第17話 「落葉に消える」

 木漏れ日の中、落ち葉を踏み鳴らしながら歩く、一人の少女がいた。

 空を見上げた彼女は、その木々の間隙からの日差しに目を細め、嬉しそうに手をかざす。

あぁ、空が遠い。

あぁ、空気が澄んでいる。

あぁ、私はとても自由だと。

家からほど近い場所であるここは彼女のお気に入りだった。

小さな頃からここにやってきて、落ち葉を踏み分け、地面に転がるどんぐりを拾い集めたり、思ったよりも陽が早く落ちて、真っ暗の道を一人泣きながら歩いたこと。色々な思い出がこの道に落葉となって落ちていた。

「おーい、ご飯だよー」

 背後から声が聞こえてくる。その声はとても優しくて、私をいつも守ってくれるもの。

 いつまでも一緒に居たかったもの。


 ご飯を食べ終えた私は、いつものように、絵本を読み聞かせて欲しいとねだる。

「仕方がないなぁ」

 そう言いながら、その声には嫌悪感など微塵もなく、その顔には微笑みを湛えていた。

 語り始めるその物語を私はとっくに知っている。最初から最後まで、話してくれたとおりに私も諳んじることが出来るだろう。

それでもそれをねだったのは、いつも物語の最後に優しく笑って、頭を撫でてくれるからだった。


「私はどこから来たの?」

 その質問をするといつも困った表情を浮かべて、たっぷり考えるふりをしてからこう答える。

「空から。君は空から飛んできたんだよ」

 眠気眼をこすりながら、私はまた昨日と同じことを聞く。

「お母さんとお父さんは?」

 それを言うたびに、苦笑いを浮かべながら

「今は少し遠くに行っているんだ」

と答えていたのに、その日だけは少し悲しそうな表情を浮かべながら

「……寂しいかい?」

そう呟いた。

 私は今までその人のそんな表情を見たことがなかったものだから、思わず不安と後悔の念が心の中で育っていくのを感じた。

「ううん」

 ふわふわと眠気に包まれていた頭が、少し覚める。

「ごめんな」

 その言葉は今まで話してくれたどの物語よりも悲しそうで、どこかに行ってしまいそうな言葉だった。

その不安を糧にして、私の中の思いはどんどんと大きく、あの落葉の道の大樹のように育っていく。

「ごめんなさい」

 私は謝っていた。

「どうして、どうして謝るんだい?」

 私はとにもかくにも悲しくて、怖くて、不安で堪らなくなって謝っていた。

”そんな顔をさせたくてこんなことを言った訳じゃない”

そう思うのと同時に、それに反比例する本当に不思議と思っている自分を見て、その人に悪いことをしていると思った私は声を上げて泣きじゃくった。

「大丈夫、大丈夫だから」

 その人は、泣き喚く私をそっと抱きしめた。

「君のせいじゃないよ」

私が泣きつかれて眠るまでずっと側にいてくれた。

「怖くないよ」

「安心していいんだよ」

「絶対に、どこにも行かないよ」


 そう言ったその人が、どこからかやってきた有翼の天使に殺されたのはそれから七年経った夜のことだった。


「お前のせいだ」

「……逃げろ」

「なんで、なんで」

「お前は何者だ」

 その人と同じように言葉を話しているのに、その有翼の天使の言葉はこの心を貫かんばかりに冷たい。

「知らない、そんなの、知らない……!」

 目の縁から涙が溢れる。

そんなことを言われても私には分からない。

「早く、逃げろ……」

「これはお前のせいだ」

「あぁ、あああ……」

 力が入らずに、膝から崩れ落ちそうになる。

その人の胸に穴が空いているのは、私のせい?

その人の口から紅葉みたいに真っ赤な血が溢れているのは、私のせい?

私のせい?私のせい。私のせい。私があんなことをしてしまったから。そうだ。ぜったいに、そうだ。

「ごめんなさい」

 私は謝っていた。私は謝ることしか出来なかった。

「ごめんなさい、ごめんなさ―――」

 ふいに、肩を掴まれた。驚いて顔をあげると、そこには血まみれのその人がいた。苦しそうにしながら、その人は私の前にやってきた。

「―――大丈夫だよ」

 あの夜みたいに、私のことを抱きしめて、あの夜みたいな優しい言葉を浅い呼吸と共に吐き出していく。

「君のせいじゃないよ」

 そう言ってから、私の固く恐怖で握り締められた手に触れる。砕けなかった氷が融けるように私の手は静かに広げられる。

「ずっと、一緒にいるから」

 そう言って、私の震える手のひらに、小さなネックレスを乗せたその人は、最後の気力を振り絞るように立ち上がって、私に叫ぶ。

「行け、行け―――!」

 

そこからの記憶は朧気だ。

空は高く、願いを叫ぶには星はあまりにも遠い。

 落葉を踏み鳴らし、涙を流しながら走る。 落ちた生命は次の生命の養分になるんだと、枯葉を拾い上げて教えてくれたのはその人だった。

足を撃たれて動けなくなり、餓死した狐を見つけた時に誰しもが生きる意味があるけれど、誰もがそれを奪うことも出来るのだと教えてくれたのはその人だった。


どうしてこんなことになった?


どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの?


そもそも、あの惨憺たる光景を踏み越えて

「どうして、私は生きてるの―――?」


 叫び声は辺りに木霊して、反響して、希釈していって、私の意識は暗い眠りの森へと消えていった。

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