第27話 「その一歩は」
「もし、ですよ」
「うん」
視界に映る天井が、フロワの声を少しだけ反響させる。
降り積もった言葉の数々が横になっている二人の衣擦れに消える。
彼女は上を見上げたまま、言葉を紡ぐ。
「もし、大切な人がどこか行ってしまったら、あなたはどうしましたか」
それを言葉にするのなら、後悔。
あの日去りゆくその背中を追わなかったことへの否定。
それを言葉にするのなら、安堵。
その姿が見えなくなる前に、自ら背を向けたことへの肯定。
だが、その言葉は彼女にとってはあまりにも明確に在りすぎていて、自分の心の奥底にあったの思いには遠すぎた。
たぶん、本当は何も分かっていなかった。
だから、正確に言うのなら、分からなかったとでも言うべきだったのだろう。
土の尊さを教えてくれたのは父だった。
目的のためなら獣の如き行いをすると知ったのも父が理由だった。
白でもなく黒でもない、雨の降りそうな空。
灰色の髪をした父の行いの数々はフロワにとっては空を覆う雲そのもののように、彼女の見つけた意味を隠していった。
私のためにやっていることなのか。
私のせいでやっていることなのか。
貧しさと、ボウル一杯の罵詈雑言、豊かな大地に根を張る偏見の中で育った彼女にはそれが分からなかった。
分からなかったから、その背を追わなかった。
「あなたは、やっぱり追いかけますか」
その声にはどこか寂寥感にも似たものが混じっていて、暗闇の中に響く自分の声がやけに大きく聞こえた。
トリムは何も言わない。
少しだけ頭を動かして顔を見れば何を思っているのか分かるのかもしれないが、それをするには、この部屋はあまりにも静か過ぎた。
窓を叩く風も先ほどまでの勢いはなく、今は名残惜しそうに冷たくなったガラスの表面を撫ぜていた。
「―――たぶん」
有象無象の雑音が一斉に鳴りを潜める気がした。
フロワは自分の身体が強張っていくのを感じながら、その続きを待った。
「―――たぶんだけど、追いかけると思う」
トリムの声が闇に溶けていき、何かを言おうとしたフロワの唇はわずかに動いたあと、再び動かなくなった。
自分でも何と答えればいいのか、そもそも何を求めて問うたのかが分からなかった。
そんな彼女の沈黙をトリムがどう受け取ったのかは分からないが、トリムは夜の帳にそぐう見えなくて、それでも確かにそこに在る声音で続けた。
「大切な人が急にどっか行くってなったら、私は追いかけて首根っこ掴んででも問いただすかな」
「それは、なぜ?」
「何故って、そりゃあなんでいなくなるのか聞きたいでしょ。理由がないと人は動かないものじゃない?まぁ、事前に喧嘩したとか、そういうのだったら追わないっていう選択肢もあるだろうけど」
「追いかけたほうがいいですよね」
「追いかけるのはただの手段よ。ただの手段だと分かっていても、足を動かすのは自分が決めることだけどね」
そう言った彼女の表情は暗くて分からない。
そう言われた彼女の表情も、自分ではよく分からなかったが目を見開いていた。
「そう、ですか」
「これでいい?」
「えぇ。だいぶ眠くなってきましたし」
「つまらない話で悪かったわね」
「そんなことないですよ」
誰に見せるでもなく微笑んだ唇を噛む。痛みがじんわりと熱と共に疼いて消えない。
夢に溺れてしまいたいと思った夜は、今日が二度目だった。
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