第26話 「あなたなら」

「はぁ……」

「流石に疲れましたね」

 荷物を部屋の隅に放り出し、畳に寝転がる。

外見から想像していたよりも遥かにキレイに整えられている大部屋は二人で泊まるには少し大きかった。

各種備品などを何となく見ていったが埃がかぶってるだとか、賞味期限が近いだとか言ったことは全くない辺り、あのズボラそうなオーナーは仕事はきっちりやるタイプらしい。

「珍しい、なんて言ってたものだからもう少しひどい場所かと思ってました」

「まぁ私もそう思ったけど全然そうじゃないわね。はぁ、落ち着く……」

 思い切り身体を伸ばすと強張った筋肉がほぐれるような感覚がする。

身体を起こすとともに溜まった疲れをため息にして吐き出し、今日一日酷使した足をマッサージする。

触れられた足先に鈍い痛みとほぐされる気持ち良さが相反しながら押し寄せる。

窓辺に歩み寄ったフロワが手をかけたガラスは小さくカタカタと風で揺れ動いていた。

「何か見える?」

「何か、ですか」

 背中越しに届いた声が窓を通じてわずかに外へと抜けていく。

 彼女が震える窓を開けると、辺りは暗闇で何も見えず、聞こえてくるのは虫の声と、肌寒い軟風が揺らす葛の葉擦れだけだった。

 その風を顔に感じながら街並みの方へと目を凝らしてようやく見えたのは、二つや三つの灯火だけだった。

彼女は窓を閉め、振り返ると寝転がりながらこちらを見上げていたトリムに首を振った。

「ま、ここらへん何もなさそうだしねぇ」

 そう言いながら眼を瞑りそうになっている彼女を起こすようにわざと頭の近くを歩くと、その振動に眉間をしかめながら彼女は口を開いた。

「ちょっと、なんでこのだだっ広い部屋で私の近く歩くのよ」

「そのまま寝そうだからですよ」

 確かに、フロワの足元にいる彼女は今もなお瞼を閉じたまま身を投げ出している。

横になりながら身体を伸ばしたせいか、服が少しはだけ、程よく引き締まった腹部が見えていた。

「トリム」

「ん、何よ……、やっ!?」

 脇腹に突如として訪れた冷感に飛び上がるようにして上体を起こした彼女は、先ほどまでの微睡んだ口調とは打って変わってたいそう元気にプリプリ怒り始めた。

「ちょっと、やめてよね」

「そんなところで寝ているからです」

「寝てないわよ」

「瞼を閉じていました」

「だからって寝てるわけじゃない」

 そう言いながらも服の上からしきりに触られた場所を擦っている彼女は観念したのか、寝転ぶのをやめて壁にもたれかかった。

「布団ひくかー」

「シャワー、浴びないんですか」

「明日朝浴びる……」

「そうですか」

 

何やかんやで二人が布団を引き終えた後、吸い込まれるように布団に入っていったトリムを追うように、結いた髪を解きながらフロワも布団の上に座り込んだ。

付かず離れずの距離の二人は特に何を言うでもなく電気を消して横になる。

衣擦れの音が落ち着いた後、深い安堵の息を漏らしたトリムの気配を、横に感じながら、彼女は明かりの消えた天井を何となく見つめ続けていた。

彼女はその空に、いつかの曇天を重ねていた。

暗闇ではなかったけれど、真っ暗だった。

ついさっきまで想像していた未来はいとも容易く打ち砕かれ、先に見えていた未来の思い出はその姿をついぞ見せることなく、彼女は横たえている。

親子。かけがえのない絆で結ばれる約束はどこへ行ったのか。

「トリム……」

 人知れず呟いていた。別に何かを言いたかった訳でもなかったのに、光のない部屋の中を見つめていると不安が押し寄せてきた。

彼女に言ったところで何も変わらない。それに、彼女とて親子という枷に苦労しているタイプだ。強かった思いは裏返り、槍を突き立てさせるほどの憎しみに変わっていた。

だが、彼女が思い悩んでいるのも事実だった。

快調した後、トリムはアルメンの元に呼び寄せられた。

フロワも同行しようとしたのだが、二人から止められたため彼女たちが何を話したのかは知らない。

帰ってきたトリムに特に変わった様子はなく、アルメンの方も何も言わなかった。

神と天使の子供。それがどんな在り方で、どんな関係なのかは彼女には全く分からなかったが、いびつな関係の上に成り立っている親子だということは彼女たちを見れば火を見るよりも明らかだ。


相変わらず、窓はカタカタと震え続けていて、それと一緒にフロワとトリムの呼吸が聞こえてくる。

隣で眠る彼女は今、何を考えてここまでやってきたのだろうか。

「あなたは……」

 風よりも何よりも小さな声は、どこにも届かずに枕元に落下した。

解いた髪が頬をくすぐる感覚がいつもより鋭敏に脳へと訴えてくる。

「はーぁ」

 既に眠りについたと思っていたトリムが布団の中からくぐもった声を上げるともぞもぞと顔を出した。

「寝ていなかったんですね」

「寝てた、はんぶん」

 それだけ答えると、彼女は這い出た時にずれた枕の位置を直して、枕に顔を埋めた。


あのオーナーはどこで寝るのだろう。店の佇まいこそみすぼらしいが、オーナーの身なりはそれなりに整っていた。

そんなどうでもいいことが頭の中を右往左往して、最終的に辿り着きたい言葉への道を通せんぼする。

足がじんわりと温かい。

違う。

明日の調査はどうしようか。

それも、違う。

もしあの時に私が泣きついていたら何かが変わっただろうか。

「―――あー、足がじんじんする。時間、巻き戻せたらなー」

 先ほどまで瞼の重そうだった彼女は、意外にもまだ起きていた。

というよりも、彼女は何かを払い除けたいかのように、時折寝返りをうっていた。

「巻き戻せたら、ですか」

「そう。身体の疲れを巻き戻してなくすとか便利じゃない?」

「巻き戻したら、無くなるんですかね」

「さぁ? そうだったら良いなって話」

「変えられますかね」

「何を?」

 声が先ほどよりもクリアに聞こえる。彼女の方に視線をやると、トリムは枕から顔を起こしてこちらを見つめていた。

「……馬車を借りられなかったことです」

「ほんと、意外と根に持つタイプよね」

「悪いですか」

「いや、私が悪いんだけどね。でもまさか目の前で最後の一頭持ってかれるなんてねぇ……」

 彼女は今朝方の事を思い出してため息をつく。

必死の思いで駆け寄ったその眼の前で走り去っていく揺れる馬の尾を、恨めしそうに睨めつけたこと。そうしたところで戻ってくることはないと分かってはいたが、そうするしかなかった。


「少し、夜更かししませんか」

「珍しい、どうしたのよ」

「何となくそうしたい気分になったので」

「それに付き合えと?」

「駄目ですか」

「いや、いいけど」

 そう言いながらトリムが体勢を変えて、こちらに向き直ったことが声の反響の仕方で分かった。

それでも彼女がトリムの方へと向き直らなかったのは、見つめていたのも話していたことも自分のためだったからだろうか。

それとも。

ただ単純に彼女の言葉を受け止めきれないという恐れからだったのだろうか。

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