第21話 「熱に溺る」

 ―――星が融けていく。

 どろどろとしたそれが暗い空を照らしながら、大地へと流れていく。

音。光。熱。

そのいずれもが無窮であり、私はその限り在る生命が呑み込まれていくのをただ傍観していた。

空が流る。天蓋が落ちる。

星が流る。宙を満たす。

時が流る。始まりの時が来る。

生命が流る。終わりを告げる。

可視化されたそれは宙空にて、大きな輪を描きながら、留まることのない流れとなって浮かんでいる。

永遠に続くと思われたその奔流の中を、私は一人立ち尽くしていた。

そして、全てが流れて一つになった時。現れたのは天と大地を繋ぎ止める楔のような大樹。

 私は、その大樹を見上げる。

私は、その大樹に触れる。

私は、その大樹へと還る。

一つになり、生命となる。生命は霞んで見えるほど遠くの枝葉に流れ、果実となる。

生命が実る。結実していく世界は輪郭を明瞭にするためにこそ生命を育む。

「お前たちが創るのだ」

 そう言った―――はもう存在しない。

私の方へ振り返る彼女の右手には血の滴り落ちる首がこちらを見つめていて、左手には半分に切り裂かれた果実が握られていた。

 その口から、言葉と呼ばれるものが放たれる。その聞いたことのない音に、私は切り裂かれて―――

「―――お前は、何者だ」 


「―――っ」

 閉じていた瞼が開かれる。だが、そこに光はない。天井の照明は私がさっきリモコンのスイッチを押したから消えていて、枕元に置いてあった時計の長針が深夜二時を指し示していることから、その「さっき」が三時間前のことだったと悟った。

「夢……」

 額からに汗を流れる汗を拭う。部屋には時計の針が時を刻むカチカチという音と、隣のベットで寝ているフロワの静かな寝息、それと対象的に息を切らしている私の溺れそうな呼吸音が聞こえていた。

シーツを握り締めている手が固くこわばったまま、離れない。汗はとめどなく溢れてきて、私の身体中を流れていく。

何か安心できるものを探そうとして、リビングへと歩き出したい気持ちと、一歩も動き出せないような恐怖が心を撹拌する。

「大丈夫、寝れる、なにもない……」

 そう言い聞かせるように横になったが、私が意識を失うように眠ったのはそれから三十時間後の、フロワと共に歩いている時のことだった。


「何かあったのか」

 アルメンに問われたフロワは首を横に振った。

「一緒に歩いていたのですが、突然倒れてしまって……」

「ふむ……」

 彼女はテーブルの上のティーカップを手に取り、それに少し口をつけるとフロワにこう言った。

「今は家で寝かせているんだったな?」

「えぇ」

「しばらく安静にさせた後、私の下に来るように言ってくれ」

「マスターの下に、ですか」

 彼女は不安そうな表情を浮かべた。それを見たアルメンは小さく笑った。

「大丈夫だ。殺されはしないさ」

 その言葉を聞いた彼女は小さく「はい」と返事をした後に、その場を後にした。


フロワが家に戻った時、トリムはまだベットで寝ていた。

どこか苦しそうな表情を浮かべながら、浅い呼吸で胸を上下させていた。

彼女が少しでも呼吸が楽になるようにシャツのボタンを開けたとき、その胸に光る青いネックレスが目に映った。

そのネックレスは仄かな青い光と熱を放っていた。

ここのところ調査で歩き回っていたから疲れが出たのだろうか。いつも戻ってから食事の支度もしていることもあって、フロワは自分を内省した。

寝ている彼女の口から小さく呻き声が漏れる。その瞼は、未だに青い瞳を覗かせること無く閉じられていた。

”青、か”

 

トリム達はある事件を追っていた。それは二週間ほど前にある少年が行方不明になったことから始まった。

アルメンの表向きの会社に寄せられた人探しの依頼書には、買い物をしている最中、少し目を離した隙に息子がいなくなっていたという母親の悲鳴が書かれていた。

 それを受けて、アルメンはトリム達を調査を兼ねて男の子を探すように命じたのだった。

そして、その行方知れずとなった少年の特徴の一つとして挙げられていたのが、青色の瞳だった。

「そう言えば、マスターの服と目も青かったな……」

 水に濡らしたタオルをトリムの額に乗せる。

突然舞い込んできた迷子探しに加えて、以前からあった文献調査。こうなってしまった彼女を働きに出すわけには行かない。

「私が少しでも進めておこう」

 

靴を履き、ドアを開けて、鍵を閉める。

書斎まで行って調査中の資料をバッグに入れていく。

家に戻り、リビングにその資料をぶちまけて、寝室にいる彼女の様子を見る。

それを繰り返すこと計五回。陽の落ちるのが早くなってきたこともあって、すべて運び終わる頃には外は真っ暗になっていた。

広かったリビングの一角は本の山に占拠されている。

その本の山から無造作に何冊かを取り出すと、自分で入れたホットコーヒーを手にしていそいそと寝室へと入っていった。

そして、寝室に入ってテーブルと椅子が無いことに気がつくとわたわたとリビングに戻っていき、畳んでしまっておいた小さなテーブルと、座椅子を持って寝室に消えていった。


「これで、よし」

 古ぼけた本を開く。暖かいコーヒーの湯気の先にいる彼女は未だに眠り続けていた。

書かれているのは民族医療に関することから民族信仰など様々で、一つの本を読み終えるのにも時間がかかりそうな代物ばかりだった。 それを天使に関わりがありそうな単語がないかを流れるように目を通していく。

文字。文字。文字。だんだんと眼が霞んでくる。黴臭い本の数々は実に小さな文字の数々で出来ていて、それがまた彼女の眼精疲労を促進させた。

「おぉ……」

 眉間をぐにぐにと指で揉んでみても疲れは取れそうにない。

彼女は気分転換にと、リビングへ赴き、本の山の中から挿絵の多そうな本を探し始めた。


しばらく本を放り投げたりひっくり返したりを繰り返しているうち、彼女は奥底のい方にひときわ鮮やかな色彩の表紙の本を見つけた。

スカーレットカラーのその表紙には白い文字で『藝術大全』と銘打たれており、見た感じでは彼女が今まで読み漁ってきた本二~三冊ほどの頁数だった。

「休憩がてら覗いてみるか」

 

リビングから戻っても、トリムは眠っていた。ただ先ほどまでのように苦しげな表情ではなく、安心しているような表情をしており、その呼吸も今は落ち着いていた。

「そう言えば、アレは……」

彼女が少しシャツをはだけさせると、ネックレスは彼女と同調するようにその光と熱失くしていた。今は、彼女の体温による微かな温もりだけが残っていた。

「良かった」

 その言葉が、自分でも気が付かないほど当たり前に彼女のことを心配していたことを気づかせた。

”友達、か”

昔はその言葉とは馴染みがなかったけれど、今なら―――

”―――彼女を、友達と言っても許してくれるのだろうか”

そんな淡い期待と願いにも似た思いを抱きながら、持ってきた本の表紙を捲る。

すると、そこにはくり抜かれた頁に収まるように、旧い手帳のようなものが一冊、時を忘れ隠れていた。

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