第18話 「生命の糧」
「山が近くなってきたわね」
「えぇ。もうそろそろ、街が見えてくるはずです」
「残ってれば良いけど」
「……はい」
二人は昏い森を走り続ける。陽が傾いてきた空が溶け合うように刻一刻と姿を変えていく。
「……?」
トリムがふと目にした植物に違和感を覚える。
そこだけ、放牧地に生えているような若緑の牧草がシラカシ実生に押しやられていた。レイヤーを無理やり上書きしたような感じ、と言った方が適しているかもしれない。
森林の形成において、一年草などが生えるのは一番最初のシーケンスであることが多い。
だが、見たところこの森林の植生は群落も安定して極相林になっているように見える。
「珍しい……、というかおかしい?」
「何がですか?」
先行してたフロワが少し速度を緩める。ここまで走り通しでもなお、息が上がっていない辺り、彼女の基礎体力は相当なもののようだ。それとは反対に、トリムはそこまで体力に自身がないので、度々「飛んじゃおうかな」
と呟くと、フロワが無言でこちらを見つめて来た。
そんな中、少し速度を落としたトリムが気づいたのは森が完璧すぎるという点だった。
「極相林になるまでは相当な年月をかけないといけないの」
「はぁ、それが?」
「そこまでの間に何かしらの要因で樹が倒れることがあるのよ、強風とかでね。そうなると、倒木で一部が開けたりすることがあるの」
「薙ぎ倒されたりっていうことですね」
「そう、ギャップとも言うけどそれが見た感じここまでまったくなかった。それにどれも同じ時間で止まってるみたいな感じなのも気になる」
「……よく分からないですけど、街が見えてきました」
子供が走り回っている。母親らしき女性がそれを見つめている。
街の姿は健在であり、天使顕現の影響は微塵も感じさせない。
荷馬車に木箱を詰め込む男や、洗濯物を干している女。買い物をしている主婦に、路端で寝転がっている貧相な男。
街は人々で溢れかえっていた。だが、そこに活力はなかった。誰もが虚ろな目をしていて、誰もがその生に意味を見出していないかのように朧気に存在していた。
トリムたちは街に辿り着いたものの、その違和に、寒気立った。
彼女たちは自ずと臨戦態勢を取る。そこに際立った異常はない。だが、 そこには人々の姿があっても人々の声というものが全く聞こえなかった。
街の中とは思えないほどの静けさの中、森の方からも鳥の鳴き声一つしない。全くの無音。
聞こえてくるのは、少女達の息遣いのみ。
”天使はどこに―――”
辺りを見回しても”兆し”の姿はない。
「トリム、あれを」
「……?」
彼女が指差した先、十人ほどの子供達が輪になって踊っている。ただ、それも笑い声一つあげず、ただ淡々と与えられた役割をこなしているかのような、人形のような踊りだった。
トリムは彼らの足元に羽が散っているのを見た。加えて、その羽が広まった血で赤く染まっているというのも、彼女はしっかり確認していた。
血溜まりの周りで踊る彼ら。その中心にいたのは、身体中から血を流している有翼の天使だった。
「これは……」
「気をつけて、罠かもしれない」
そうは言ったものの、トリムもその姿に生命力はもう殆ど残っていないように感じていた。
身体のあちこちに裂傷があり、右手は刎ね飛ばされている。左肩は潰れ、腹部も大きく抉られていた。
”―――戦った末にこうなった?”
折れた翼を浅い呼吸に合わせて上下に動かしている天使はとっくのとうに彼女達のことに気がついてはいるが、動けないのか何かをする素振りを見せなかった。
「一体何が……。辺りに戦闘した形跡もありませんし、そもそもここに来るまでにそのような音も聞こえなかった」
「……」
トリムが翠色の揺らめく長剣を構えながら、天使へと近づいていく。周りで踊っている子供たちは彼女の姿が見えていないようにずっと踊り続けていたが、彼女がその輪に足を踏み入れた瞬間に、つないでいた手を放し、四方へ歩いていくとまた別の役割を与えられたかのように振舞い始めた。
リンゴを齧る子供。
追いかけっこをして、転んで泣く子供。
喧嘩をする子供。
自分の腕にナイフを刺す子供。
「……楽で助かったわ」
トリムが天使の首元に長剣をあてがってもなお、微動だにすることなく、天使はただ彼女の青い瞳を見つめていた。
彼女は何も言わず、その腕を振り上げる。
その時、天使の口から空気が漏れ出るように、言葉が吐き出された。
「―――私達は、何だ」
「……!」
振り下ろされた長剣は、天使の首を刎ね飛ばした。宙空へ舞う首が、血溜まりに落ちていくその最中。トリムと目があった天使の口が再び開かれる。
「―――お前は、何者だ」
「っ」
彼女は槍を構えると、落ちた頭部に槍を突き立てた。その口は二度と開かれること無く、遺骸は静かに血を流しながら横たえた。
彼女が槍を突き立てたその瞬間、この街の景色が凍結した。
一陣の風がフロワの髪を撫ぜていく。すべての動作が停止して、淡い輪郭から徐々に風景が崩れ去っていく。
その崩壊は森にまで燃え移り、辺りは一面、瓦礫の山と化した街の中には、一人の少女が淡く揺らめく翠色の槍を携えて佇んでいた。
―――天使討伐は成った。
トリムの足元に転がっていた結晶のようなものが血溜まりの中で音を立てて砕け散る。その破片が辺りに漂い、そして再び、彼女の目前の一点に集結していく。
「……何のよ、一体」
彼女がそれに触れようとすると、集った破片が鳴動し、小さな塊となって、彼女の手のひらに収まった。
街は消え、森もともにその姿を消した。おそらくは、あの天使が作り上げた世界だったのだろう。
辺りは一面、乾いた砂が広がっており、所々にイタドリが生えていた。
トリムの足元には、その末端から枯れた緑の中心に、小さく芽吹いた新しい生命が、イタドリの生命を糧にして育ちゆこうとしていた。
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