第35話 「圧潰の異形」

 下層より打ち出された光は、空洞の闇の尽くを照らし出しながら、ついには空を打ち砕いた。瓦礫とともになだれ込んでくる陽光が

フロワの肌を照らし出す。

 壁面に映し出される複雑に入り組んだレールの影が曼荼羅模様を描き出す。

その影を塗りつぶすように降り注ぐ瓦礫の間を一筋の閃光が駆け抜ける。

「トリム!」

「地上に上がるわよ!」

 有無を言わさずそう言いつけた彼女を追うようにフロワも転写を開始する。

彼女たちが地上に辿り着いた頃には、その男は天高くその街を睥睨していた。

だが、陽光に照らされたその男のシルエットはトリムが見たものとは大きく異なっていた。

銀に輝く双翼。その翼は人ならざりし神性のもの。

「天使……!」

「どういうこと……?」

 何故あの空間にあの天使は閉じ込められていたのだろうか。そもそも、あれには知性というものがあっただろうか。

トリムは最下層での光景をビル影になびく風に思い描く。

磔にされた男は身体を傷つけることを厭わず、自分の元へとやってきた。

攻撃ではないその男の行動原理は言うなれば欲望。これまでの天使と比較しても異様。 加えて、言語能力も有していない。天使は言葉を話さねばならぬ。神より承ったその言を人間に伝えるためには言語能力がなければいけない。

「それとも何か、天使同士が使う言葉はあんなのなのかしらね」

「トリム、最下層で何があったんですか」

「何、セクハラされただけよ」

「は、セクハラ……?」

 息遣い、身体の動かし方。瞼とも瞳とも判別出来ぬ輪郭なきその顔面。口から溢れる吐息さえ人のそれとは違う。

―――獣。自らの欲望により突き動かされる原生的思考。

太陽を背に空に漂う天使は、何をするでもなくただ地上にいるトリムを見つめ続けていた。


 天使の背後、廃ビルの一室に転写したフロワは照準を天使の後頭部に合わせる。

気づいていないのか、それとも意識の外にあるのか。フロワがトリムの隣から突如姿を消したのにもかかわらず、天使はトリムのことを見つめ続けていた。その様はまるで彼女のことを観察しているようでもあり、何かを待っているようにさえ見えた。

憂うことなど何もない。彼女の放った弾丸は一直線にその対象を貫かんとする。

ビルの合間を縫うように、一瞬、ほんの一瞬だけビルとビルとの空間を曖昧にしながら飛来した銃弾は天使の頭部、眉間を貫通して彼方へと消えていった。

スコープを覗くと、天使に開けられた穴に切り取られたビルが見える。

天使に命中した様は地上にいるトリムからも確認出来た。

「……何故動かない」

 天使は頭部を撃ち抜かれたのにもかかわらず、なおもトリムのことを見つめ続けている。

その怪訝を晴らさんと、続けざまに銃弾が放たれる。

先ほどまでの銃弾とは違う、肉を刳り潰すボルトが飛来する。

「―――何だ」

 スコープ越しに観察していたフロワも、地上から見ていたトリムもその光景に目を疑った。

続けざまに着弾したボルトによって頭部はその輪郭を残して吹き飛んでいた。にもかかわらず、瞳も何もかもが吹き飛んだ空虚の顔はトリムを見つめ続けている。

粘性を持った液体がトリムの足元に音を立てて落下してきた。

その液体はトリムが最下層で見た、あの男の涙と全く同じものだった。

「動かないってなら直接……!」

 トリムはビルの壁面を目掛けて磁性弾を放つ。斥力、引力を切り替えながら両側に立つビルの双璧を交互に足場にして天使に目掛けて飛び上がる。

彼女が最後の足場から飛び立ち、その手に翠緑の槍を携えた時、ここまで何も行動を起こさなかった天使の身体が突如震え始めた。

身悶えをしながら空に浮かんでいる天使の心臓を貫かんと槍が突きつけられたその矢先、天使の肩甲下部からもう一対の双翼が羽を散らしながら出現した。

加えて、穿たれた頭部が液化したかのように溶け出し、身体の内部に流れ込んでいくと、再びそれが隆起し、四つの顔を形成したことをフロワは確認した。

「なっ……!?」

 その変化の折、心臓を貫いたはずの身体はその生命活動を止めることなく、その槍を持っている彼女をそのまま引きずりあげるようにより空高くへと天使は飛翔し始めた。

トリムは槍から手を離し、天使の右翼部分に撃ち込んだ磁性弾を強化させて地面へと向かう。

天使はそれを追わず、より高度へと飛翔していく。

「どこかに移動するつもりか」

 地面に着地したトリムの傍らに転写したフロワが言う。

「届け……!」

 トリムが歯噛みしながら手を打ち合わせる。

磁力を強化し、天使を引き寄せようとするも、天使は少し減速しただけでなおも上昇し続けていた。

「駄目だ、速すぎる……!」

 彼女が再び空へと飛び立とうとした瞬間、四方から何かが爆発するような音がし始めた。


「アレは……」

 ビルの屋上に登った彼女たちが見つけたのは、この街の東西南北を取り囲むように浮かび上がる巨大なキューブの姿だった。

森を地面ごとひっくり返すように上昇していったそれはその巨体を緩やかに回転させながらどんどん上昇していく。

それを見ていたトリムが声を漏らす。

「あれ、私の持ってるキューブに似てる」

「あの磁性キューブにですか」

「フロワ、コンパス見てみて」

 トリムに言われるがまま、彼女が内ポケットからコンパスを取り出すと磁針が凄まじいスピードで留まることなく回転し続けていた。

「あのキューブが原因だったのか……!」

 

街の四方に配置されていたキューブは一定の高さで上昇をやめると、先ほどまでよりもスピードを上げて回転をし始めた。

キューブの中央に位置する街の遥か上空へと飛翔する天使は今もなお遠ざかり続けている。

空間を歪ませるような轟音が響いたかと思うと、天使の周辺に巨大な岩塊が浮かび上がり始める。

その岩塊が天使の身体を圧潰するように叩きつけられ、その上に更に重ね合わせるように巨岩が組み合わさっていく。天使の姿はとうにその隕石と化した岩塊に消えていた。

トリム達が森の中へと逃げ切った時には、街はその巨岩によって押し潰されていて、彼女たちがその巨岩の頂点から辺りを見回すと、浮かび上がっていたキューブは森海に沈んでいた。


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