第43話 「フロワの見た過去」(2/2)

「うぅ……」

 腕を動かそうとすると何かが身体の上に降ってきた。目を覚ましたコヤニは自身が瓦礫に半分埋もれている状態だということを確認した。

「痛むな……」

 幸い、そこまでの重いものではなかったため、手足が潰れているということはなかったが、上半身を動かそうとすると胸の辺りに痛みが走った。

瓦礫の中から這い出たコヤニを待ち構えていたのは異様なほどの静けさと穴の空いた天井から射す月の光だけだった。

「バーベナめ、やってくれたな」

 呼吸をする度に胸が痛む。肋骨が折れているのかどうかは分からなかったが、突き飛ばされた時に怪我をしたらしかった。

一歩踏み出して感じた靴の中の違和感を地面に落とすと、彼は部屋の外へと向かった。

工場は完全に沈黙状態にあり、照明は一つもついていない。あちらこちらの壁や天井に風穴が空いていて隙間風と呼ぶには相応しくない強さの風が塵を吹き飛ばした。

半壊したドアを開いて他の部屋を覗く。中には誰もおらず、砕けた机が辺りに散らばっていた。

そこからいくつかの部屋を見て回ったがどこにも人は見当たらなかった。

コヤニは自分がバーベナの部屋へ赴いた時のことを思い起こした。

昼休みがもうすぐ終わろうとしていた時間だったことを考えると、食堂にまだ人は残っていただろう。食べ終えた人間はそれぞれの部署へと戻っていったはずだ。

「……戻ってみるか」

 咳き込むと、喉の奥からほのかに血の匂いがした。薄暗い月明かりを頼りに進んでいく。

食堂に辿り着く前に、彼は目的地が跡形も無くなっていることをその眼で認めた。

机や椅子、厨房すらも無くなっている。初めからこの場には何一つとして存在しなかったかのようにまっさらになっていて、かろうじて残っている壁の人工的な断面の鮮やかさが、まるで食堂周辺の空間が切り取られているかのように見せる。

だが、コヤニがそれを見たのはここへ来てから少し経ってからのことで、彼がここに訪れた時、真っ先に目に入ったのは中央に落ちていた赤い斑点が混ざっている白いキューブのようなものだった。コヤニはそれを見て、バーベナがあれを使ったのだとすぐに気がついた。

トラッシュボックス。彼の本来の使用用途がこれという訳だ。辺りにあったものはすべて超圧縮され、手のひらに乗っけられるくらいのサイズになった。赤い模様が何を意味しているのかは考えるまでもなかった。

「天才だったら、か」

 子供の頃から思い描いていた妄想が、何も無い空間に響き渡る。

コヤニは機械いじりの腕を買われてここにやって来たが、技術に関する知識は無かった。元々天才でもない彼がここに来たのは単純に、彼の趣味が高じた結果だった。それゆえ、それ以外の業務に関しては他の者の足元にも及ばなかった。

彼は今、自分がもし天才だったのならこの状況を食い止められただろうかと考えていた。

技術的な天才ではなくとも、頭の回る人間だったのなら、何の考えもなしにあの部屋に向かうことは無かっただろう。

キューブを拾い上げる。見た目よりも重いそれがこれまでの後悔を天秤のように押し上げる。

何人、ここにいたのだろう。食堂の景色を思い出そうとして、食堂で交わした会話に辿り着く。

思い返せば、いつもこんなものだった。考えなしに人を信じて裏切られたり、根拠もなしに自分の考えが上手くいくと信じていた。

今日に至っても正義は我にありとでも言うつもりか、バーベナの部屋まで向かう足取りはどこか英雄気取りだっただろう。

「その結果がコレか」

 バーベナに目をつけられたのもそうだし、今手のひらにあるキューブだってそうだし、そもそもここに来たのも同じような理由だった。

笑い出しそうになったコヤニの身体を影が塗りつぶす。見上げた彼が眼にしたのは月明かりを背にこちらを見つめる有翼の怪物だった。

 不思議と恐怖はなかった。騙された時にふっかけられた借金はここで働いて全部返済した。途方もない金額だったが、そこは身体を壊してでも働き詰めた。本来の目的は達していた以上、残る後悔は一つだけだ。

気がつけば身体は地面に寝そべっていて、自分の胸には槍が突き立てられている。

「―――大人しく、家に帰っておくんだったな」

 後悔は月と共に、雲間に消えていった。

 

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