第42話 「フロワの見た過去」(1/2)
無機質の屋根を雨が叩く音が聞こえる。窓から見える景色はつまらないものばかりだったが、雲の流れ行くのを見つめているのは元来好きだった。
灰色の空気の漂う外から視線を外すと、白く統一された人の世界がある。
壁、床、机に椅子。見えるもののすべてが白に統一された工場でしみったれた感傷を吐き出しながら窓の外を見つめているのは自分くらいのものだった。
とっくのとうに飯は食い終えているがまだ少し時間がある。大抵の者は眠りにつくか、友人と談笑をしていた。食堂の端の方で一人大してうまくもない茶を啜りながらほうけていると、ふいに雑音の中から自分を呼ぶ声が聞こえた。
「コヤニさん……ですよね」
「……うん?」
聞き慣れない声に、知らない顔。一人の女性がいつの間にかプレートを持って向かいに立っていた。
「どちら様で?」
「設計をやっています、マキです」
「マキ? 珍しい名前だね」
「よく言われます」
彼女は目配せをしてきたのでコヤニは自分のプレートを引き、彼女の分のスペースを空けた。机の上についていた水滴がすり潰されてレールのようになっていた。
「それでー……」
「別に私にあなたへの用向きがあるわけではありません。好意を持っている訳でもないですから」
「分かってるよ」
別にそんな青臭い心を持つほど若いつもりはない。そもそもコヤニには妻と娘がいた。浮気なんて毛頭考えられないし、そもそもここにいるのは彼女たちの為だ。
「それじゃ、なんでわざわざここに? 席は他にも空いてるけど」
「バーベナ所長がお呼びです」
「……そうか」
コヤニは暫く茶を見つめていたが、顔を上げると再び曇り空を見ようとした。風向きが変わって雨が窓にこびりついて、あまり見えなかった。
「あなたは何を知っているのですか」
「ここで働いてる人と同じこと」
「ならなぜあなたが所長に呼び出されるのですか」
「所長に聞いてくれ」
食い気味に質問を重ねてきたマキはコヤニが何も喋らないと悟ると諦めたのか箸を動かし始めた。
「さてと」
立ち上がったコヤニはうつむいているマキに一瞥をやった後、食堂を立ち去った。
その背中を眼で追っていた彼女の視線はどこか心配そうな目つきをしていた。
全く、ここはどこを歩いても同じような景色でつまらない。片田舎で育ったコヤニにとってはここは少し息苦しい場所だった。
そんな息苦しさを少しでも忘れようと背伸びをしてみたものの、より抑えつけられているような感覚が全身に伝わるだけだった。
「失礼します」
彼がそのドアを開けると、中には瞼を閉じたバーベナの姿があった。
「お呼びで?」
「……座れ」
「はい」
向かい合うように座ったソファは固く、長居はさせないとくたびれた身体に訴える。バーベナは人を好まない変人だった。それがなぜ所長などやっていられているのか不思議だったが、彼の機械的な対応は感情的な上司よりは楽な一面があった。成功すればそれに見合った報酬をやり、失敗すればそれに変わる方策を取らせる。実に合理的な男でもあった。
静かな室内は落ち着いた色調で整えられていたので、窓際に咲いている赤い花が眼を引いた。
「間に合うか」
「どうでしょうね」
バーベナは表情一つ変えることなかったが、内心はそうでもないようで、足は小刻みに床を叩いていた。
「両国間の関係は日に日に悪化していく一方だ。このまま行けば間違いなく戦争になるだろう」
「そうでしょうね」
「イヴェル・ヴィレンスの技術力に対抗する術はトラッシュボックスしかない」
「そうらしいですね」
「コヤニ、ティムロア王に話したな?」
コヤニは別段驚くような素振りも見せず、無言で頷いた。
机を叩いた音が部屋に響き渡る。バーベナの憤怒の形相を見たのは恐らく工場の中でコヤニだけだろう。
「何故話した!」
「胡散臭さすぎるんですよ、何もかも」
「何ぃ……?」
震える声でこちらを睨み付けるバーベナを見て、彼は初めて自分の上司も血の通った人間であるということを認識できた。それと同時に、そうであるのならこの男は極悪人であると認識を改めたきっかけにもなった。
「トラッシュボックス、その機構から筐体まですべてを設計したのはバーベナ、あなただ」
コヤニは淡々と語り始めた。
「イヴェル・ヴィレンスの保有する様々な重火器に対抗すべく開発した都市設置型防衛機構。磁粉を大気中に放射して飛来する砲弾、銃弾に付着させ、操作し無効化する絶対防御の領域を作る」
「そうだ、それがあればイヴェル・ヴィレンスの砲火からクレムティスを守ることが出来る!」
「なら何故素直に話さなかったんだ?民を守る為という大義名分があるのなら、ティムロア王は素直に開発を認めただろう? だというのに、何故あなたは極秘で開発なんてさせている?」
「ティムロア王は武力に関することはすべて嫌厭する向きがある。開発が遅れる可能性があったからだ」
「そうでしょうかね。まぁそうだったとしてもなお、まだ疑問はある」
「疑問だと?」
「あれは本当に民を守る為だけにあるものなのか」
「当然だろう!あれはそのために作っているのだからなぁ!」
「じゃあこれは何だ」
コヤニは机の上に紙束を放り投げた。
それを見たバーベナの顔が見る見る驚愕の表情に変わっていくのを認めてから彼は続けた。
「あんたの使おうとしている磁粉とやら、これは俺達が使おうとしているものとは訳が違うな。試験運用の時に想定以上の広範囲に渡って効力があったのはこの正体不明の粉が原因だった。これの本当の正体はなんだ」
「貴様、これをどこで……」
「重さを持たないように常に空中に浮き、特定の条件で集積、拡散するもの。放射すれば眼に見えにくい。加えて試験の銃弾を回収して分かったことだが……」
そう言って彼がポケットから取り出したのは金属で出来た細い棒だった。
「これがその時の銃弾だ。参加したやつは全員驚いていたよ、ありえないってな」
「……」
バーベナは何も言わなかった。怒りでもなく、焦りでもない不自然なほど平穏な表情を見せていた。
「上下両方から圧し潰されてる。空間そのものが銃弾を圧し潰したかのようにだ」
コヤニはその銃弾をテーブルの上に置いた。
「もう一度聞く。これは本当に民を守る為のものか」
暫くの間、静寂が部屋を満たした。その後返ってきたのはバーベナの笑い声だった。
「アレをどうやって手に入れた」
「この前廃棄するとか言って放置してあったアレがあっただろう。本来廃棄場に秘匿するつもりだったものが手違いでそれと入れ替わったんだろう」
それを聞いたバーベナはさらに大きな声を上げて笑い始めた。
「ハハハハ、くだらない、くだらないなぁ!」
そう言ってバーベナは再び机を叩いた。
「迂闊だったな」
「それは貴様もだ、コヤニ・フロワーズ……!」
「……!」
眼の前で肉が裂けるような音をたてながら異形の姿に変化していくバーベナを見た直後、コヤニは強い衝撃と共に意識を失った。
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