呼び醒ましたようだった。

彼女は大通りと店先のひび割れた道路を視界に入れないように背を向けて、並べた花の手入れをし始める。喧騒など聞こえない。そう思い込んで花がらを摘み取る。

「でも前までとは違って妙な格好した連中が混ざってるのよねぇ」

 自分に聞こえるように言っているのか、独り言か。どちらにせよ、自分には何も出来ないし、何もしないとそう心の中で呟いた。呟いた心は少し痛かった。

無心を装って花に水を上げていたつもりだった彼女は、土が吸収しきれずに吐き出し、水溜まりになった鉢植えを見て慌ててジョウロの口を上げる。

「やっちゃった……」

 受け皿に溜まっていく水が思ったよりも少ないのを見て彼女は水はけ用の穴が伸びすぎた根で塞がれていることに気がついた。

”―――苦しい”

そう呟いた彼の顔が目に浮かぶ。握られた拳の強張りが解けることはなく、父の彼に対する憎悪は消えることはなかった。

彼は何もしてない。彼が生まれた場所が、彼の属していた社会が為に謂れのない罵倒を投げつけられた彼はただ一言、自身の置かれた立場に苦しみ悶えた。


 ハサミを持ち出した彼女は鉢植えを持ち上げて、穴を塞いでいる根を切り落とす。

根腐れは水のやりすぎで根が腐るのではなく、土中の酸素が少なくなって起こるもの。水はけと水を与える量に注意すれば起こりえないものだ。

根を切り落とした彼女は受け皿に溜まりすぎた水を捨て、再び鉢植えをその上に置いた。

 店先の花の手入れを終えた彼女が奥へと戻ろうとすると、不意に肩を叩かれた。

「ねぇ、リリーちゃん、あの人の服に書いてあるの、なんて花か分かる?」

「はい?」

 先ほどの女性が指差す方向にはまばらに城の方へと歩いていく人々を追い立てるように手を広げ鷹揚に歩く男の姿があった。

「あの服の肩の部分、見える?」

「うーん……」

 流石に店先からでは距離があって判別することが出来ない。

ホースに足を引っ掛けそうになりながら表通りの方へ歩み寄ったリリーは、その男の後ろ姿、肩に垂れかかるように咲く赤い花を見た。

「アレは……」

「どう?」

 後ろから追いかけてきた女性が傍らから顔を覗かせる。

「多分、ボケだと思うけど……」

「ボケ?悪口?」

「い違いますよ。低木で庭先なんかに植えられるやつです」

「へぇ」

「花が終わると五センチくらいの果実をが出来るんですけど、それで作った果実酒は疲労回復に良いとかなんとか」

「あら、それは良いわね」

 おほほ、と笑う女性を尻目に彼女はその男の姿を見つめていた。

 今まであんな格好をした人は見たことがなかった。ディラシネのデモも一度見たことがあったがその時にもあの姿はなかった。

「アドニス……」

 今彼は何処で何を思っているのだろう。感傷は雑音に消え、人々の目を引く赤い花は遠く街の彼方へと去っていった。

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