第20話 「見渡す過去」
松明の火が影に揺らめく。
火は奥へ奥へと連なり、その果てには水晶を我が子のように慈悲深く抱えている有翼の天使の巨大なレリーフがあった。
その天使の視線の先に、両手を合わせ、目を瞑り、一人静かに祈りを捧げる男がいた。
彼の傍らには、天使と同じように水晶が置かれていた。
そしてその男の後方にはいくつかの椅子が置いてあり、悩める人々がそれぞれの思いを胸に、ここに集っていた。
「今年は収穫量が一気に減りまして……」
「妻を失いました、私はこれからどうすれば……」
「食うものも、金もありません。もう、生きていく意味も……」
「司祭様……」
「司祭様どうか……」
「我々に救いを……」
司祭と呼ばれた男は瞼を開けると、傍らの水晶を両手に持った。
清廉なる川のせせらぎが聞こえてきそうなほどに透明なそれを、男は暗い色の瞳で見つめ始めた。
見える。見える。
彼方の過去が。この星の開闢の時が。
一人の男と、一人の女の逢瀬の時。そこから連綿と続く過去、過去、過去。
汗を流し、涙を流し、血を流してきた人々の姿が現れては消え、消えては現れる。
多くの人間の前で誇り高く弁舌を振るう者がいた。
多くの人間の前で誇りを、その身体とともに焼き払われた者がいた。
英雄、怪物、賢王に愚衆。様々な人間が様々な結末を向かえた。それはひとえに―――
「善きことをしなさい」
誰かを慈しむ。誰かを尊ぶ。誰かを愛し、誰かを救う。
「悪しきことを見定めなさい」
何かを奪う。何かを蔑む。何かを恨み、何かを殺す。
「そして、自分で選びなさい」
それらはすべて、汝の前に現れる道。どこへ行くのも、どこへ帰るのも、選ばなければならない。
「悪魔とは、自らの意思で堕ちた天使の名」
彼らは自らの意思で、自らの目的を、正義を果たすために堕ちていった者。
「天使とは、善きことをする者ではありません」
彼らは与えられた生命を以て、与えられた使命を果たす者。
眩い閃光が視界を満たす。
雷鳴の鳴り響く空を駆ける天使と悪魔。
天使は右手に槍を携え、悪魔めがけてそれを突き立てようとする。だがその左手は堕ちていったかつての同胞を救おうとしているかのように彼に向かって伸ばされている。
悪魔はその攻撃を避けようと、更に下へ、下へと堕ちていく。こんな場所で留まっている訳には行かない。私が堕ちた理由は、ここで死ぬためではない、そうやって上半身を大きく反らしながら、その手は天使を拒んでいる。
この色の無い世界で、私達はどこへ行き、どこへ帰るのか。
その身で愛を求めた者がいた。その背にある巨大な翼は、街を行くのに不要だとして、その者は翼を折り捨てた。
その身で生命を求めた者がいた。生きる実感、意味を探した翼は無残にも切り裂かれた。
「光、あれかし」
汝らの道に幸運を。
「闇、あれかし」
汝らの道に災禍を。
「―――天使の名の下に、その生命を全うせよ」
人々が立ち上がる。炎はなお、影を揺らし、彼らの行先を照らしている。
「汝らの人生に祝福を」
その男の言葉は、人々の心に寄り添った。
「カエノメレスに祝福を」
その男の言葉が、人々の心を変えた。
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